UNIXとOS/2前編2(月刊ASCII 1991年2月号8) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
国内ハードメーカー各社の動きを見るビジネス分野≒ソフトハウスでよさそうな気がした。
ビジネスUNIXの隆盛を示す例をあげれば……
(1) 非メインフレーマー,外資系メーカーがビジネス市場進出への武器としてUNIXマシンを相次いで投入(図2.3).
(2) UNIXならではのビジネス・アプリケーションがいくつか登場してきた.
(3) オフコンディーラーがUNIXマシンの販売を開始した(図4)。
(4) そして,メインフレーマー各社も来るべきビジネスUNIXの時代に向け、製品体系を整備――となる.
ビジネス用と銘打ったUNIX WSはソニーの「popNEWS」,日本NCRの「TOWER」などすでに数機種が登場しているし、現在も数が増え続けている。
1989年9月にBEシリーズを発売し,コンピュータ市場に再参入した松下電器は同製品について……
「BEシリーズは一言で言えば,開かれたオフコン.OSにUNIX SystemV,ネットワーク機能にNFS(ネットワーク・ファイル・システム)やTCP/IPを採用し,世界的な標準に合わせてアプリケーションの再利用性を高めてある。中小企業のホストコンピュータや大手企業の部門コンピュータ,パーソナルマシンのサーバー的役割として販売していきたい」と語り,ターゲットをビジネス市場に絞っている.
1988年秋に登場したソニーのpopNEWSも狙いは同じだ.popDESKと呼ぶ独自のGUIを装備し,使いやすさとネットワーク機能の充実が武器になる.ソニーでは……
「ビジネス用途アプリケーションの品ぞろえに手間取ったため,販売台数は1989年後半まで累計2000台に満たなかった.しかし,データベースや表計算,ワープロなどの基本業務ソフトはすでに出荷したが,1990年後半までにはソフト資産を20種類以上にしたい。そのため1990年中にはpopNEWSを1万台程度売りたい」と,同社の販売戦略を語る.
一方,外資系メーカーが目標にする市場はどうだろうか?
日本ユニシスは「UNIX&UNISYS」キーワードに1989年からUNIXビジネスに本腰を入れている.同社では,主力製品をオフコンクラスのU5000/6000に設定し,これにMAPPERやLINCといった第4世代言語,人事、給与などの業務アプリケーションを載せた販売戦略を展開してきた。同社はこれまでシリーズ8(三菱電機オフコンのOEM)と呼ぶ独自OSのオフコンを販売してきたが,今後はUNIXマシンに切り替える方針だという.計画では……
「新規ユーザーには基本的にUシリーズを提案。従来ユーザーには周辺機器の互換性問題があるため,Uシリーズを売り込むのは困難だが,ソフト/ハード資産の充実に合わせてUシリーズへの移行を進める」とする.
古参の日本NCRは1983年からUNIX搭載のTOWERをビジネス用として販売してきた。同社は「1989年4月時点でUNIX導入すみの企業は8%に過ぎなかったが,今後数年間の予定を見ると35%の企業がUNIX導入に積極的」と,これからが本番であることを強調する.
日本ユニシス,日本NCRの両社とも, (1) 運用が難しい,(2) ビジネスユースに不可欠のリアルタイム処理ができない,(3) ファイル管理をはじめとするシステムの信頼性・セキュリティ機能が弱い――といったUNIXの弱点をカバーする機能を製品に盛り込んでいる.しかも、「ビジネスUNIXを販売するにはリモート・メンテナンスなどオフコンと同等以上の機能を実現したうえで,UNIXであることを見せないようにする必要がある(日本NCR)」とも言う.
このほか、日本データゼネラル(DG)や日本ディジタルイクイップメント(DEC)もRISCチップ搭載のUNIXマシも,ンをビジネス用途に販売する考えだ。この際,武器になるのは日本DGが「CEO」,日本DECが「ALL-IN-ONE」と呼ぶ統合オフィスソフトだ.日本DGはCEOを同社UNIXマシンのAVシリーズに移植して製品化し,パーソナルマシンのサーバー用としてすでに販売を始めた。
図2 全WSに占めるビジネス分野の割合(データクエスト調べ)。
エンジニア部門専用と考えられてきたワークステーションがビジネス分野にも広がりつつある。
図3 企業規模別に見た1社当たりの購入希望台数(日本経営協会調べ).
中小企業ではパソコン導入を考える企業の割合も高いが,大企業では高価なオフコンを見限っているのかWSしか目に入らないようだ.
図4 オフコン分野でのUNIX導入状況(日経コンピュータ調べ).
年間売り上げ100億円以上の企業では,UNIXについて「すでに導入」,「導入を考えている」が「考えていない」を上回っている。このニーズにディーラーが目を付けないわけはない.
ソフトメーカーの取り組みは?MS-DOSのアプリをUNIXに移植するというのが面白い。私はUNIXのコマンドをMS-DOSに移植したASCIIのSOFTWARE TOOLS使っていて上流がUNIXで下流がMS-DOSだと思っていた。逆にMS-DOSからUNIXへとポロロッカのような逆流現象があったとは知らなかった。しかし、それならMS-DOSでそのアプリを使った方がいいのではないか。MS-DOSマシンなんてUNIXマシンから比べると安いものではないか。事業所なら買ってもいいのではないか。何が悲しくてMS-DOSアプリをUNIXに移植してまで使わなければならないのか。釈然としない。
ハードメーカー各社の意気込みに歩調を合わせるように,UNIXならではの機能を生かしたビジネスアプリケーションも充実してきた(図5).
このひとつがトータル・マネジメント・サービス(TMS)が開発した中小,大手企業向けの会計ソフト「TAIS」である.SunMicrosystems社WSのSun-3上で動作し,マルチウィンドウ表示やプルダウンメニューを駆使した,マウスによる使いやすいGUIが特徴だ。「オフコンメーカーと競合する場合が多いが,実際に使ってもらうと商談はスムーズに進む(TMS)」.CRT画面の制約によりグラフィカルな表示が困難なオフコンに対し,使いやすさで差別化しているわけだ。「販売網が充実してきたため,今後は月に3システム程度の販売を見込んでいる(TMS)」と自信を見せる。
SRAはソニーのNEWSと光磁気ディスクを組み合わせた電子ファイル・システム「MEFIS」を開発・販売している.人事情報システムで顔写真やイメージ情報を扱いたいとのニーズは強いが,オフコンではイメージ情報保存に適したメディアが少ない.光磁気ディスクのような新しい記録メディアを利用できるのはUNIXマシンならではのことであり、「すでにリクルートなど10数社以上に販売した(SRA)」との実績を見せる。
また,従来のMS-DOSユーザーからの転換も進もうとしている.
多いとは言えないUNIXアプリケーションを増やすために,MS-DOS上のアプリケーションをUNIX上に移植するためのツールも登場した。この代表例がエアーが販売する「XDOS」だ.XDOSは,8086系の機械語コードを解析し,ハードウェアアクセス部分を抜き出したうえで68000系の機械語コードに変換する.「自動変換こそできないが,MS-DOS用のアプリケーションをUNIXに移植する作業はグッと楽になる(エアー)」が売りものだ。エアーは,すでにオリジナルプログラムを持つソフトベンダーやメーカーなどにXDOSを,供給しており,UNIX上に移植したソフトもいくつか登場している.情報システムを設立した。また,監査会社の中央新光監査法人や,UNIX専門ソフトベンダーのアステックと組んでビジネス市場に切り込む。「条件によって最適なハードを選ぶため,ハードは特定しない(アスキー)」と,UNIXのオープンシステム性を主張する.
大塚商会もサーバーや分散コンピュータとしてUNIXマシン(日本NCRのTOWER,ソニーのNEWS,日電のEWS4800など)を販売しているし,CSKもビジネスUNIXに本腰を入れ始めた。このほか,従来からの一般大手企業が新規事業参入の際にUNIXに目を付けて新会社を設立するなど,UNIXの販売会社は増え続けている。企業ユーザーの立場から見れば,「UNIX導入しか選択の余地がない」とも言える状況なのである.ともあれ、日本国内の状況では,ハードウェア,ソフトウェア,そしてディーラーが三位一体となって「企業ユーザーにはUNIXしかない」と主張しているようにも見える.
さてここで,もうひとつのオープンシステム「OS/2」の動向についても触れねばならないだろう.UNIXが上位マシンからビジネス市場に降りて来るならば,OS/2はパーソナル市場からの展開を狙っている。両者がぶつかるとき,どちらが雌雄を決するのだろうか?
図5 ソフトハウスの次期開発用マシンおよびOS(ソフトウェア研究所調べ).
ソフトハウスが期待するトップはPC-9801シリーズであるが,UNIXとOS/2の「検討中」の値が大きいのも気になる.ようするに「この両OSではまだ基盤が固まっていない」ということになるのだろうか?
アプリケーションの種類はOS/2普及に関係ない?やはりよく分からない。どんなのが「基幹業務」なのかすら分からない。こんな状態で記事を読んでも分からない。ASCIIはこのように一般ユーザを置いてきぼりにする記事があった。
外部環境の変化に押されて1990年から急速にUNIXシフトが加速している.しかし,一方ではハイエンド・パーソナルコンピュータやWS用のOSとして「OS/2」を採用するユーザー企業も激増しているという。ホストコンピュータとの連携を重視してOS/2マシンを導入したケースが多いが,マルチタスク機能やGUIの良さだけではなく,総合的な可能性を見極めた結果も選択の理由として挙げている.OS普及に重大な影響を与えるアプリケーションの品ぞろえは,OS/2の場合どうなのだろうか?
日本IBMがすでにOS/2 Ver.1.2を出荷中なのをはじめ,富士通,日電,日本ユニシスなど各社が1989年末から昨年初めにかけてVer.1.1の出荷を開始。メーカー各社の足並みがそろい,ユーザーの目から見てもOS/2が安定してきたのは明らかだ。OS/2はユーザー主導で普及が始まったのだが,彼らはOS/2選択に際してアプリケーションの数が多いかどうかを気にかけていなかった。パッケージ自体はここへきてようやく増えつつある。1989年頃は,「MS-DOSとOS/2では大幅に機能が違う.たとえばPMの機能を生かそうとすると操作系を完全に書き直す必要があり,ほとんどゼロから作るのと同じ手間がかかる(あるソフトベンダー)」と悪評で,パッケージはほとんどなかった.
現時点で各メーカーが公表しているアプリケーションパッケージの本数は,日本IBMが約200本,富士通が170本,日電が120本といった具合だ。日電の場合,PM付きのOS/2 Ver.1.1対応のサードパーティ製ソフトは言語や開発ツールが多い。当初から日本語ワープロや簡易言語,通信ソフトなどが多かったMS-DOSとは対照的である.
もっとも,1990年度中にはリード・レックスのデータベースMEGABOX/2,マイクロソフトのExcel(米国で出荷),イーストの表計算ソフトWinCalcやワープTextWriterなどが登場するという。また,ロータスの統合ソフトLotus1-2-3やアルダスのDTPソフトPageMakerなど米国の有力パッケージも昨年末までに出そろった。
ビジネス向けでは,日本システム・ポイントからPMの機能を駆使した業務パッケージが1990年度中には出てくる.FAMIS/F1と呼ぶ中小企業向け会計処理ソフトがそれであり,ウィンドウ表 示やアイコン,マウスをフルに活用した使いやすいGUIと表計算やグラフ・ソフトなどとの連動が特徴だ.
しかし,日本のOS/2市場ではローカルで稼働する汎用パッケージは当面それほど重要ではないと主要メーカーは見ている.「OS/2の場合はまず基幹業務ありき。パッケージは空き時間に動かす程度にすぎない.アプリケーションの種数はOS/2普及に直結しない(日本IBM)」という意見が代表的。各メーカーともOS/2ならではの,あるいはOS/2でしか実現できないソフトのニーズが大きいと考えている.
メーカー各社が開発したパッケージを別の観点から見てみよう.スタンドアロンでの利用ではなく,ホスト・コンピュータと連携して動く製品を中核に据えているというOS/2ならではの傾向がはっきりと出ているはずだ。
富士通,日本IBM,日電,日本ユニシスなどの数種類あるパッケージのうち,申し合わせたように各社が開発しているのが統合OAシステムだ。メインフレームをサーバーとし,OS/2マシンを介して電子メールや電子掲示板などの機能を実現するシステムである。このほかの日本語ワープロや表計算ソフトの多くは,統合OAシステムと連携する形で使用される.どの統合OAシステムもOS/2のPM環境が対象となっており,MS-DOSでは動かない(動かさない)。この点からも,OS/2はメインフレームユーザーに売られようとしているのが分かる(図6).
図 6企業のパソコンユーザーが関心を示すOSは?(INFOWORLD調べ)。
OS/2とMS-Windowsとの関心度の比較では,MS-Windowsが優っている.システムをパソコンのままにするならWindowsの勝利だが,より高速のハードを導入した場合の比率は逆転するのだろうか? OS/2の競走相手は,UNIXではなくMS-Windowsになるかもしれない。
サポート強化でOS/2を推進ここまで読んでこの記事は一般ユーザには関係のない記事だと再確認した。NECの社内でOS/2を使おうと一般ユーザと中小企業、公官庁の末端部門には関係がない。これは主に素人ユーザが読むASCIIであるが誰に読まそうとした記事なのか。
メーカー各社のOS/2サポートにも気合いが入ってきた.とりわけ動きが目立つのが富士通と日電である.先行したのは日本IBMだが,富士通、日電も昨年4月から5月にかけてOS/2をハイエンド マシンやOAWS用のOSの中核に位置付けると発表し,全力投球の構えを明らかにした.
富士通は昨年4月末にOS/2に関する製品戦略を発表している。要旨は……
(1) OS/2をMS-DOSまたは,APCS(F9450用のOS),OASYSの上位OSと位置付ける.
(2) アプリケーションパッケージをOS/2に順次移植する.
(3) サードパーティによるパッケージ開発のリクルーティングを推進し,1990年末までにOS/2用パッケージを300本に増やす――の3点である.
富士通は以前から独自アーキテクチャのF9450とMS-DOSマシンであるFMRとの統合を進めてきた。今回の発表ではこれをさらに推し進め,OS/2をハイエンドマシンや,WSの基本OSに位置付けると明言したのである。また,自社SEに対するOS/2教育にも力を入れている.今のところOS/2用アプリケーションはユーザー企業ではなく富士通が開発するケースが大半だからだ。「すでに大半のSEはOS/2の基本やワークステーション・マネージャ(WM),PMを使ったプログラミングなどの教育が終わった.新入社員教育でも必須科目にしている(富士通)」.
MS-DOSマシンで日電に大きく遅れをとった富士通は、お互いにゼロからのスタートであるOS/2で何とか巻き返したいと意気込んでいる.OS/2の潜在市場であるメインフレームは富士通のほうが圧倒的に多いという有利さもある.MS-DOSではソフト資産の蓄積が少ないゆえに苦渋をなめてきたが,OS/2では「仮にソフト資産が問題になっても,MS-DOSに比べ各社製品間の互換性は格段に高い」と述べ,楽観する.「シンプルな使い方をしているユーザーならF9450で十分だが,ホストコンピュータと連携しながら何らかの処理をこなす,あるいは複数ホストと接続する場合はOS/2になる.SISブームもあり,2~3年で当社ユーザーの9割はOS/2に移行する」と見る.
日本IBMも「1989年から全新入社員にOS/2を教育している。これでOS/2が分かる人材を増やし,普及させるために必要なインフラ作りを進める」と説明する.日本IBMは書店販売を目的としてOS/2解説書も自社で出版した。一般向けの書籍を自社で出すのはこれが初めてであり,日本IBMがOS/2普及に力を入れている証拠と言えよう.
国内パーソナル市場の最大手である日電は,昨年5月にN5200用のOS/2を発表,同時にPC-9801シリーズ用のOS/2とN5200用OS/2のAPI(アプリケーション・プログラム・インターフェイス)を統一すると発表した.
このために同社は「NEC日本語MS OS/2API共通規約」を作り,高解像度表示モードを持つN5200とPC-9801間でオブジェクト互換をとれるようにした。これまではN5200の標準OSであるPTOSはマルチタスク,PC-9801のMS-DOSはシングルタスクという格差があったが,N5200でもPC-9801でもOS/2が動くようになると差別化ができなくなる.日電は従来,N5200はホストコンピュータ接続を基本にしたWS,PC-9801は汎用パーソナルコンピュータという線引きをしてきたが,それが崩れたのである。
ここに至るまで日電のOS/2に対する取り組みは他社と比べ,いささか及び腰に見えた.ところが今回,一転して腰が座った感じである。これを象徴するのが,創立記念事業として昨年5月に竣工した新本社ビル「NECスーパータワー」に設置されたOAだ。同社はこのビル内のWS用OSにOS/2を選んでいる.当初2000台,1993年度までに6000台に増やすWSはすべてOS/2で動かし環境を合わせる.「MS-DOSはオンライン機能の面で問題があった。オープンなものを選ぶということでPTOSも除外した日電)」昨年の段階ではPTOSに決まったという話もあっただけに大逆転である.まだある。メインフレームと接続して使うビジネス用途のソフトウェアも,これまでは常にPTOS用がOS/2用に先行してきた.しかし,統合OAシステムのアラジンIIは昨年12月にまずOS/2版が出荷され,PTOS版は1991年春の出荷となった。明らかに優先順位が入れ替わっている.
しかし日電には弱点がある。他社に比べてメインフレームユーザーが極端に少ないことだ。従来ユーザーにOS/2をドンドン売っていくというわけにはいかない。そこで目を付けたのが小規模企業向けのセールスだ。「まずは,オフコンに手が出ないような小規模ユーザーのホストマシンとして売りたい(日電)」さすが,中堅以下の企業に強い日電ならではというべきか?「OS/2は,MS-DOSのように汎用のパッケージが多いから売れるわけではない。と言ってオフコンのようにオーダーメイドのソフトとも違う.サードパーティが定型業務ソフトを開発し、販売店がハードと組み合わせて売れるようにしたい(同)」。このためにまず開発支援ツールをそろえ,1990年内には小規模ユーザーのシステムを集めた事例集を出版するという.
ここまで,UNIXとOS/2について,ビジネス分野での普及を推進するハード/ソフトメーカーの取り組みを眺めてきたしかし,ビジネス市場を見るだけでは,OSの優位性を占うのに情報不足でもある。スタンドアロン環境のマシンを使う「個人ユーザー」についても検証を進めなくてはならない。後編は,個人ユーザへの展開とOS問題で一歩先を進む欧米での状況,さらにMS-Windows 3.0が引き起こした波紋を交じえ,「UNIXとOS/2のどちらが優位に立つのか?」をまとめる。
UNIXとOS/2前編1(月刊ASCII 1991年2月号7) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
ずっと分からなかったことがこの「ビジネス分野」だった。事業所のOA化つまりオフィス分野とは違うのかということだった。オフィスユースのパソコンは想像がつくが、ビジネス分野となると分からない。コンピュータをどのように使うのがビジネス分野なのか。ワープロ、表計算、データベース、お絵かきならオフィス分野で使うが、ビジネス分野では何を使うのか。MS-DOSのアプリじゃだめなのか。分からなかった。
ビジネスUNIXの時代だ!メインフレーマーの宣戦布告大型コンピューターを使うような大企業ではなくオフコンを使って総務・人事・営業管理等を行っている事業所がターゲットなのか。
エンジニアリング市場で築いた基盤をバネにUNIXがビジネス市場でも主役に躍り出ようとしてきた。以前から非メインフレーマー,外資系メーカーなどはビジネス市場への進出を果たすため,その武器としてUNIXマシンを続々と投入している.
オフコン対抗のUNIXマシンを投入している日本ユニシスや,UNIXを売りものにしたWSでコンピュータ分野に再参入した松下電器産業,エンジニアリング市場で積み上げた実績を基に打って出たソニーなどである。そうした背景を踏まえ、メインフレーマー各社も最近になっていっせいに重い腰を上げ始めた。
象徴的なのが、昨年9月の「IBMと日立製作所がUNIXで提携」とのニュース。翌日には富士通,さらにその翌日にはIBMがメインフレームの新機種を発表しているが,その直前のタイミングに発表されたIBMと日立の提携は,これからのUNIXを占う業界に強烈な印象を残した.今のところ両社の提携がどの程度根深いものなのかは不明だが,ビジネスUNIX市場の開拓にこの巨大なメインフレーマ-2社がいよいよ本格的に乗り出してきたと見て間違いない。UNIXの普及を図る実験時代は終わりを告げ,商業レベルでの活発な販売戦争が始まろうとしているのだ。
1990年はUNIXブーム到来の年中規模の事業所に専用アプリを入れたシステムを導入することがビジネス用コンピュータの役目なのか。そのシステム開発にUNIXを使うということなのか。よく分からない。
1990年を振り返れば、動きは遅かったもののメインフレーマー各社のUNIXシフトは年初から雪崩を打って始まっていたようにも見える.
日本アイ・ビー・エムが昨年1月にIBM版UNIXのAIXの営業戦略部門としてAIXセンターを新 設,これに続き日立,富士通,日本電気の国産メインフレーマー3社も相次いでUNIX専門の組織を作り,UNIX製品の開発・販売体制の強化に乗り出している.日本IBMや日電はディーラー網の整備にもいち早く着手。なかでも日本IBMは「1990年末までにUNIX WSの販売店を100社に増やす」と意欲を見せた。日本ユニシスや日本エヌ・シー・アールも,国産メインフレーマーの従来からのオフコン・ディーラーをUNIX製品の販売代理店として取り込みつつある.
UNIXシフトの動きはメインフレーマーや,UNIXビジネスでは先行した非メインフレーマー,外資系メーカーだけにとどまらず,オフコンディーラーやソフト・ベンダーにも波及している。オフコン・ディーラーでは日本電子計算や大塚商会,ソフト・ベンダーではSRAやアスキーが先頭を切ってビジネスUNIXの開拓に取り組んできた.「日本のビジネス市場でUNIXが果たして普及するのか」と言われて久しいが,各社の動きはそれを否定し,ビジネスUNIXの市場の拡大を告げているようだ。
ハードウエアの進化がUNIXを呼ぶ「官公庁を中心に」ってそこは大型コンピューター(メインフレーム)の世界だと思ってた。官公庁のシステムがオフコン並みの性能で大丈夫なのか。
昨年、急速にUNIX市場が盛り上がったのは,コンピュータのハードウェアが大きな転換期を迎えたことに密接な関係がある.
このうちのひとつが「ダウンサイジング(小型化)」の流れだ。従来の大型メインフレームに代わり、性能向上が著しい中小型コンピュータで業務処理を実行しようとするユーザーが日本でも増えている。使い勝手が良くコストも安くすむからだ。メインフレームとローエンド・パーソナルコンピュータの間に位置する、いわゆるワークステーションの領域ではUNIX以外に標準になるOS(オペレーティング・システム)は見当たらないとも言える.
2番目が「RISC(縮小命令セットコンピュータ)マシン」の普及である。高性能のRISCチップの登場でWSタイプの製品でもメインフレーム並みの処理能力を持ち始めた。今後,小型化がますます活発になると,カスタム化が容易なRISCマシンの市場が急速に拡大すると予想される。この分野でも,OSは移植性の高いUNIXの独壇場だろう(写真1).
最後の要因は「オープン・システム」の広がりだ。日本市場は欧米に比べればまだ遅れているが,官公庁を中心に特定メーカーの製品に依存しないオープンシステムを構築する動きが数多く見られる.さまざまなメーカーから自由に製品を選べる点はOS/2でも同じだが、実際のシステム導入数を見ると、現状ではUNIXの優位が目立つ。
転換期を迎えたコンピュータ市場の動向を見通すと,どのキーワードにもUNIXが関係している.だからこそ,OS/2を含めた独自の製品体系で強固な世界を築いてきたIBMでさえ,新市場開拓に当たってはUNIXに本腰を入れざるを得なくなってきたのだ。「どのメーカーもUNIXを無視できなくなった」と,メインフレーマーの幹部は声をそろえてUNIXの重要性を強調する。特に影響を受けそうなのが,先に触れたようなオフコン・ワークステーションを中心にしたビジネス用途のミッドレンジ領域だ。
オフコンを商品に持たない非メインフレーマーも「パソコンより少し上のオフィスWSやオフコンの代替機(松下電器)」,「当面のターゲットはサーバーやDTPといった新しい市場(ソニー)」などの分野をビジネスUNIXの目標にすると述べる。これらの言葉からは,ミッドレンジ領域にハイエンド・パーソナルコンピュータ自体も含めると言っているように感じられる。 これに比べてメインフレームやローエンド・パーソナルコンピュータの領域は当面UNIXが広く浸透する状況にはなく,メーカー各社も力を入れているようには見えない(図1)。しかし,ミッドレンジ領域にUNIXがどう広がるかによって事態一変の可能性も残っている.この数年の「ハイレンジ→ミッドレンジ」の流れを拡大すれば,「今後の2~3年でローレンジ領域にUNIXが広がることはない」との断言もできないからだ。
図1 今後,力を入れたいOSの支持推移(ソフトウェア研究所調べ複数解答),なるほど、ビジネスとはソフトハウスの業務のことだったのか。
パーソナルマシン用アプリケーション開発を主とするソフトハウスに,各年ごとの考えを求めた.UNIXへの偏重が若干感じられるが,MS-DOS/Windowsも伸びている.
PMの登場により活路を開くOS/2「累計出荷本数は約4万本」とか「4500本もあり」とか市場が狭すぎる。「今のままマイナーなOSとして消え去っていくのでは」そのとおりだった。だが、ASCIIの記事はOS/2への身びいきがすぎる。こういうことをしているから未来を見誤るということの実例である。失敗の歴史を知ることは大事だ。
ビジネスUNIXのこうした狙いが順風満帆に実を結ぶかといえばそうでもない。もうひとつのオープン・システムである強力なライバル「OS/2」の存在を忘れることはできない。UNIXがメインフレームという上からの展開を促進するならば,OS/2はハイエンド・パーソナルコンピュータという下方からミッドレンジ領域に挑む.パーソナルコンピュータ市場でのOS/2の健闘ぶりも見てみよう.従来,OS/2に関しては「普及のピッチが遅すぎる」、「今のままマイナーなOSとして消え去っていくのでは」といった声が大きかった.しかし,ビジネスUNIXと同様に発表から3年が経過し,1990年に入って日本でもようやく立ち上がってきた。これを裏付けているのがメインフレーマー各社のOS/2出荷本数だ。
たとえば,日本IBMの昨年5月末までの累計出荷本数は約4万本1989年の5月時点では1万本程度の出荷であり,最近1年間で3万本出荷したことになる.富士通でも昨年4月末時点で合計約2万システムの受注があった.この前後の数カ月に受注が急増したため,出荷できたのは5000本ほどだったという.日本IBM,富士通のOS/2ユーザーは両社のメインフレーム・ユーザーと同様,大手企業が多いことが特徴だ。日電の場合は昨年4月時点で受注・出荷とも1万2000本とやや少なかった.しかし,出荷本数のうち,1989年11月に出荷開始したOS/2 Ver.1.1が4500本もあり,やはり最近の急増が目立つ。
OS/2 Ver.1.1にはグラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)を実現するプレゼンテーションマネージャ(PM)が含まれている.このPMこそ,OS/2の普及の鍵とも言えるだろう。従来,ユーザーから難解と言われてきたOS/2の操作環境が,PM登場によって一変したからだ。
OS/2普及はMS-DOSの展開に比べて遅かったのか?不都合な事実から目をそむけているとこうなる。つまり、結論ありきで考察を加えるから「メーカー関係者は経験上OS/2の立ち上がりは早いと指摘している」というように自分の都合の良いことだけをピックアップしている。
とは言うものの,日本IBM,富士通,日電の3社を合計しても7万2000本。1989年度の32ビットマシンの出荷台数47万7000台(日本電子工業振興協会調べ)に比べると,わずか15%のシェアしか獲得していない。日本市場で80%のシェアを誇るMS-DOSと比較すれば,OS/2の普及はまだまだの感がある.しかし,OS/2普及のスピードはMS-DOSに比べ,それほど遅いとは言えない.1982年10月にPC-9801を発表した日電がMS-DOSを出荷開始したのが翌年1月,3年後の1986年9月でもまだBASICアプリケーションのほうがMS-DOSのそれより多かったのである.
MS-DOSとOS/2では機能やユーザ一層,競合するOSが異なり,しかもOS/2はMS-DOSのリプレースではない.それだけに単純な比較は禁物だが,UNIXやMS-DOSに携わってきたメーカー関係者は経験上OS/2の立ち上がりは早いと指摘している.
MS-DOSがローエンド・パソコンの標準OSになった時代との比較をもうすこし続けると,たとえば,富士通が主力OSをCP/M-86からMS-DOSに切り替えると表明したのは1985年夏.日電がMS-DOSを出荷してから2年半後に富士通もようやくMS-DOSを実質的な標準OSと認めたわけだ。ところが,今回のOS/2の場合はメーカー各社の足並みがそろっている.
OS/2導入はシステム強化のためWindowsでいいと思う。Windows NTが登場するとOS/2はいらないのではないか。OS/2はそんなに市場で歓迎されていたのか?
最近になってOS/2市場が立ち上がってきたのには,次のような背景がある.ひとつは企業間競争の激化に対処するため,ユーザーがシステム基盤を早急に強化する必要に迫られていること.MS- DOSには管理できる主記憶が1Mbytes以下という制約がある.MS-DOSは'90年代に通用するSIS(戦略情報システム)に役不足であるというのだ。16Mbytesの広大なメモリ空間利用や,マルチタスク処理が可能なOS/2はSIS運用に不可欠だ。
2番目はメーカー側のサポート体制が整ってきたことである。1989年末から1990年前半にかけて各社ともOS/2の本命と言われるVer.1.1の出荷を開始した.メーカー各社はこれと並行して社内のSE(システムエンジニア)に対するOS/2教育を強化し,ユーザーサポートを積極的に展開した。これまでは独自OSを搭載して販売を行なってきた富士通や日電などが「今後はOS/2を主力にする」と表明し始めたのも,OS/2導入意欲を刺激している.
また,OS/2はビジネスUNIXがターゲットにするミッドレンジ領域の中核主力市場も狙える立場にある。
1989年11月,OS/2開発者のIBMとMicrosoft社が「32ビット対応のOS/2を1990年度中に出荷。これをベースにRISCチップ用,マルチプロセッサ用のOS/2を開発する」と共同発表した.MS-DOSの後継(上位)OSという立場から一転し、OS/2はUNIXと張り合えるOSに進化したのだ。
32ビット対応OS/2の対象マイクロプロセッサ(MPU)は演算速度8MIPS(1MIPS=100万命令/秒)の「80386」か同18MIPSの「80486」UNIXのようにスーパーコンピュータやメインフレームで動くことはないが,80386や80486を複数個動かすマルチプロセッサマシンの性能はメインフレームに匹敵するともいう.この上でOS/2が走るならば,パーソナルマシンからオフコンまでを同じOS/2で統一できる.
しかもOS/2は、IBMのSAA(システム・アプリケーション体系)の基本になっていることからも分かるように,既存システムとの親和性が高い。各メーカ一のマシンで動くオープン性もUNIXとほとんど変わらないし,アプリケーションも1990年になってからかなり出そろってきた.
UNIXとOS/2ビジネス分野を制覇するのはだからビジネス分野というのは「ソフトベンダー」などシステムやソフトを開発する会社の業務分野ということでいいのか。
1989年11月に行なわれた「32ビット対応OS/2,RISCチップ用OS/2,マルチプロセッサ用OS/2の開発・出荷」に関する発表は,「UNIX普及に危機感を抱いたIBM,Microsoftが新OS/2でUNIXに対抗することを表明したもの」と言われている。両社の積極的な戦略から見ても,ビジネスUNIXとOS/2がいずれ真正面から競合するようになることは確実だ。果たしてUNIXとOS/2のどちらがビジネス市場での地位を確立できるのだろうか.
「この2つのオープンシステムはどちらもそれなりに市場を分け合って普及していく。どちらを選ぶかはユーザーの趣味の問題」と多くのメーカーは見るが,本当にそうなるのか?UNIX,OS/2それぞれのメーカー,ディーラー,ソフトベンダー各社の動きを通して'90年代の主流OSを占ってみたい。
スクリーンセーバー(月刊ASCII 1991年2月号6) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
「Macintoshを楽しもう」の第9回はスクリーンセーバーだった。
スクリーンセーバーといえばPC-9801では「FreeWay」を使っていた。
夜の高速道路スクリーンセーバー
職場の先輩達には遊びだと思われたくなく「画面の焼き付け防止です。電源をディスプレイの電源を切ると、パソコンが止まっていると思われてしまて電源スイッチを押されたりすると困るのでパソコンは動いていますよとアピールするためです」と説明が必要だった。
ちなみにパソコンモニタの焼き付けは本当に起こる。とくに分析機械のモニタでは焼き付けが顕著だった。
後、花火のスクリーンセーバーもあった。どれを使っていたのかは思い出せない。
もう一つのPyro! Ver.4.0は省略する。
MINIXのコラム記事があったのでスクラップする。
スクリーンセーバーといえばPC-9801では「FreeWay」を使っていた。
夜の高速道路スクリーンセーバー
職場の先輩達には遊びだと思われたくなく「画面の焼き付け防止です。電源をディスプレイの電源を切ると、パソコンが止まっていると思われてしまて電源スイッチを押されたりすると困るのでパソコンは動いていますよとアピールするためです」と説明が必要だった。
ちなみにパソコンモニタの焼き付けは本当に起こる。とくに分析機械のモニタでは焼き付けが顕著だった。
後、花火のスクリーンセーバーもあった。どれを使っていたのかは思い出せない。
Mac in the Groove!After Dark懐かしい。Windowsにも移植されて定番のスクリーンセーバーだった。うちでもMS-DOSの時代はFreeWay、Windowsの時代はAfter Darkだった。
ScreenSaverで遊ぶ
パソコンのCRTは,同じ画面を表示したまま長時間放置しておくと焼き付きを起こしてしまう.たとえば,旅館や喫茶店の片隅においてあるテーブル型のゲーム機で,電源が切れているのにそのゲームのタイトル画面がCRTにうっすらと,っていうのを見たことがあるだろう。これを防止するのが,スクリーンセーバー(Screen Saver)と呼ばれるユーティリティだ。
スクリーンセーバーの基本機能は,ユーザーがマシンを操作していない間は画面を暗くして,CRTの焼き付きを防止するというものだ。単に画面を暗くするだけでは電源が入っているのかどうか分からないので,なんらかの動きのあるグラフィック(あるいはテキスト)を表示するものが多い。
で,そこは遊び心の溢れるMacだから,単純に画面を暗転するものからちょっとしたジョークになっているものまで,実にさまざまなプログラムが古くから存在してきた(図1).
最初はDAタイプが主流で,ちょっと席を立つときにでも呼び出しておくと,画面が暗転してアイコンがあちこちでフラッシュするといったものがポピュラーだった.
ここ数年は,INIT/cdevプログラムのスクリーンセーバーが一般的になってきた.これは,あらかじめ指定した時間マウスやキーボードの操作がないと,自動的にスリープ(画面が暗転)するというもの。それらのほとんどは,フリーウェア/シェアウェアとして配布されているものばかりだった。
ところがこの1年ほどの間に,それまで多数乱立していたスクリーンセーバーの状況が一変してきている.それは,今回ここで紹介するモジュールタイプのスクリーンセーバーの登場によるものだ.
・After Dark Ver.2.0
Berkeley Systems,Inc.
39.95ドル
・Pyro Ver.4.0
Fifth Generation Systems,Inc.
24.95ドル
この2つが,問題の(?)モジュールタイプのスクリーンセーバーだ。ここで言モジュールタイプとは,各種スクリーンセーバーに共通なシステムとのインターフェイスやユーザーインターフェイスとスリープ後の画面の動作を司る部分を分離したもの。インターフェイス部分を「器」として,画面の動作部分を切り替え可能なplug-inプログラム(モジュール)としている。つまりユーザーは,スクリーンセーバープログラムそのものを入れ替えることなく,モジュールを切り替えるだけで簡単に,実質的にまったく異なったスクリーンセーバーを楽しめるというわけだ。
前置きが長くなったが,実際に2つのスクリーンセーバーがどんな様子になっているのかを紹介していこう。まずは,After Darkからだ.
究極のスクリーンセーバー!?当時この設定画面は画期的だったと思う。やはりMacはいい。98はダメだと思った。
After Dark Ver.2.0
バージョンナンバーから分かるように,After Darkの2代目になる.Ver.1.xからの主な変更点は,より多くのモジュールを添付したこととカラーに積極的に対応したこと,サウンド機能を付加したことの3つがある。スリープ中の演出に効果音まで出せるとは,感心するというか呆れるというか……。まあ,とりあえずはインストールしてみよう.
After Darkのディスクから,After Dark本体とモジュールプログラムを収めた「After Dark files」フォルダの2つをSystemFolderにコピーする。あとはリスタートすれば,もう使用可能だ。After DarkはINIT/cdevタイプのプログラムなので,各種の設定はControl Panelから呼び出して行なう(図2).Control Panelでは,左側に使用可能なモジュールの一覧,右側には各モジュールのオプション設定のパネルという構成になっている.基本的な操作法は,モジュールの一覧から使用したいモジュールを選択し,さらに好みに応じて右側のパネルでオプションを設定するというものだ。そのモジュールがどのような動作をするか,あるいはオプションの設定でどのように変化するのかは,「Demo」ボタンをクリックすれば確認できる.
ユーザーからのアクションがなくなってからスリープするまでの時間や、明示的にスリープする(しない)マウスのポジションなどのグローバルな設定は,マスタースイッチの下にある「When」ボタンをクリックして呼び出すダイアログで行なう(図3)。ここで設定できる「SystemIQ activity monitor」というオプションは、CPUの処理の重さやディスクアクセスの頻度を監視して,それがあある程度以上のレベルに達しないとスリープしないというもの。つまり大量の数値演算や数式処理,3DグラフィックスのレンダリングなどCPUの負荷の高い処理を行なっている最中は,スクリーンセーバーが起動してさらに負荷を高める(結果的に処理が遅くなる)ことがないようにとの配慮がなされているわけだ。
そして、目玉のモジュールは標準で31種類が添付し,After Dark本体に内蔵されている標準の「Starry Skyline」を含めて選択できるのは32種類という豊富さだ.ここではそのすべてを紹介できないが,主だった特徴的な機能を持ったものをいくつか紹介しておこう.
●暗くなったらShow Time!?Windowsでも見た。ディスプレイの解像度が上がったのでそれはもう綺麗な水槽が表示された。
まずは,「Fish!」というモジュール.スリープすると,画面中を色とりどりの魚が泳ぎ回る(図4)。画面に現われる魚の数や泳ぐ速度はスライダで設定できる.また,標準で16種類用意されている魚(カニや海草も!)から,特定の何種類かを選択もできる(図5)。
Fish!というと,同名のINIT/cdevタイプのジョークプログラム「Fish! Ver.2.0(Shareware:19.95ドル)」を覚えている人もいるだろう.こちらのFish!もスクリーンセーバーなのだが,アプリケーションの操作中にもデスクトップ画面に魚が泳ぎ回るというものだ。実はこのモジュールは,ジョークプログラムのFish!と同じBougs Software社製After Darkのモジュール版とオリジナルのFish!は,魚のアニメーションデータが共通になっている。そのため,オリジナル版Fish!のアニメーションデータを編集する機能「Fish editor」でユーザーが作成したキャラクターを,After DarkのFish!でも利用できるんだ.
続いては,「Satori」という東洋趣味的(?)なネーミングのモジュール。こちらは波打つようなイメージの,ちょっと幻想的なグラフィックスアニメーションを画面中に展開する(図6).
ほかにも,「Flying Toasters」や「Spotlight」,「Can of Worms」など幾何学的な模様をアニメーションで表示するモジュールや動きのあるユニークな演出のものがいくつも揃っている(図1,8).また,グラフィックス(PICTファイル)を次々に表示する「Slide Show」や、アニメーションの標準フォーマットのPICSファイル(注1)を呼び出す「PICS Player」など,ユーザーの作成したデータを活用できるモジュールまである.フライングトースターは超有名だった。とにかくトースターに羽が生えているというところでもう笑ってしまうし、なぜ飛ばすとツッコミんでしまうスクリーンセーバーだった。
注1:PICSは,以前コラムで紹介したMacroMind社のDirectorやPalacomp社のSwivel3D Professional(3Dグラフィックソフト),Electronic Arts社ののStudio/1(モノクロペイントソフト)をはじめとする各種グラフィックソフトで作成できるカラー/モノクロのアニメーションファイルフォーマットである.
ここで例に挙げたモジュールは,どれもスクリーンセーバーとしての役割を果たすものだ(当たり前)。だが,After Darkには、他のモジュールを活用するためのユーティリティに類するモジュールがある。そのひとつが,MultiModuleという、複数のモジュールをひとつの画面に組み合わせて表示するものだ(図9).複数のモジュールを重ね合わせて表示できるので,「星空を飛び交うトースター」のようなノリの演出を。ユーザーの好みで設定できるのだ。もうひとつはRanomizer.気に入ったモジュールをいくつか選択しておくと,スリープするたびに異なるモジュールを表示してくれる.
もう一つのPyro! Ver.4.0は省略する。
MINIXのコラム記事があったのでスクラップする。
MINIX:箱庭OSでコンピュータを学ぶMacユーザは恵まれていた。ただし、英語力が必要だった。私はダメだった。
UNIXは,米国AT&Tが開発しライセンスするオペレーティングシステムだ.MINIXは,そのAT&TのUNIXVer.7とシステムコールレベルでコンパチブルなオペレーティングシステムで,しかもフルソース付き.Andrew S.Tanenbaum氏を中心とした人たちが,大学教育でAT&Tのライセンスの必要ない学習用OSを,という趣旨で開発したものだ.
そのMINIXのMacバージョン(Ver.1.5)が,先頃リリースされた.
・MINIX 1.5 for The Macintosh
Andrew S. Tanenbaum
Joseph Pickert
Johan W. Stevenson
Prentice Hall社刊
211.50ドル
Mac版MINIX(以降MacMINIXと記す)は、8枚のフロッピーにカーネルをはじめ以下のようなプログラム/ファイルが付属する.
・K&R(ANSI)準拠のCコンパイラおよび255個を超えるライブラリ
・ed,ex,vi,emacsに準ずる4つのエディタ
・awk,grep,makeをはじめとする175種類を超える各種のユーティリティプログラム
・Cコンパイラ本体を除くすべてのソースコード
と,そのままでUNIXの雰囲気や基本的なオペレーションを学ぶには十二分な内容を持っている.しかし,何と言ってもその魅力は、ほとんどすべてのソースコードが付属することだろう.他機種と共通のバインダ式のマニュアルは680ページのボリュームで,その約半分はソースリストだ.
MacMINIXは,フロッピーディスクでも動作するが,実際に利用するためにはハードディスクが必要になる.必要なディスク容量は、最低限のインストールに10Mbytes,カーネルの再構築などCコンパイラを十分に活用するためには,20Mbytesほどあればよいようだ.
MacMINIXをブートすると,標準でTTY0とTTY1の2つのキャラクタコンソールが用意され,さらにシリアルポート(モデムポート)がTTY2としてイニシャライズされる(図)。他のパソコンをクロスケーブルで接続すれば,端末として利用できるZMODEMを介してのPC-9801~MacMINIX間のファイル転送などはお手のものだ.TCP/IPなど本格的なネットワーキングには対応していないが,これだけでも気分はけっこう盛り上がる(^^).
OSのふるまいや、その実際的なアプローチをプログラムのソースコードを読みながら確かめられるのは,このMINIXくらいのものだ.模型のジオラマのように,まさにユーザ自身の手の内にあるといった雰囲気で楽しめる。自由になる分だけ誰にでも勧められるわけではないけれども,ちょっと腕に自信のあるホリデイプログラマや真面目にコンピュータを勉強したいというむきには,本当に魅力的な教材だ(注).
ところでこのMINIX,購入にあたってひとつ注意しておかなければならないのは,ソフトウェアパッケージではなく書籍として販売されていることである.そのため,実際に動作するソフトの入ったフロッピーディスクは付録の扱いで,レジストレーションカードなどは含まれていない。つまりユーザーサポートなどは,基本的に行なわれていないということだ。しかし,国内販売の問い合わせ先である(株)ビレッジセンターにうかがったところ,ユーザーサポートはないものの,フロッピーディスク不良時の交換など基本的な対応はしてもらえるそうだから安心してほしい。
PC-9801NV/DX,VZ兵頭嘉彦氏インタビュー(月刊ASCII 1991年2月号5) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
PRODUCTS SHOWCASEからPC-9801NVとPC-9801DXをスクラップする。
Windows 3.0の件だが、640×400ドットの日本語環境(文字フォントが16ドット)でWindowsなんて常軌を逸している。この時点ではWindows 3.0は考えなくて良かった。
PC-9801DX
MIFESとVZの比較記事があった。VZに関してのみスクラップする。
なにしろVZはほれ込んだソフトだった。
ソフトウェアを捨てる(TurboC他)
以下過去の記事を再掲する。
---- ここから ---
高機能なのに安かった。コピーする人が多かった時代、周りに是非購入するようにと勧めていた。このソフトが出てありがたかったし使いこなしたと思っている。
以前からの私の主張は
・プロテクトがかかっているからコピーに挑戦する。かかっていなければコピーしない。
・高価だからコピーする。安ければコピーしない。
これに対し、知人は
「そんなことはない。コピーする人間は、ノンプロテクトだろうが安かろうがコピーする。」
と反論してました。
VzEditorは買ってもらえると思って盛んにユーザーを増やそうと努力したのですが、知人の意見が正しいと納得しました。コピーユーザーは良心の呵責がないのです。心に痛みを、負い目を感じてコピー品を使っていた人間しか購入しないものです。
---- ここまで ---
作者の兵頭嘉彦氏のインタビューをスクラップする。
286マシン相当になったV30が速いのか80286が遅いのか、V30HL(16MHz)と80286(12MHz)が同じくらいの速度だった。返す返すもPC-9801VMを買わなかったのが最大の間違いだった。PC-9801VX2は8086ではないと言って買うのではなく、もっと早くV30は8086ではないと言って買っておけば恨みつらみと共にパソコンを使わずに済んだ。V30は良いCPUだったと今でも思っている。速度は正義だ。
PC-9801NV(以下NVと略す)はCPUにクロック周波数16MHzのV30HLを搭載,液晶には,PC-9801NSと同じ冷陰極管サイドライトを採用している。その他の基本スペックはPC-9801Nとほぼ同じで、2HD互換のRAMドライブやプリンタなどの各種端子は,並び方もそのままに収められている.
気になる動作速度だが,編集部のベンチマークテストでは,12MHzの80286相当のパフォーマンスを実現している.上位機のPC-9801NSとの比較で言えば,かけ算で大差がついたほかは,おおむね2~4割減というところで,Nとの距離でいえばずっとNSに近い(図1)。
普段PC-9801RXなどを使っている人なら,ほとんどデスクトップそのままの環境がNV上で実現する。24万8000円でモニタ付きの普及型デスクトップビジネス機に匹敵する機能をワンセットで揃えられるのはなんといっても安い.ただ,CPUがV30であるためプロテクトメモリが使えない。すなわち,MS-Windows(あるいは今春と噂されるWindows3.0)などを使うには制約が多い.
Windows 3.0の件だが、640×400ドットの日本語環境(文字フォントが16ドット)でWindowsなんて常軌を逸している。この時点ではWindows 3.0は考えなくて良かった。
ついにレジュームを装備遅きに失している。今頃レジュームかよ。そうは言ってもNECが心を入れ替えたとも言えるPC-9801NVは良い機械だったと思う。持っている人は知らなかったけど。遅いんだよ。
NVの注目点はやはり,レジューム機能の装備と,初のオートパワーオフ機能だろう.
レジューム機能は,電源遮断時のメインメモリや画面などの情報をバックアップしておき、再度電源を投入したときに,電源遮断時の状況を瞬時に再現する機能.いつでも気がねなく電源を切ることができるので,持ち運んで使う人には,ブート時間の節約とともにメリットは多い.レジューム機能は,次の3つの場合に働く.まず,ユーザーが電源スイッチを切った場合。次に,後述する「オートパワーオフ」によって電源が切られた場合.最後に電池の消耗によって電源が切れた場合である。
PC-9801互換機ではすでにPC-386NOTE Aがレジューム機能を装備しているが,使い勝手はNVのほうがよいようだ。たとえば,NOTEAでは電源投入後10秒ほどキー入力を受け付けないのに対して,NVではほとんどすぐに(3秒程度)動作が続けられる。また,NOTEAでは電源消耗によるシャットダウン後90分でレジューム内容が失われるのに対し,NVでは5時間保持してくれる.
PC-9801DX
内部で変更された点としては,まず増設メモリの強化があげられる.従来機種ではメイン基板に増設RAMボードを差し,その上に増設RAMサブボードを最大4枚まで装着するもので,最大3Mbytesまでしか増設できなかった.これに対し,DXでは最大10Mbytesのメモリ搭載可能な増設RAMボードのほかに,さらに2Mbytesまで増設可能な増設メモリコネクタがある.拡張スロットを使用することなしに12.6Mbytesまでメモリを増設でき,拡張スロットにメモリボードを装着すれば最大14.6Mbytesまでのメモリ増設が可能だ(図1).メモリの増設が如何に面倒だったかが分かる図だ。
FM音源は,従来はEXなど3.5インチ機を中心に搭載されていたが,DXでは全モデルに標準搭載されている.PC-9801シリーズでは,FM音源とHDDインターフェイスを使用すると,EMSが事実上使用できないという問題がある.これは拡張ROM領域にサウンドBIOSとHDDBIOSを配置すると,EMS用のページフレーム領域が十分に確保できなくなるためだ(図2)。PC-9801はゲーム機としても使われていたのでFM音源を使うことがあった。職場ではFM音源は使わないし、家ではゲーム機が他にあったので98のゲームをする機会はほとんど無かった。
DXでは,FM音源を後述するシステムセットアップメニューで切り離すことができる.従来のFM音源搭載機種では,基板上のジャンパスイッチを切り替える処理が必要だった.FM音源を簡単に切り離すことができるようになったので,HDDとEMSを使用する人にはありがたい機能だ。
MIFESとVZの比較記事があった。VZに関してのみスクラップする。
なにしろVZはほれ込んだソフトだった。
ソフトウェアを捨てる(TurboC他)
以下過去の記事を再掲する。
---- ここから ---
高機能なのに安かった。コピーする人が多かった時代、周りに是非購入するようにと勧めていた。このソフトが出てありがたかったし使いこなしたと思っている。
以前からの私の主張は
・プロテクトがかかっているからコピーに挑戦する。かかっていなければコピーしない。
・高価だからコピーする。安ければコピーしない。
これに対し、知人は
「そんなことはない。コピーする人間は、ノンプロテクトだろうが安かろうがコピーする。」
と反論してました。
VzEditorは買ってもらえると思って盛んにユーザーを増やそうと努力したのですが、知人の意見が正しいと納得しました。コピーユーザーは良心の呵責がないのです。心に痛みを、負い目を感じてコピー品を使っていた人間しか購入しないものです。
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(前略)アセンブラで書かれたプログラムは軽快で気に入っている。他のもっさりとしたアプリも全部をアセンブラで書けとはいわないが、速度が必要な部分はアセンブラで書けよとずっと思っていた。
一方のVZは,商品とフリーソフトウェアの中間的な存在ともいうべき,きわめてユニークなソフトウェアである.ひとことでいえば,作者の兵藤嘉彦氏の個性で作られ,それがたまたま売られているというような感じすらある。また,細部の作りはある種の美学で貫かれており,常駐モードやカスタマイズの機能などエキセントリックな作りになっているそして,9800円というこれまた型破りな価格設定が特徴だ.
MIFESとVZの基本スペックを表1に示す.VZは,すべてアセンブラで書かれているだけあって,必要とするシステム資源は,MIFESよりも小さくてすむ.
VZにしかない魅力スクラップしてやっと思い出せた。この環境が当たり前となっていたので忘れてしまったのか。MS-DOSが便利になった。これらはUnixを使っていた人からみると当たり前だろうが、逆に言えばVZがあればUnix環境に似た拡張MS-DOSを使っていたようなものだ。
常駐モードのパラダイス
常駐モードは,-zをオプションをつけて起動してやることで,プログラムをメモリの一部に残したまま終了するモードである.したがって,このように常駐した後は、何もなかったかのようにMS-DOSのプロンプトが表示された状態となる.この状態で,ESCを押すといきなりVZのファイル名の入力をうながす窓が開いて,たしかに常駐していたのだということが分かる.VZが常駐することで,占有されるメモリは50Kbytes程度だが,EMSをフルに生かせばわずか2.5Kbytesしかメモリを圧迫しない.
しかし,常駐モードの本当の魅力は,VZをいちいちディスクから読み出すことなく瞬時に起動できるといったことよりも,一見何も起こっていないかのように見えたMS-DOSのプロンプトの状態で働くものなのである.
コマンドラインの環境が変わる
たとえば,マルチステートメントが使えるようになる.これは,";"によって複数のコマンドを区切って1行で指定して実行できるものだ。しかし,このマルチステートメントもエリアス機能と組み合わせてこそ真価を発揮するともいえる。エリアス機能は,DEFファイルに登録しておくことで,あるコマンドを別の名前で実行できるというものだ。たとえば,DEFファイルに次のように指定しておけば,“cl file"と入力することで“del file.bak ; del file.$*”が実行される.マルチステートメント機能と併用すれば,短いバッチファイルを作る必要はなくなる.
cl del%1.bak ;del%1.$*
ヒストリ機能は,入力したコマンドを覚えていて,カーソルキーなどによって過去に入力したコマンドを呼び出し,必要なところだけ書き直してまた実行できるというものだ。MS-DOSのテンプレートをずっと強力にしたものと考えればよい。
コマンドラインのヒストリ機能は,MIFESでは,子プロセスでのコマンド実行環境として利用できるが,VZでは,コマンドラインだけでなく、検索文字列,置換文字列,複写文字列,ファイル名などの入力でも同じ考え方でサポートされており,MIFESよりもずっと使い勝手をよくしている.
ファイラはビジュアルシェル
VZを起動するとファイル名入力のための窓が開くが,ここでリターンキーを叩くと,ファイラが立ち上がる.一見地味な画面だが,市販のファイル操作ユーティリティやビジュアルシェルと呼ばれているもの(File Masterやエコロジー)の機能の多くをカバーしてしまう.
たとえば,「Mask」という機能は,ファイルの一覧を指定したマスたとえば拡張子が“doc"と"txt"のものだけ)に合ったものだけを表示するようにする.「Sort」は,文字どおり並び順を指定するもので,たとえば作成・変更日時の新しいものから順に並べるなどといったことができる。このほかにも,ディレクトリの変更や表示方式の変更,さらには2つのディレクトリの内容比較といったことまでできてしまうのである(写真8).
おまけに,ファイル名の並んだ窓でスペースバーを押すことでファイルを選択しておき,それらの一括削除,コピー,パック/アンパック(別途アーカイバが必要)などが可能なのである.
コンソール出力バックスクロール機能
VZを常駐させた状態で,SHIFT-ESCを押すと,VZを起動するまでのMS-DOSのコンソール出力がそのまま編集テキストとなる(常駐させてないときには子プロセスで実行した結果の出力が対象となる).ちょうど通信ソフトのバックスクロール機能のような感じだが,このMS-DOSのコンソール出力は,ほかの普通のテキストファイルとまったく同じ扱いなので,編集したりほかのファイルにカット&ペーストしたりすることもできる(写真9).
こうした環境は,形は異なるが近い効果を提供するフリーソフトウェアのxscript(Oka氏による)はあるが,自然な形でエディタに取り込んでしまっているケースはほかにはない.
テキストスタック
VZでは,ブロックのカット&ペーストの際に,カット(またはコピ-)したテキストは,スタックに積まれる。MIFESでは,2回カット&ペーストを行なうと,以前のカットバッファの内容は,どこかにペーストしなければ消えてしまうが,VZではテキストスタックがあふれない限り保存されており,遡ってペーストできる。
作者の兵頭嘉彦氏のインタビューをスクラップする。
――作られた動機みたいなものは?ASCIIには、こういう作者のインタビューとかあるのが嬉しかった。
兵藤 ようするに98U2を買って,とにかくエディタがないとプログラムが組めないから作ったと。そういうわけです。それまで,日立のS1というパソコンでエディタ作っていたので,そのへんのノウハウやアイデアがあったんです.
――なるほど。それでは開発コンセプトなんかは?
兵藤 自分が入れたい機能と,ほかの人の要求で「これはいいアイデアだ」と思った機能をかいつまんで入れることです.
――特にユニークというか,意識して入れた機能とかありますか?
兵藤 たとえば,テキストスタック,スムーズスクロール。あとインジケータですね,1番上のラインに出ている。意外と知られていないけれども,タイトルサーチなんかもそうです.
――なるほどね。ポリシーのようなものとかはないんですか?
兵藤 やっぱり「使いやすい」ということに尽きるんじゃないですか.それと,必要性の低い機能は入れない.
――アセンブラで書かれたのは,やはり小さいものを作ろうということですか?
兵藤 当時,C言語をまだ知らなかっただけです.それまでもアセンブラでしたし,アセンブラのほうが何かと容易だったわけです.あえてアセンブラで書こうというのではなかったのですよ.
――常駐モードというのは,どういうつもりで作ったんですか?
兵藤 いままでhistory(Oka氏によるフリーソフトウェア)とか使ってたんだけど,当然キーアサインがVZと違うでしょ.もっと統一できないかなぁと.それにTSRとかいっぱい組み込むのも嫌だった。
――これからVZはどんなふうになりますか?
兵藤 うーん,いろいろあります.たとえばマウスの対応はしたい。でもしたいというだけで,やるかもしれないし,やらないかもしれない。早い話がMIFESがやればやります.やっぱり、パソコン通信のログとか見るときなんか,マウスでボーっとやりたいですよ.あと、本当にやりたいのといったら,テキストの読み込みがいまけっこう単純なことをやってるんで,ちゃんとページごとに管理して,もっと速くしたい.
パソコン'91年はこうなる。HDD,FDD,MO他(月刊ASCII 1991年2月号4) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
特集の「パソコン'91年はこうなる」から外部記憶装置とかをスクラップする。
32年前のハードディスク状況はもう思い出せない。記事を読んでもそうだったかなという感じだ。
取説を捨てる(PC本体関係他)
パソコン広告(月刊ASCII 1988年6月号1)
買ったのはいつだったかは覚えていない。
コラム記事をスクラップする。
プリンタの話は写真だけスクラップする。
キヤノンのBJ-10は持ち運べるプリンタとしては良いデザインのプリンタだと思ったけどオフィスでの需要は無かったと思う。個人でも家では普通のプリンタを使っていた。ヒットしたのだろうか。
この光景懐かしい。用紙を箱から出さずに使ったものだ。
ソフトの記事も図、写真をスクラップする。
仕事で使うソフトは一太郎とLotus1-2-3だ。逆に言うとこれらを使うためにパソコンを購入していた。
アシストカルクが検討していたとは知らなかった。
'91/1のランクで表計算・ビジネスの1位に印が無いのはなぜだったのだろうか。
女性ユーザとか家庭内での使われ方の図があった。
女性ユーザは1割だった。
家庭にあるパソコンはデスクトップが大半だった。当たり前だ。
パソコン通信の仲間を増やすためにMSXパソコン購入を手伝い、モデム、ソフトをセットアップしにいったこともあった。私たちはパソコン通信を広める宣教師のような者たちだった。
HABITATはセカンドライフの前身ともいっていいものだと思う。メタバース?30年以上も経ってからいまさら何を言ってるんだと思う。
32年前のハードディスク状況はもう思い出せない。記事を読んでもそうだったかなという感じだ。
ハードディスクはまだ安くなるのか図をみるとHDDの価格低下が鈍化していた。大体10万円位に下がったところで買っていたので40MbytesのHDDを買っていた。ウィンテクのHD404HSで40MB, 平均アクセスタイム 28ms。
本誌ではここ数年、毎年6月号にハードディスクの特集を掲載してきた.この特集中で,'88年は20Mbytes,'89年は40Mbytes,そして,'90年は80Mbytes~100MbytesのHDDが買いごろであるとしてきた.では,今年の夏ごろには,どのようなHDDが購入対象の主力として登場するのだろうか.
去年までは,HDDの1Mbytes当たりの価格は、1年ごとにほぼ半減するという動きを見せてきた(図1).そして,定価で10~16万円前後の製品が,金額的にも容量的にも,各時点で最も買いやすい製品帯であったわけだ。
しかし、この価格の動きも若干変わってきている。去年の夏以降それほど下がっておらず,また新製品の数も少なくなっている。HDDの価格が下がらないひとつの原因に、人手不足がある。特に人手に頼らざるを得ない精密さと,無塵施設が必要になるヘッドまわりのアセンブル,メディア本体(円盤の部分)の供給不足が深刻化しているという.また,ノート型マシンの内蔵用ドライブに使われている2.5インチドライブも,供給が追い付かずに依然高値が続いている.
結局,HDDに関しては劇的な低価格化は期待できそうもない。しかし,100Mbytesクラスの製品は、現時点でも実売価格が下がり続けており,10万円前後になる可能性は十分ある。それ以上の200~600Mbytesクラスの製品に関しては大きな変化はないだろう.
取説を捨てる(PC本体関係他)
パソコン広告(月刊ASCII 1988年6月号1)
買ったのはいつだったかは覚えていない。
大容量HDDははたして必要なのかなんとのどかな時代だったのか。数メガで話が済んでいた。まあ、動画はおろか静止画(640×400ドットで16色)すら保存していなかったのだからそんなものだ。「40Mbytesクラスの製品は,市場でもあまり見かけなくなるかもしれない」私はそんな製品を買ったのだ。
では,アプリケーションを使う立場で見たときに,どのくらいのハードディスクが必要になるのだろうか.実は,アプリケーションが必要とするHDDスペースは,ここ2~3年ではほとんど変わっていない。膨大なフォントファイルを必要とするDTPソフトを除けば,アプリケーションのサイズ自体には変化はない.また,Worksなどのコンパクトな統合ソフトも登場して,個人ユースなら必ずしも大きなディスクスペースを必要とはしない。
一方で気になるのはWindows3.0だ。PC-9801用のWindows2.11の場合,供給されるフロッピーディスクは5枚,インストールした状態で2~3Mbytes程度のスペースが必要だった.Windows3.0では,5~6Mbytes程度のディスクスペースが必要になると予想される。このほかにWindows用のアプリケーションや、テンポラリファイルのスペースを考えて,8~10Mbytes程度の空き領域が必要になるだろう.
Windows3.0自体はこの春から登場することになるが,アプリケーションの登場はさらに先になる.そこまで見越したうえでなら,80Mbytesを超えるHDDを導入する価値はある。結局は,アプリケーション以外に使う領域(データベース,BBSのログファイルなど)がどれだけ必要になるかにより,パソコンをどのように使っているかで必要とするHDDの容量も変化すると考えたほうがよい.以上の点から考えて,これからHDDの導入あるいは買い替えを考えているのならSCSIインターフェイスの100Mbytesドライブを個人ユース,オフィスユースいずれにもお勧めする。40Mbytesクラスの製品は,市場でもあまり見かけなくなるかもしれない.
大容量FDDは登場するのか2HD以外の用途は無かったと思う。市販のソフトは2HDなので2EDドライブが有っても宝の持ち腐れだ。バックアップ専用でもメディアが高いし、2HDの倍程度では魅力がない。「ユーザーにとっては技術的に確立しているのなら一気に2TDにまでいってほしいところだ.」とあるが一般ユーザにとっては別にそんな希望はなかった。
FDは2HDタイプ(アンフォーマット2Mbytes)のものが広く使われるようになって久しい.いまや,2DD専用ドライブの装着率は,2HDも読み書きできるドライブの10分の1しかない。2HD以上の容量を持つFDDについては,日本電気のPC-88VA3の10Mbytesドライブ(2TD)など,ごく限られた範囲にとどまっていた。
しかし、この状況も今年からは少しずつ変わってくるだろう.アンフォーマットで4Mbytes(フォーマット時2Mbytes)の“2ED”ドライブは,従来の2HDドライブとヘッドまわりなどの基本構成が変わらず2HDディスクの読み書きが可能なため,普及する可能性が高い(表1)。パソコンではないが,NeXT stationなどではすでに搭載されている.また,MS-DOS Ver.5では、DOSレベルで2EDのFDD(フォーマット時2.88Mbytes)のサポートが予定されているという.早ければ,今年中にも内蔵のマシンや,外付けドライブが登場するだろう.
一方の2TDだが,こちらはドライブやヘッドの構成が2HDのものとは大きく異なるため、従来メディアとの互換性がとりにくい(この点に関しては改善されつつあるようだが)。また,標準化作業も現在進行中ということもあり,今年中に2HDにとって代わる可能性は少ない.しかし,フォーマット時10Mbytesという大きさは,大容量ハードディスクのバックアップや画像データの供給媒体としては非常に魅力がある.将来的には2EDから2TDやそれ以上の容量を持つメディアに移行するのは,火を見るより明らかなので,ユーザーにとっては技術的に確立しているのなら一気に2TDにまでいってほしいところだ.
単位 | 2HD | 2ED | 2TD | |
磁性体 | ―― | コバルト・ エピタキシャル | バリウムフェライト | 合金磁性体 |
保磁力 | Oe | 730 | 750 | 1500 |
塗膜厚 | μm | 0.9 | 2.0 | 2.0 |
記憶容量 | Mbytes | 2.0 | 4.0 | 13.5 |
最大 線記録密度 | kbpi | 17.4 | 34.9 | 37 |
トラック 密度 | tpi | 135 | 135 | 430 |
トラック数/ ディスク | トラック | 160 | 160 | 510 |
回転数 | rpm | 300 | 300 | 360 |
データ 転送速度 | Mbps | 0.50 | 1.00 | 1.25 |
MOディスクは買いか確かに5インチMOは広まらなかっと思う。他の外部記憶装置としてはZip,Jaz,PD(これは使っていた)など色々な規格があった。今後のスクラップで登場するはずだ。
FDD並みの手軽さで,HDDをしのぐ大容量を持つMO(Magneto Optical)ディスクは,非常に魅力的な補助記憶装置だ.PC-9801での利用も,MS-DOS Ver.3.3Bの登場以来非常に容易になっている.MOの特性を生かしたソフトウェア(文書ファイリングシステムなど)もいくつか登場しており、利用価値も確実に上がっている.
しかし、現在の5インチメディアを使用したMOは標準化がされておらず,ドライブメーカー間のメディア互換性がなく、利用する側にとっては混乱のもとになっている.また,ドライブの価格も製品登場以来ほとんど下がっておらず,なかなか導入に踏み切れないユーザーも多いのではないだろうか.
そんな状況の中で,去年のデータショウなどで各社で展示されていたのが3.5インチMOだ(写真1).これは,IBMを中心に規格化作業が行なわれ,メディアの物理的部分に関してはANSIで規格が決定されている。また,ISOへの働きかけも行なわれており,世界標準規格になる可能性は非常に大きい。したがって,これから一般に普及するのは3.5インチMOだと考えてよいだろう.すでにIBMからは3.5インチMOドライブ内蔵マシンや,外付けドライブの製品が発表されており(写真2),今年中には他のメーカーも追従してくると考えられる.
ドライブメーカーが考えている3.5インチMOのあるべき姿は,マシンに内蔵可能なサイズにドライブを収めることだ.現在の5インチFDD,可能なら(フルハイトの)3.5インチFDD並みの大きさにするのが目標だという.これには,光学系の大幅な改良が必要になるため、このような製品が実際に登場するのは来年以降になる.
結局,5インチMOに関しては,メディアの互換性がない,ドライブの価格も下がる気配がないなどの点から,個人ユーザーにはお勧めできない.より使いやすい3.5インチMOが登場するのを待ったほうが得策だろう.
コラム記事をスクラップする。
大容量メディアの技術これは大外れだった。どうしてここまでFDに固執したのか不思議だ。この後リムーバブル大容量メディアはMO,PD,Zip,Jaz,CD-R,CD-RW,DVD-R等々百花繚乱という規格乱立時代へと移っていく。このうち私が購入して使ったのはMO,CD-R,CD-RWでDVD-Rとかも買ったがほとんど使わずHDDのベアドライブをリムーバブルディスクとして使ってきた。
メディア戦争は再び来るか
パーソナルコンピュータの補助記憶装置として確固たる地位を占めているのがフロッピーディスクだ。特にこのところ,5インチFDから3.5インチFDに移行する動きが目だってきており,'91年中にはメディアの供給量で3.5インチは5インチを抜いてしまうという予測が確実視されている.さらに,安定しているかに見える記録方式でも、現在の主力である2HD(アンフォーマット時2Mbytesの媒体)に代わるものが,各社で開発・発表されている(表).
これらのメディアは,外形的にはすべて現在の3.5インチFDと同じものを採用している.しかし,メディアの特性やフォーマット形式について相互の互換性はまったくないため(図),標準化が達成される前に製品化が進むと,過去の3.5インチ対3インチFDあるいはVHS対βのようなメディア戦争が勃発する恐れがある.
パソコンの世界に君臨するIBMこのメディア戦争が起こるか否かは,ひとえにIBMの出方にかかっている.IBMが表明するところによると,次世代FDに要求される条件として、(1) 記憶容量が20Mbytesクラスのもの,(2) 従来の2HDメディアの読み書きができる,などの点がポイントになるという.このうち,(2) については現在発表されているほとんどの方式について,2HD以前のメディアとの読み書き互換性は確保されているか,将来対応する予定だという。
IBMはすでに東芝方式(PD-210)互換のアンフォーマット4Mbytesドライブを採用した製品を発表している.しかし,これはあくまでも次のメディアへのつなぎに過ぎず、本命はやはり20Mbytesを超える大容量FDだ.
日本国内では,すでに製品もある日本電気の2TDメディア(アンフォーマット13.3Mbytes)が最も現実感の高い次世代メディアといえる.しかし,JEIDA(PCMCIA)のICメモリカードや3.5インチMOの例にもあるように,ハードメーカーの間では「決着がついてから(業界標準が決まってから)」市販の製品に反映させることが普通となってきているこのため、全世界的に先に標準化される可能性の高い「IBM採用」の20Mbytesメディアが次世代標準FDの座を占める可能性が大きい。
大容量FDは,ワークステーションでもメインフレームでもなく,パーソナルコンピュータの記憶媒体として期待され,開発されているものだ。'91年以降に採用されるFDメディアの決定権は,すべてIBMが握っているといっても過言ではない。PCの世界でもBigBlueのリーダーシップは揺るぎないものとなっているのだ.
資料提供・取材協力 日立マクセル(株)
メーカー名 ドライブ名 | 東芝 PD-210 | 日本電気 FD-1331 | シチズン IFDD-20 | Brier Tech. BR 3020,3050 | Insite Peripherals 1325, 1325VM |
記録容量 (未フォーマット時) (Mbytes) | 4.0 | 13.3 | 28.0 | 25.0 | 25.0 |
最大線記録密度 (kbpi) | 35 | 36.50 | 63.00 | 26.00 | 23.98 |
トラック密度 (tpi) | 135 | 430 | 542 | 777 | 1250 |
データ転送速度 (Mbytes/s) | 1.00 | 1.25 | 3.50 | 2.20 | 1.60 |
平均アクセス時間 (ms) | 194 | 196 | 100 | (未発表) | 65 |
磁性体 | Ba-Fe | Metal | Metal | Ba-Fe | Ba-Fe |
インターフェイス | FDD | FDD | SCSI | SCSI | SCSI |
2HD下位互換 | R/W | R/W | R | R | R/W |
記録密度が高くなると,ヘッドの位置を精密にコントロールする必要がある.ヘッドの位置決め方式は,各社でさまざまな方式を採用している.この違いが,メディア間の互換性をなくす決定的な要因になっている.日本電気の13.3MbytesFDは,セクタとセクタの間にある領域(ギャップ)に,位置決め用に半トラック分だけずらしたサーボ信号を書き込む方式を使っている。
アメリカのドライブメーカーであるBrier Technology社が採用したのは,磁気ヘッドの周波数特性を利用して,磁性層の深い位置にサーボ信号を書き込む方式だ(左)同じくアメリカのInsite Peripherals社の方式は他社の方式とはかなり様子が違う.あらかじめメディア上にきざまれた溝を光で検知してヘッドの位置を決めるものだ(右)。メディアの溝は,LPレコードやCDのようなスタンパで一気に形成するため,メデディア自体のコストに与える影響は少ないという.
JEIDA Ver.4とは何かこのころのICカードはちょっと覚えていない。拡張性が乏しいノートパソコンにはPCカードがインターフェースカードとして利用されていたのではなかったか
ノート型マシンなどでおなじみなのがICカードの形をしたメモリボードだ。フロッピーディスクと同様に使えるもの,EMSなどの拡張メモリとして使うものなどさまざまだが,補助記憶メディアとして確固たる地位を築いている.
しかし,当初のICカードは,形は似ていてもメーカー間でまったく互換性はなかった。ノート型マシンの普及が進むにつれ、ユーザーの利便だけでなく,ICカードの供給者の立場からも規格の統一を求める動きが強くなった。そこで,'86年日本電子工業振興協会(JEIDA)がパソコンメーカー約20社の意向を盛り込んで「ICメモリカードガイドライン Ver.1」をまとめた。これが,いわゆる「JEIDA仕様」の始まりである.
JEIDA Ver.3までは,ハードウェアの物理的仕様までしか定めておらず,実用的な製品が登場するには至らなかったが,去年の6月に発表されたJEIDA Ver.4では,ソフトウェアメーカーも規格化作業に加わって,MS-DOSのファイル装置として使用するための仕様なども盛り込まれた.また,カードの内部構成をパソコンやドライブから認識するための「属性情報」を統一するなど,より実用的な仕様になっている.
たとえば,ファイル装置としてのフォーマットが統一されているため,異なるメーカーのパソコンでも,(FDと同様に)ICメモリカードを使ったデータ交換が可能になる.また,属性情報が統一されれば,ROMやRAMの違い,アクセス速度の違い,記憶容量の違いなどをユーザーが意識することなく,いろいろなカードを自由に使うことができるわけだ.
ICメモリカードの利用形態としては,パソコンの拡張メモリや半導体ディスクとしてのほかに,ROMやフラッシュメモリを内蔵してアプリケーションの供給媒体にすることが考えられる。フロッピーディスクによるアプリケーション供給には,不正コピーの問題,容量不足で複数枚になることによるインストールの面倒さなどの欠点がある。このような欠点のないメディアとして代表的なものに,CD-ROMがあるが,ドライブの普及率が低いこと,ノート型マシンでの利用が難しい などの難点もある。
ICメモリカードの場合,すでにドライプ内蔵機種がノート型マシンを中心に増えてきており,カード1枚の容量も現状8Mbytes程度までならOKということで,アプリケーションの媒体として普及する下地は整いつつある(写真3)しかし,カード1枚当たりの価格が数万円もすることから,アプリケーション本体の価格よりメディアの価格のほうが高くなってしまうことが多い.
しかし,メモリ自体の価格は現在でも下がり続けており、近い将来ICメモリカードによるソフトの供給が一般的になる可能性は高い。将来のことを考えて,ICカードスロット内蔵のマシンを買うのなら,JEIDA Ver.4仕様に沿ったものを選ぶべきだ。
プリンタの話は写真だけスクラップする。
キヤノンのBJ-10は持ち運べるプリンタとしては良いデザインのプリンタだと思ったけどオフィスでの需要は無かったと思う。個人でも家では普通のプリンタを使っていた。ヒットしたのだろうか。
この光景懐かしい。用紙を箱から出さずに使ったものだ。
ソフトの記事も図、写真をスクラップする。
仕事で使うソフトは一太郎とLotus1-2-3だ。逆に言うとこれらを使うためにパソコンを購入していた。
アシストカルクが検討していたとは知らなかった。
'91/1のランクで表計算・ビジネスの1位に印が無いのはなぜだったのだろうか。
女性ユーザとか家庭内での使われ方の図があった。
女性ユーザは1割だった。
家庭にあるパソコンはデスクトップが大半だった。当たり前だ。
1985年に始まった日本のパソコン通信は、今やその人口が50万にも達しようとしている.PC-VAN,NIFTY-Serveの2大サービスの会員数はそれぞれ20万人前後に達し,草の根BBSの数も全国に600局とも1000局とも言われている.「PC-VAN,NIFTY-Serveの2大サービスの会員数はそれぞれ20万人前後に達し」僅か日本の人口の僅か0.2%以下だった。通信で人とつながっている人たちは少数派だった。ネットワーカーが結婚するとニュースになった。私だってオフラインミーティングに行くと言っても理解されなかった。会ったこともない人に会いに行くというと不思議そうにみられた。
また最近では,通信するためにパーソナルコンピュータ,あるいはワープロを購入したという話さえ珍しくないようだ。ユーザーが倍々ゲームで毎年増えていく様子を見ていると,パソコン通信人口が100万人を超える日も目前に迫ってきていると感じられる.
パソコン通信の仲間を増やすためにMSXパソコン購入を手伝い、モデム、ソフトをセットアップしにいったこともあった。私たちはパソコン通信を広める宣教師のような者たちだった。
HABITATはセカンドライフの前身ともいっていいものだと思う。メタバース?30年以上も経ってからいまさら何を言ってるんだと思う。
パソコン'91年はこうなる。OS、98、ノート他(月刊ASCII 1991年2月号3) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
特集は「パソコン'91年はこうなる」だった。この号の編集室からの遠藤 諭氏のコラムが「'91年の予測は比較的容易」と書いてあった。自信満々というところだ。前振りとして以下そのコラムをスクラップする。
「パソコン'91年はこうなる」の冒頭をスクラップする。
「(安いソフトは)販売店が売る気になってくれない」については過去の記事にもあった。
次世代ワープロ(月刊ASCII 1987年9月号10)
「日本の場合、漢字を使うとひとつのウィンドウの中にあまり多くの情報を表示できないという問題」まさにこれ。16×16ドットでマルチウィンドウなんてできない。それにGRAMに描画するとなると遅くてたまらん。アルファベットなら8×8ドットでも十分だが、その4倍の面積を使う日本語ではWindowsは厳しいものがある。英語しか使わないプログラマとかなら良いだろうが。
「逆にPC-9801シリーズの高解像度化がせまられる」せまられても困る。NECはWindows 3.0の広告を打っているが98が大好きなユーザはWindows 3.0の使いにくさにWindowsはダメだと評価する。ユーザは640×400ドットの98がダメだとは思わない。なぜならワープロ、表計算、お絵かき、ゲームと満足できるソフトが揃っていた。結局WindowsのネガティブキャンペーンのようになるNECのWindows推しの広告は正解だった。
PC-486GR5PC-486GR3で使っていた。これこそ来春だ(早々ではないが)。
目にしないOS/2がポシャるのは一般ユーザでも分かっていた。
「486搭載のノーマルマシン」は1992年02月のPC-9801FA2(486SX, 16MHz)で16MHzで458,000円とはなめてるのかと腹が立ったマシンだった。
「RAやRS/ESの後継機」は1991年1月にPC-9801DA,PC-9801DSだからこの記事が出たころには発売されていた。なんとタイミングの悪い記事だったのか。「386マシンはやはり25MHzになるだろう」ならないならない。20MHzだ。NECをなめるな。NECはエプソンなんて無視だ。
「386SXのほうは,両社のデスクトップともに16MHz」PC-9801DSもクロックは変わらずだ。
「投入してほしいものである」だれが希望を聞くかだ。
「UV11の後継機」はPC-9801UF,PC-9801URがV30HL(16MHz)で218,000円だから「うまく作り直してくれれば」ではなかったが、良かったのではないか。
この記事は予測がはずれ大失敗だったと思う。私だったら穴があったら入りたいという気持ちになる。
「超軽量マシンは,デスクトップマシンがすでにあり,2台目として購入し、データを移して持ち歩くために買うマシンである.」いやいや、ノートでそれをやっていた。超小型マシンは電子手帳代わりでデスクトップ代わりにはならない。
過去のTBNにX68000の開発者へのインタビュー記事があった。
MZ-2861 TEST ROOM,X68000開発者インタビュー(月刊ASCII 1987年6月号12)
「――CPUが68010,68020に移行することはありますか?
鳥居 少なくとも4~5年は,ハードはそのままで,と思っています.よほどのことがない限り,辛抱しなくてはと,もし,何年か先に,変えた方がいいというようなことになれば,それはそれで,また違った形で作るということです.」
残念だったね。X68030が1993年3月ではあまりに遅すぎる。6年も待たせるとはダメだ。
パソコン,'92年はこうなるん?なんか変だ。予測が難しい'92年を予測しているようでそうではない。'91年中にどうなるかの予測で'92年には「少しずつだが実現しはじめている」ではプロが何を言っているのかという感じだ。
▲'91年の予測は比較的容易だが,'92年となると、グッと難しくなりそうだ。動きはいくつもあって、1つは,MS-Windwos3.0の普及ペース,もう1つが,マルチメディアがようやく立ち上がるかどうか,そして,Macintoshがどう展開するかといったところだ。
▲MS-Windows 3.0は,アメリカではこの秋までに200万本を出荷して,Microsoftはじまって以来のヒットともいわれているが,PCの全体数からすれば,まだ,何分の1といったところだ。現状では386マシンでDOSアプリケーションのスイッチャとして使われている.とはいえ,ソフトハウスの対応はよく,順調に成長すると見てよい。
日本でもこれと同じことが1年シフトして起こるのか?とすると,PC-9801の優勢は'92年にかけても変わらないだろう.386のバーチャル86モードを使ったスイッチャが商品としてないだけに歓迎か。ただし,ユーザーは、自分なりの時期に移行すればよいという余裕があり,DOSもまだ元気なはずだ.
▲マルチメディアのほうは、積極的にソフトの品揃えを増やしているFM TOWNSが,どう受け入れられるか?大手専門店が力を入れはじめているなど,材料は明るい.他メーカーからもマルチメディアを意識したマシンが'92年までには登場しているだろう.
Macintoshは,ここ1~2年ですっかりビジネスマシンになった。'90年のデータでは,Macintosh用のソフトウェア全体が好調な中で,ゲーム/ホビー系のソフトの発売だけがマイナスに転じているという。ビジネスソフトとなると、日本語で使えるソフトが本格的に出揃うようになってほしいところだが,普及価格のマシンの登場などで,'92までにはかなり状況は変わるだろう.
▲MS-Windows 3.0の登場とともに,マルチプラットホームという言葉が聞かれはじめた.どのマシンのどのOS環境でも同じソフトウェアが使えるということだ。'92年には,それが少しずつだが実現しはじめている。
(遠藤 諭)
「パソコン'91年はこうなる」の冒頭をスクラップする。
何が起こるのかそうかPC-9801無印が出たのが1982年10月だから、1991年1月で8年3か月だ。たった8年でこの進歩は凄い。今でいうと2023と2014年になるが全然進歩しているように感じられない。41年前から32年前までの進歩が凄いと感じる。この速さでは予測が難しいのも当然だ。
16bitCPUを搭載してMS-DOSを広めた「IBM PC」が登場したのが'81年なので、今年はちょうど10周年となる.日本でいうと,PC-9801発売の'82年から足掛け10年である.
日本のパソコン関連製品の出荷額は当時の約5倍の規模に成長.'89年度で国内,輸出を合わせて,初めて1兆円を超えた.これは,本体とともに,ディスプレイやHDD,プリンタを入れた金額だ。その後も10数%を超える成長で,1991年度は,国内だけで出荷額1兆円を超えそうだ。電子協の予測によると,パソコン本体の国内での出荷台数は200万台を大きく上回るという.台数を押し上げているのはノート型だ。ちなみに世界市場では,'91年に総計2500万台(500億ドル=約7兆円)に上ると見られている.
マシンに搭載されるCPUの変化も見逃せない.386SXによる32bit化の流れは,'90年度でも7割増という大きなものだ.このまま'91年度も同じ流れになれば、「中心はまだ286マシン」と言えなくなる.電子協の予測によると,'91年度のCPU別出荷台数は16bitマシンがついに減少に転じ118万台,32bitは97万台という数字が出ている.大きな流れの予測は,だいたいそれを上回る実績を残す傾向がある.世界的に見ても,'91年度で台数比率はぎりぎりの数字が出ており,IBM PC生誕10周年は32bitマシンが16bitを逆転する年になるかもしれない。
予測の難しさ当時は1年でどうなる分からない時代だった。日進月歩ではなく秒進分歩だった。ドッグイヤーとも呼ばれていた。それに比べて今はなんという進歩の無さだろう。パソコンでワクワクしないのも当然だ。「日本では1年間に50人に1人が買う」そういう感じだった。家でパソコンを持っているというか使っている人は珍しかった。少数派だったから同好の士で集まったものだ。
新年にあたり、今年1年でパソコンの世界がどうなるのかを考えていくのが,この特集の主旨である。たった1年とはいえ、この業界は何が起こるか分からないのが本当のところである.
たとえば,'89年に発売となったDynaBookをはじめとするノート型が,ここまでパソコンの話題の中心になった.それまでのラップトップマシンの評価からして,2年前には想像できなかっただろう.'90年度前半期の実績で,パソコン本体の出荷台数の4割以上を占めてしまった.もちろん,それまで「コンパクトマシン」として売られていたラップトップマシンよりふた回り小さく、軽く、なにより「安い」という三拍子が揃ったおかげだ。
低価格ソフトも,当初はここまで長期間,ベストテンに入るとは予想されていなかった。アシストカルクは'89年秋の発売以来いまだに売れ筋ソフトに入っていある.以前にも,安いワープロが発売されたことがあったが,なかなか売れなかった.販売店が売る気になってくれないとか,安いソフトは良くないといった常識のためかもしれないが,流れとしては「安いノート型の価格に合った価格のソフトが必要」となったためでもある.
ワープロソフトの価格はその最たるもので5万8000円が常識という時代から,3万9800円へと完全に下がった.さらに2万8000円を狙う動きもあるほどだ.統合ソフトは数年前に何本も発売されたが,消えていった.Worksは発売からまだ半年だが,ランキング上位に付けている.
少し前ならば米国のパソコン業界の動きを見ていれば同様のことが日本でも起こっていたが,今はそうはいかない。ノート型の開発競争は日本のほうが激しいし最新CPUを搭載したマシンが日本で最初に発表される。最新の記憶装置もしかりだ。ノート型の普及により,ソフトの価格も米国なみになり,Windows 3.0が出てくれば,あちらの最新アプリケーションが次々と移植される可能性もある。ただ、製品レベルの「遅れ」は小さくなっているが,普及率はまだまだで,日本では1年間に50人に1人が買う(約200万台)のに対し,米国内では15人に1人が買うのである(約1400万台).
「(安いソフトは)販売店が売る気になってくれない」については過去の記事にもあった。
次世代ワープロ(月刊ASCII 1987年9月号10)
価格
5万8000円から下がっていくか
利用者から見れば,当然だが価格は低いほうがいい、作る側だってそれで数がはけるなら安くても差し支えはない.ただし,間に入る商売の事情があって,一太郎の5万8000円はある限界を示しているようにも思われる.かつて16ビット用で9800円というワープロがあった.機能も十分に2~3万円クラスに匹敵するものだと思われたが残念ながら売れない.ショップに売れなかった理由を聞くと,「9800円はパソコンを買ったオマケの値段で,単品として売れる価格ではない.6本売って一太郎1本分にしかならないのなら,一太郎を売りますよ」という返事だった.もっともな話である. 最近登場したもののなかには2~3万円という製品も結構ある.しかし,例えば2万円の商品を15%分引きで売ったとして1万7000円.定価の30%引きで仕入れている店の儲けはわずかに3000円.これで電話での問いあわせなどに応じていたら完全に損がでてしまう.利用者の質問はソフトハウスに向かうよりもショップに対するもののほうがずっと多い.よほど大量に売れるような要因がないかぎり,安い商品の浸透はむずかしいだろう.利用者側から見れば,このような価格破壊は大歓迎なのだが,店頭でボチボチとしかソフトが売れない現状では,これより下がるとしてもそのテンポはそうはやいものではないだろう.ちなみに米国のベストセラーMicrosoft Wordが実売価格で230ドル前後,150円で換算して3万4500円だ.一太郎Ver.3の実売価格が約4万3000円といったところか.もうそう大きくは下がらないだろうという予測が立つ
★OS
今年の話題となりそうなWindows 3.0は,GUIやメモリの制約がどうなっているのか興味の湧くところ.米国でもまだ発表されてはいないMS-DOS Ver.5や,日本IBMが発表したDOS 4.0/Vなどの動きも調べていく.
みんなWindows 3.0になるの?「それまでは,DOSアプリケーションのスイッチャやファイラ的な役割を演じることになる」そんなものが売れるとでも思っていたのか。WindowsでなくてもいいというかWindowsよりもよっぽと操作性が良く速度が速いものばかりだ。TEXT VRAMをなめるなというところだ。
Windows 3.0は買いか?
米国では,昨年5月に発表されて以来,Windows 3.0が好調な売れ行きを示している.一説には,発売後すぐに100万本を売ったという。日本でも,いろいろな雑誌で紹介され,早くから注目されていた.そのWindows 3.0の日本語版が今年の初めから夏にかけて発売される日本電気をはじめ,富士通,日本IBM,東芝そしてAX陣営の各社など,主だったメーカーは軒並みWindows 3.0を出荷すると言われている(写真1).
Windows 3.0を現在日本で販売されているWindows 2.xと比べたとき,最も大きな違いは、その操作性である.2.xでは,基本的に画面1のファイルマネージャからすべての操作を行なっていた.3.0では画面2の「プログラムマネージャ」が用意され,アプリケーションをアイコンで選択できるようになった。また,地の部分に当たる「デスクトップ」に,好きなグラフィック(Wallpaperと呼ばれる)を敷くこともできる.
ユーザーの目に見えない部分でも大きな変更がある。2.xでは,80386用とそれ以外用に別々のシステムがあった。3.0では,システムはひとつだけとなったが,起動時にCPUを自動的に識別し、最適なモードが選択される.モードには,8086用のリアルモード,80286用の標準モード,80386用の386拡張モードの3つがある。また,使用可能なメモリも大きくなり,標準モードでは最大16Mbytes,386拡張モードでは最大48Mbytesまでとなった。
このように,大幅に機能強化されたWindows 3.0だが,本格的に普及するかどうかはアプリケーション次第である。PC-9801シリーズにとっての一太郎などに相当するようなヒット商品がアプリケーションとして登場するかどうかにかかっている.しかし,Windows 2.x用のアプリケーションはリアルモードでしか動作しない。標準モードや386拡張モードで使用するなら,Windows 3.0用のアプリケーションが必要なのだ。すでに,(株)アスキーのWingzをはじめ,いくつかのメーカーがWindows 3.0用のアプリケーションの発売を発表しているが,本格的にそろってくるのは早くとも夏以降となるだろう.それまでは,DOSアプリケーションのスイッチャやファイラ的な役割を演じることになる.
Windowsでは大量のグラフィック処理が要求されるので,より快適な環境を求めるなら,CPUパワーのあるマシンが必要になる.また,Windows 3.0の機能を100パーセント引き出すのは,もちろん386拡張モードである.そういった意味では,Windows 3.0の普及は386マシの普及を促進し、また逆に386マシンの普及がWindows 3.0の普及を促進するということもあるだろう.
もうひとつ、キーとなるのはメモリである.Windows上では,複数のアプリケーションを同時に起動しておき,それらを交互に切り替えて使うことができる.このとき,メモリがたくさんあったほうがプロセスの切り替えが素早くできるのだ.RAMボードの低価格化が期待される.
しかし,普及のための条件がすべてそろったとしても,みんながみんなWindowsになってしまうわけではないだろう.Windowsでは,より簡単に高度なユーザーインターフェイスを用意していて,その部分にかなりのCPUパワーを食われている。中にはそんなりっぱなユーザーインターフェイスはいらないという人もいるはずだ。また,command.comのバッチに相当するものがないなど,必ずしもいいことばかりではない.また日本の場合、漢字を使うとひとつのウィンドウの中にあまり多くの情報を表示できないという問題もあり,米国ほどの爆発的ヒットにはならないのではとの見方もある。それでも,1991年末までには半数近くものパソコンでWindowsが動いているといったこともあり得る。
また,Windows用のアプリケーションは、特定のマシンのハードウェアに依存しない。だから,Windows用のアプリケーションの数のうえで,特定のマシンが有利になるということはない。むしろ,見栄えを左右する解像度の面では,より高解像度のマシンを主力とする富士通や日本IBMのほうが,依然として640×400ドットのマシンが主流のPC-9801シリーズよりもWindows 3.0の普及は早いのではとの指摘もあり、逆にPC-9801シリーズの高解像度化がせまられることになるかもしれない.
さて,日本ではやっとWindows 3.0が出るというところだが,米国では早くも3.1が発表されるようだ。Apple社から導入したスケーラブルフォントのTrueTypeや,手書き入力などがサポートされる予定だという。
「日本の場合、漢字を使うとひとつのウィンドウの中にあまり多くの情報を表示できないという問題」まさにこれ。16×16ドットでマルチウィンドウなんてできない。それにGRAMに描画するとなると遅くてたまらん。アルファベットなら8×8ドットでも十分だが、その4倍の面積を使う日本語ではWindowsは厳しいものがある。英語しか使わないプログラマとかなら良いだろうが。
「逆にPC-9801シリーズの高解像度化がせまられる」せまられても困る。NECはWindows 3.0の広告を打っているが98が大好きなユーザはWindows 3.0の使いにくさにWindowsはダメだと評価する。ユーザは640×400ドットの98がダメだとは思わない。なぜならワープロ、表計算、お絵かき、ゲームと満足できるソフトが揃っていた。結局WindowsのネガティブキャンペーンのようになるNECのWindows推しの広告は正解だった。
MS-DOSとOS/2はどう変わるか?「来春早々に,MS-DOS Ver.5.0(IBM版)がリリースされる」今春でないのでこれは1992年の春ということか。随分と先の話だ。MS-DOS Ver.5.0はEPSONの
Windows3.0以外にも動きがある。まず来春早々に,MS-DOSVer.5.0(IBM版)がリリースされる.IFS(Installable File System:交換可能なファイルシステムMS-DOS Ver.4.0でサポートされた)など,あまり使われていない機能を削除してサイズを減らし、「初めて前のバージョンより小さくなった」という.さらに,DOS自体をHMA(High Memory Area)などに追い出すことで,620Kbytes近いフリーエリアを確保できる.
DOS Shellは,MS-DOS Ver.4.0からサポートされているが(画面3),Ver.5.0では操作性をWindows 3.0のプログラムマネージャ/ファイルマネージャと共通にするとともに,複数のアプリケーションを同時に起動し,切り替えて使用するスイッチャとしての機能も持つという.
コマンドも機能強化された.すべてのコマンドで,「/?」オプションを指定すると簡単な使用方法を表示させることができる。またdirコマンドでは,ファイルを名前/拡張子/タイムスタンプ/サイズなどでソートして表示することもできるようになる。また,Norton Utiliiesのsafe format/unformatに相当するような機能もサポートされるという.細かい点では,command.conのパイプ機能を使うとき,中間ファイルを作るディレクトリを環境変数TEMPで指定できる。
ただし,MS-DOS Ver.4.0の場合のように,既存のアプリケーションで動作しないものが出てくる可能性もあり、実物が出てくるまでは何ともいえない.また,スイッチャとして使うにしろ,一方には本格的なGUIをサポートしたWindows3.0があるわけで,MS-DOS Ver.5.0への急激なシフトは起こらないだろう.また、年内にはOS/2 2.0(IBM PC版)も発表される.Windows 3.1と同様のTrueTypeをサポートするとともに,80386の32bitコードに対応する予定だ.以前のOS/2 1.xでは,最大16Mbytesまでのメモリを使えるとはいえ,ひとつのセグメントは64Kbytesまでという制限があった。それが32bit対応になって,一気に4Gbytesまでのメモリをセグメントの制限を気にせずに使用できるようになったのだ。それにともない,API(Application Program Interface)も拡張された.また,80386の持つ仮想記憶の機能を使って,より効率の良いマルチタスクを実現している.
Windows3.0に押されぎみのOS/2だが,この2.0の登場によってより本格的なマルチタスクOSとしての利用が期待される.なお,どちらも日本語版のリリースは年内にはないだろう.
目にしないOS/2がポシャるのは一般ユーザでも分かっていた。
その他のOSの動きはどうか?
MS-DOSマシン以外のオペレーティングシステムはどうだろうか。まずはMacintoshだが(画面4),長い間待たれていたSystem7.0のリリースは,第2四半期以降となる見込みだ。32bitアドレッシングと仮想メモリのサポート,ATM(Adobe Type Manager)の取り込みなど,さまざまな点で期待を集めているが,32bitアドレッシングなどは特定の機種でしか使用できないこともあり、従来の6.xもそのまま残るだろう.
またUNIXの世界では,UII(Unix International Inc.)OSF(Open Software Foundation)との対立は依然として続くだろう.System Vリリース4.0(SVR 4),OSF/1ともに実際に製品が出てきたので,ユーザーがどちらを選ぶか注目されるところだ。
これらの従来からのUNIXに対して,NeXTに搭載されているMACHも注目株である。特に最近では,MACHがフリーになったため,GNU OSに使われることになったという.
★ 1970年代の初めまで,オペレーティングシステムは,ハードウェアの添え物だった.事実,IBMは,その大型コンピュータ用のオペレーティングシステムがパブリックドメインであるとさえ言っていたのである.しかしながら,オペレーティングシステムを制覇することが,より多くのマシンを売ることとは別のもっと重要な価値を帯びてきていることを業界は知っている。特に,高性能ワークステーションの低価格化は,本来それより上位にあるミニコンピュータの分野や本来下位にあるハイエンドのパーソナルココンピュータを巻き込んできている.'90年代中盤にかけて,ハードウェアのスペックよりもオペレーティングシステムによる分類が意味を持ってくるだろう.'91年は,それを予見させる動きがいくつか見られるはずだ。
★CPU
興味あるマシンは,依然として日本のパソコンの中心である98シリーズと,新機種競争が続くノート型である.今年はこの2つの分野でどんな製品が出てくるのか考えていくほか、MacやAVマシンの話題も見る.
一年後の98のスペックはNECの戦略は後追いマシンを発売するというものだった。だからユーザもそのうち98でも同じようなスペックのマシンが新製品として出てくるだろうと98好きユーザは焦っていなかった。
冒頭でも述べたが、最初のPC-9801が発売されたのは'82年なので,今年で足掛け10年になる。累計で300万台を出荷したが,老舗として悠々と第1位を維持してきたわけではない.
まず,衝撃を受けたのは,'87年に登場したエプソンのPC-286シリーズだろう.ライバルの登場によって,コストパフォーマンスの向上が必須となり,他社のMS-DOSマシンよりも競争力のある機種が生まれたといってもいい。
その後も,AXマシンやDynaBookなど,アーキテクチャは異なるが98と同じマーケットを狙う製品の出現によって,新機種も影響を受けてきた.
まずは,今年の98シリーズがどういう展開を行なうのか,見ていこう.
NESAバスは一般的になるかPC-H98がどうして売れると思っていたのか。CADとかのプロにしか売れないだろう。一般的ユーザにはそんなマシンいらねという感じだった。NESAはポシャッた。
ハイエンドマシンを買おうとするとき気になるのは,NESAバスのマシンにしたほうがいいのかどうかだ.現在NESAバスを搭載しているのは,PC-H98シリーズの3機種である.
最高機種のmodel100は80486にメモリを7.5Mbytes,100MbytesのHDDを搭載して215万円という価格である.model70と60はそれぞれ33MHzと25MHzの386を搭載。いずれにしてもハイレゾモードを持ち,価格的には80万円以上という高級機である.
32bitバスであるNESAは,従来の98シリーズのバスと異なり,アドレスバスやデータバスが32bit幅を持つほか,データ転送速度の高速化,アービトレーション機能など,最新のバスアーキテクチャを持つ。現在は,上記のようなH98シリーズにしか搭載していないが,RAのようなノーマルモードのマシンにも採用されるはずだ。従来バスのままでは、高速の386や486にとって重荷となってしまう。ハイレゾリューションモードとNESAバスは特に関係があるわけではなく,より高速化を目指すマシンなら,ノーマル専用マシンにも搭載される.
市販ボードのNESAバス対応は,今のところ進んでいないが,こうした普及価格のノーマルマシンに搭載され始めれば,高速のインターフェイスを要求されるボードほどNESAへ進んでいくだろう.市販のボードの過半数がNESAとなるのはさらに先で,新製品がすべてNESAになる数年先までかかる.
今年はどんな98が出るのか1991年の新機種は1月2月に集中しておりその後はさっぱりだった。だから「今年はどんな98が出るのか」自体間違えている。
これからどんな98が出てくるのかを考えよう.まず上のほうから考えると,486搭載のノーマルマシンだ。データ処理やCG,サーバーとしてはハイレゾよりも速度が欲しいということもある.そこで,過去のパターンを見てみよう。
まず,初めての286マシンは'85年5月のPC-98XAで,ノーマルマシンに下がったのは'86年10月のPC-9801VXである.386は,最初が'87年10月のPC-98XL2で,RAは'88年8月に登場している。286は1年と5ヵ月かかったが,386は10カ月でノーマルマシンに移行している.486は,H98model100が'90年9月に発表となったから、今年中にはノーマルマシンが出ることになる.ただ,過去の例から考えると,まずH98model100のクロックが向上(33MHz版など)してから,前のクロックでノーマルマシンが出るということも考えられる.
興味の湧く値段のほうは,上記の286と386の場合、価格はハイレゾマシンの約60~75%で発売されている.まずH98model100からHDDとメモリの価格を引いてみよう.まったく同じではないが,model60/70用の100MbytesHDDは44万5000円,メモリ6Mbytesは36万円である.これを引くと,はだか(メモリ1.6Mbytes)のmodel100は134万5000円となる.価格が60%とすると約80万円で,せめてこのあたりで出してほしいもの。RAとRLの価格差は20万円だが,NESAバスも積むとなると、苦しい価格かもしれない.次に,386以下のデスクトップマシンだが,98シリーズの現行ラインナップだけを見ても、そろそろ発表と思われる機種が分かる.
最初に発表されそうなのが,386/386SXマシンだ。286マシンRXとEXの後継機DXは昨年末に出ているので,その上位にあたる機種,RAやRS/ESの後継機である.ともに'89年に発表されたまま更新されていないので,もう遅いくらいだ。
となると,どんなクロック周波数で出てくるかということになる.386マシンはやはり25MHzになるだろう.エプソンが昨年すでに25MHzのPC-386Sを出しており,これを無視はできない.33MHzの可能性もある。また,Windows3.0の使い勝手を考えると,ハイレゾモードを搭載した安い386マシンも欲しいところだひょっとしたら,RAの後継機は2つの方向へ分かれる可能性もあるが,それではRLの立場がなくなるか.
386SXのほうは,両社のデスクトップともに16MHz止まりだ。PC-9801TやPC-386LSRといった省スペース型がすでに20MHzになっているので,クロックを上げて追い付くことになるだろう。ただし,エプソンのPC-386VRが35万円以下という設定になっている。クロック据え置きで価格を下げるという方向も出てくるわけだ。ユーザーとしては,クロックを上げて,さらに価格も下がれば最高なのだが.
プロテクトメモリの有効利用や,Windows 3.0を使うことを考えれば、この新しい386SXマシンが「中心機種」となる.もちろん5インチと3.5インチモデルが同価格,同デザインだ.今,98が欲しいという人はこのあたりを待ってから決めるといいだろう.
ただ,286,386SX,386の3機種がCPU以外は(つまり速度以外は)変わらないという従来どおりのラインナップではつまらない。エプソンのPC-386Mのように「パーソナルユーザーの遊び心」を動かすような機能を中心機種である386SXマシンに投入してほしいものである.
さらに,その下で気になるのがUV11やCVといった省スペースマシンの後継機である.
CRT一体型のCVは,方向性は良かったのだが、いかんせん画面サイズが小さすぎた。再度この形で出るとしたら、当然CPUは286以上になるだろうが,ディスプレイも一回り大きくしてほしいものだ.オフィスで使う省スペースマシンの地位はPC-9801Tが取っているが,カラ一液晶の値段は高いので,CV改良型の意味はある.
パーソナルユーザーとして望むのはUV11の後継機である.'88年に発売されたV30マシンながらいまだに人気があるという.305(W)×240(D)×87(H)mmというサイズは魅力的だし,価格も魅力的である。うまく作り直してくれれば,ホビーユーザー向け人気マシンとなる.
エプソンのPC-286Cはキーボードー体型なので,98は分離型がいい.CPUは,できれば386SXまで上げたい。拡張スロットは2つのままで,HDDは2.5インチのものを内蔵できるようにする.
14インチCRTと一緒に使うことを考えると,奥行きはもう少し増えてもいいので,高さはスマートに薄く,いわゆるピザボックス型にすれば受けもいいだろう.ノート型の液晶を外して拡張スロットを横に並べればいいのだから可能だ。これを思い切って安く出せば,パーソナルマシンとして魅力あるものとなる.
以上、後継機を考えたが,まったく新しいマシンが出る可能性もある。たとえば,CD-ROMを搭載した「マルチメディア」マシン.おそらくWindows 3.0をビュアーとして利用することになる.業務で利用するなら,日本IBMの5530Zのような一体型が便利だろう.ただし,そうそう一気にアプリケーションが出るとは考えられないので,このへんで出しておいて、気長にソフトウェアを増やしていくことになるだろうから、あまり神経質に待たなくてもいい.
細かいことだが,入ってくる可能性があるのは,インターフェイスの標準搭載である.ソニーのQLシリーズにはイーサネットのインターフェイスが標準搭載された機種がある.98でも,高級マシンには入れてほしいところだ。また,個人ユーザーとしてはSCSIインターフェイス端子を,そろそろ標準で内蔵してほしいところだろう.
「486搭載のノーマルマシン」は1992年02月のPC-9801FA2(486SX, 16MHz)で16MHzで458,000円とはなめてるのかと腹が立ったマシンだった。
「RAやRS/ESの後継機」は1991年1月にPC-9801DA,PC-9801DSだからこの記事が出たころには発売されていた。なんとタイミングの悪い記事だったのか。「386マシンはやはり25MHzになるだろう」ならないならない。20MHzだ。NECをなめるな。NECはエプソンなんて無視だ。
「386SXのほうは,両社のデスクトップともに16MHz」PC-9801DSもクロックは変わらずだ。
「投入してほしいものである」だれが希望を聞くかだ。
「UV11の後継機」はPC-9801UF,PC-9801URがV30HL(16MHz)で218,000円だから「うまく作り直してくれれば」ではなかったが、良かったのではないか。
この記事は予測がはずれ大失敗だったと思う。私だったら穴があったら入りたいという気持ちになる。
ノート型はもう買ってもいいのか「レジューム機能は当初DynaBookのおはこだったが,PC-386NOTE AやPC-9801NVも搭載した.RAMドライブやHDDから起動できるとはいっても,瞬で仕事が始められる効果は,一度味わうと離れられない.」そうだろうそうだろう。私はレジュームが無かったらDynaBookは買わなかった。ノートパソコンに重装備をしてどう使うのか疑問だった。家に帰ってデスクトップで処理した方がいいのではないかと思っていた。私は職場に自分専用のパソコンが無かったのでDynaBookでテキスト処理して、デスクトップで最終調整し印刷していた。長いRS-232Cケーブルを作り自分の机の上とパソコンラックの間で繋いでいた。メディアを持ち歩かずに席を移動するだけで済んだから快適だった。
'90年は,ノート型が幅をきかせた年だった.'89年のDynaBookをはじめとする16bitCPUのノート型から,'90年には次世代の32bitのノート型が出現。また,初心者にも分かりやすい2FDD型も登場するなど,ノート型の新機種ばかりが目立った。'90年度上半期の出荷実績を見ても,携帯型は前年同期と比べて金額で101%増の939億円。台数では132%増の39万8000台と大幅に増加し,パソコン本体の出荷全体に占める割合も,台数では4割を超えて5割に近付いてきた.
ノート型マシンは,ほぼ「FD型」と「HD型」の2種類に分かれてきた.
FD型とは16bitCPUで,3.5インチのFDDとRAMディスクを搭載した,初期マシンとほぼ同じスペックのもの。HD型は32bitで,2インチの20MbytesHDDを搭載したもので,さらにFDDやICカードスロットを持つ.
ただ,この2つの型はきれいに分かれているわけではなく,FDマシンにオプションでHDを内蔵してHD型となるものもある。
両タイプ共通の流れとしては、CPUの高速化,バッテリ持続時間の延長,レジューム機能の標準装備などがある.
CPUでは,FD型は286に,HD型は386SXへと収束しつつある。なかには,PC-9801NVのように高速型のV30(16MHz)を搭載したものもあるが,それ以外のメーカーのFD型は286を搭載している.
バッテリ関連では,FMR-CARDのように,3Vで動作するといった特殊なもの以外、本体の省電力化はなかなかはかどらない.それよりも、利用されない場所に補助バッテリを入れるという方向にある。特にクロック周波数の高いモデルでは、なかなか省電力というわけにはいかず,バッテリの補強ということになるようだ.
ノート型コンピュータに限らず携帯電話から電気自動車にいたるまで「高効率バッテリ」の需要は高く,その改善が望まれるところである。バックライトやハードディスクといった「よい環境」を快適に使うには,バッテリの強化に頼ることになる.
最新のノート型であるJ-3100SXシリーズは,16MHzの386SXを搭載しながら,オプションのバッテリを内蔵することにより,FDDモデルで4時間,HDDでも3時間利用できる.
レジューム機能は当初DynaBookのおはこだったが,PC-386NOTE AやPC-9801NVも搭載した.RAMドライブやHDDから起動できるとはいっても,瞬で仕事が始められる効果は,一度味わうと離れられない.
ただ、問題もあり,レジュームで電源を切った場合、通常よりバッテリの持ちが短くなる.また,特殊なアプリケーションや,386SXの仮想86モード(???)では,うまくレジュームが効かないことがある.
さて,FD型だが,日本電気と東芝は昨年秋にそれぞれCPUの高速化を終えた.PC-9801NVは16MHzのV30HL,J-3100GS001で,ともに価格は据え置き,速度はそれぞれNの1.6倍,SS001の2倍である.バックライトも改良され,いわば初代ノート型は引退という形となった.ままた、両機種ともHDDが内蔵できない代わりに,4Mbytesといった大容量のRAMカードが用意された.
残るはエプソンのPC-286NOTEFの高速化ということになる.バックライトを付けて286でも搭載したいところだ.HD型は,エプソンと東芝が年末に新機種を発表した.ともに16MHzの386SXを搭載して,取り外しの容易なHDDパックを用意している.PC-386NOTE Aは,9801系マシンとしては初めてレジューム機能を搭載したマシン.J-3100SX021は,FDDとHDDを搭載しながら36万8000円と,驚異的低価格を実現している.
残るはPC-9801NSの後継機NVがレジューム機能や補助バッテリなど,上回っている点があり,すぐに出したいところだろう.価格面でもHDDモデルでは東芝と8万円もの差がついてしまっている.
98系のHDD型を狙っているなら,NS後継機を待ってから選んでも遅くはないだろう.
新機種が出揃ったとしても,FD型とHD型のどちらを選ぶかがまた問題になる.つまり,ハードディスクがいるかどうかだ。ある程度持ち歩きたいという人は,重さとバッテリの持ちを考えて,FD型を買う.そして,大容量のRAMカードを買って,RAMディスクにする.最近のサードパーティのノート用HDDは,直接ノート型の拡張スロットにつながるので,家に置いておいて使いたいアプリケーションや、見たいデータだけRAMに移して使う.
そんなのはめんどくさいとか,外に持ち運ぶことはめったにないという人は,HD型を選ぼう。たいがい386SXを搭載しているので,お金が足りないという場合は,HD型のHDのない機種を買っておく.この手の2.5インチHDDは,当初米国2社と日本1社しか作っていなかったが、国内HDDメーカーの多くが製造を開始しており、安いものが出る可能性がある.
現にPC-9801NS用には日本テクサから内蔵用HDDが出ている.さらに,MAXYNOTE386の最高モデルのように,40Mbytesモデルも出始めたので,そのあたりを後で買い足すのも手だ.
これらの型とは別に,FDDを2台搭載したマシンもある.エプソンのPC-286BOOKや,J-3100SS002,同SX002などがそうだ.初心者にとっては,目に見えないRAMディスクの取り回しはかなりストレスになるようで,これらの機種も売れているという.ただ,後からHDDを内蔵させることができないなどの制約があるうえ,FDD+RAMドライブのほうが当然だが利用速度は速いので,ある程度パソコンが分かっている人にはFD型を勧める.
超小型マシンはどうなるのか「次なる9801互換マシンが待たれる」永遠に待ってろ。これも外れだ。
では,今年はどんなマシンが出るのだろうか.まず考えられるのが,FMR-CARDのような超軽量マシンである.FDDもHDDも搭載せず,MS-DOSはROMで搭載し,アプリケーションはICカードで供給。データはRAMディスクに入れてお<1kgマシンだ.
データのやりとりやバックアップは,デスクトップマシンとRS-232Cで接続したり、会社や家においてある外付けのFDD,HDDにデータを吐き出すものモーターが入っていないのでバッテリが長持ちするのが特徴でもある。ただし,視認性からいうと,バックライトは欲しいところである。こういった超軽量マシンは,デスクトップマシンがすでにあり,2台目として購入し、データを移して持ち歩くために買うマシンである.
FMR-CARDは,JEIDA Ver.4に準拠したICカードスロットを持っている.この後の章で解説するが,各社のノート型がこのスロットを採用しており,たくさんのRAMカードや,データを入れたROMカードが出てくる予定という。この手のマシンが出てきたときは,ICカードスロットはぜひJEIDA Ver.4対応のものを選ぶべきである。
今年は,エプソン,東芝がこういった超軽量マシンを出すかどうかが見所だ.日本電気には超小型マシンとしてPC-98HAがあるが,これはLT互換なので次なる9801互換マシンが待たれる.
HAのサイズで98互換という噂もあるが,フルキーボードが付いたFMR-CARD型の超軽量マシンが欲しい.家の中で移動するとか,たまに外に持ち運ぶというならFD型やHD型もいいだろうが,すでにデスクトップを持っていてノート型は常に持ち運びたいという人は,1kgを切った「カード型」を待つべきである(ただし,今年中に出るとは保証できない)。それ以外に出そうなのは,カラー液晶を積んだノートだが,高価になるし,電力の消費も多いので,まだメジャーにはならないだろう.
もうひとつはソニーのPalmTopや、HA,京セラのRefalo,PoqetPCのようなハンディ型だ。それぞれ発売された順番に,この春からでも後継機種を発表していくはずである.今のところ,みんな反射型の液晶だが,ノート型を見なれた目には悲しいものがあるので,小型液晶にもバックライトが付く可能性がある.キーボードレスや小型キーボードになるので,フルキーを持つカード型とは異なりデータビュアーや電子手帳のような使い方であるのは変わらないだろう.
「超軽量マシンは,デスクトップマシンがすでにあり,2台目として購入し、データを移して持ち歩くために買うマシンである.」いやいや、ノートでそれをやっていた。超小型マシンは電子手帳代わりでデスクトップ代わりにはならない。
噂のマシンのゆくえは
これ以外のアーキテクチャを持つマシンは今年どうなるのだろうか。
まずはMacだが,MS-DOSマシンと大きく差をつけられたノート型が出てほしいところ.Mac互換のラップトップを発売しているOutbound社では年内にも出すということだが,Apple社もソニーや東芝と小型部品の相談をしているようである.BillAtkinsonが独立して作ったGeneralMagic社の製品も携帯型という話だから気になるところだ.
68040を搭載した最上位Macは,春には出るという噂だったが,モトローラ側の出荷の遅れと,製品供給能力の問題がありどうなるのか分からない。あとは,やや空白感のあるLCの上位マシンと,IIciの上位といったあたりか.
IBM PC系では,セガが春にも発売するという「テラ(仮称)」が注目286CPUにVGAを搭載したAT互換で,かつ68000CPUを積んだゲームマシン「メガドライブ」を内蔵しているという.米国で豊富に出る最新のPC用ゲームとともに,メガドライブ用の派手なゲームが楽しめるというものだ。日本IBMは,VGAボードを積んでいれば漢字ROMがなくても日本語が利用できる「DOS 4.0/V」を発表しており,日本語のアプリケーションが使えるようにもなる。価格も20万円以下ということなので,IBM PC系を狙っている人はこれを待つのがいいだろう.AVマシンでは,FMTOWNSは年末に新製品を出してしまった。X68000はそろそろ速度を向上してもいいころだ.
過去のTBNにX68000の開発者へのインタビュー記事があった。
MZ-2861 TEST ROOM,X68000開発者インタビュー(月刊ASCII 1987年6月号12)
「――CPUが68010,68020に移行することはありますか?
鳥居 少なくとも4~5年は,ハードはそのままで,と思っています.よほどのことがない限り,辛抱しなくてはと,もし,何年か先に,変えた方がいいというようなことになれば,それはそれで,また違った形で作るということです.」
残念だったね。X68030が1993年3月ではあまりに遅すぎる。6年も待たせるとはダメだ。
パソコン、ソフト、その他(月刊ASCII 1991年2月号2) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
ASCII EXPRESSをスクラップする。
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これはなんと評価したら良いのか分からない。
トロンは死んでなかった。
トロン・ショウ'90電脳未来展開催
昨年12月18日から20日まで,「トロン・ショウ'90」(主催:トロン・ショウ実行委員会)が,東京・池袋のサンシャインシティで開催された。会場では,トロン技術がどのように応用されていくかを電脳都市/ビル/住宅などの各プロジェクトで示したり,トロンに賛同する各企業が開発した関連製品を出展していた.企業ブースで目立ったのは,松下や富士通,日立製作所,三菱電機など大手電気メーカー。自社製のTRON仕様準拠のCPUを中心に,ビジネス向けのBTRONシステム/OSを実機展示していた.しかし,なかにはBTRON-OSの代わりにUNIXを走らせているマシンもあり,メーカーの今後の展開が気になる.
一方,主催者サイドが展示した電脳都市/ビル/住宅の展示は,外観だけの縮小模型.これといった見せ場もなく,実稼動状態を気にする参観者からは,期待外れとの声も上がっていた.
トロンは、操作の標準化,データの標準化,機能分散システム,オープンアーキテクチャの4点を考え方の柱としている.1984年2月に産学共同で発足したトロンプロジェクトも、現在では国内外の企業142社,および5団体が参加し,実用化を思索する段階に入った。今回のショウの共催団体でもあるトロン協会では,「1990年を“トロン元年”と捉え,今後のトロンプロジェクト推進によりいっそう力を入れる」としている
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68040出荷開始速度向上にはやはりワイヤードロジックが効いたようだ。しかしながら生産が間に合わないのでは勝負にならない。私は結局68系CPUマシンを買わなかったが、買った486マシンが高速なので後悔は無かった。この点ではインテルを評価している。
Motorola社は040の出荷を当初の予定より約2カ月遅れてやっと開始しだした。040は最後のCISCチップともいわれ、やはりCISCチップであるIntel社の486はもちろん,RISC系のSunのSPARCやMips社のRシリーズなどともライバル関係にあたる.
486はすでに出荷開始から久しく,486を搭載したマシンも順調に市場に出てきている。最近はその価格低下も著しい。それに対して,040のほうはHP,Unisys,NeXT,ConcurrentComputerなどすでに各社が採用を決定しているものの,出荷開始がこのように遅れたため,システムの販売も同様に一時中止を余儀なくされてた。
特にHP社はHP9000/300/400を昨年10月から販売すると発表したが,チップの遅れにより,これを12月に修正している.030バージョンから040へのアップグレード対策など余計な対応を迫られた.NeXT社も同様に,9月の新製品発表以来すでに030を搭載した旧ラインの製造を中止しているので,1万5000台ともいわれる040ベースのシステムのバックオーダーを抱え込み,10月以降正式に販売する製品がないという空白期間を余儀なくされていた.
同社はMotorola社からかなりの量のサンプルチップの供給を特別に受けていたようで,この間にもある程度の製品を出荷していた.しかし,一時的であるにせよ,コンピュータメーカーが正式に出荷できるマシンがないというのは,異常事態といえよう。
Motorola社によると,当面週1000個程度のペースで製造を開始し'91年終わりには週5000個程度まで拡張していく計画だ。単純な比較は難しいが,030に比べて整数演算で約4倍,浮動小数点演算で約10倍,ライバルである486に比べても同じクロックで約1.5倍の速度をほこる。こうした速度向上は、主に頻繁に使われる命令やアドレッシングモードをマイクロコードからハードウェアロジックに置き換えた結果で、平均1.3クロックサイクルで1命令を実行する(ちなみに030では3~4クロックサイクル/命令)040は先に述べたように,少なくとも10社以上がワークステーションに採用する予定で,'91年以降,特にエントリーレベルのワークステーションで10%から20%程度のマーケットを獲得するといわれている. (ザイロンコーポレーション代表脇山弘敏)
Miscellaneous :behind the news高温超伝導トランジスタ本当にできたのか。使い物になるものができたのか。32年後から振り返り見るとそんなものが登場したとは寡聞にして知らない。
超伝導トランジスタと学生不足
ニューメキシコ州アルバカーキにあるSandia National Laboratoriesで世界最初の高温超伝導トランジスタが開発されたという.エネルギー省とウィスコンシン大学が資金供与している開発チームが,タリウムと酸化銅の薄膜で素子を構成。メーカーの超伝導研究者は,Sandiaのデバイスそのものが工業的な革新をもたらすものではないものの,これを基礎としてより進んだ超伝導素子を開発できるだろうとコメントしている.
明るいニュースとうらはらに,米国におけるコンピュータサイエンス専攻学生が減少している.教育省の統計によると,コンピュータおよび情報サイエンス専攻の学生は,ここ3年連続して減少.4万1889名がコンピュータサイエンスで学位を取得した1986年をピークとして,1989年には27%も減少した。専門家は,コンピュータを取り巻いていた神秘性がなくなってしまったためと分析.さらに,コンピュータサイエンスを専攻する学生たちがすぐに直面するその辛さ(時間の浪費,退屈)にあるのでは,とか,メーカーが非常に使いやすいコンピュータを作ったことで,コンピュータ自身がただの家庭用品,あるいはビジネスの道具になってしまったからではないかという。「コンピュータが身近になったことが,人々にコンピュータ科学の本当の意味を誤解させてしまっている」と言う教授もいるが,実は,ビジネス界で成功するためには,コンピュータとは何かを知るよりも,いかに使うかにかかっていると学生が考えはじめているようだ.
ビジネスといえば,MCA買収で目立ってしまった松下電器が,National Semiconductorからワシントン州にあるチッププラントを買収した。国家保護と独占禁止に関する調査を受けなければならないが,この保護に関する部分が和らげばと,両社とも技術や製品が松下に流れないことを強調している.土地,設備,およよび機器のみが含まれており,「必然的に不動産のみの取り引き」という.この工場は,松下にとって米国最初の半導体工場となり,ロジックデバイス,DRAMなどをここで生産する.現在この工場では600名ほどが雇われているが,松下は500名ほどを再雇用する予定.「機器の価格が上昇しているこの時期では,バーゲンともいえるプラントだ。新たに作るよりも買ったほうがずっと安い」と松下は語る.
もうコンピュータサイエンスが低調になってきたのか。構造化プログラミングが科学だった頃から20年以上経ったのだから仕方がないか。
この頃は松下電器が米国の技術を盗むと見られていたのか。もしかすると盗んだか?もしそうなら中国並みだ。中国はもっとはっきり盗むというか技術を置いてけだから。
ネット3題「ジャンクメールを送りつけた」今ではメーラーが危険なメールを振り分けてくれるが、ユーザが望めばプロバイダの方でフィルタリングしてくれる。これは検閲に当たらないということなんだろうな。
Infonetは,ノート型マシンをターゲットとした「Notebook Network」を開始する.国際VAN,電子メールおよび情報サービスを合わせたもので,国際通話料金を支払うことなく115以上の国々からアクセスできるのが売りという.通信ソフト「Notice Notebook」は'91年初めに発売される予定で,IBMPC系マシン用という.なかなか楽しみだ.
その2.米3大BBSの1つProdigyが,料金増額と電子メール検閲でたたかれている.発端は,他入にジャンクメールを送りつけたとか,料金増額を邪魔しようとした人々のIDを末梢したこと,これによって,「電子メールが検閲されている」という非難が上がり,怒った加入者らは,他のユーザーにもボイコットを働きかけた。
和解するため,Prodigy側は新しいガイドラインを提示.「Prodigyは個人的な電子メールを読めないものとする。メッセージは,受信者と送信者だけのものである.Prodigyは電子メールを「個人活動だけのためのもの」とし,商業目的のためではないものとする」とある.一方,誰もが読めるPublicBulletinBoardのメッセージは,掲載前にオフィシャルの目を通さなければならないことから,いまだ不満は収まらない模様。もともとの議論は新しいメール料金についてのものだったが,問題はこじれてしまったよう.
その3.反体制のコンピュータユーザーグループ「Legion of DOOM」の3人に判決が下った.ジョージア州に住む21歳の青年が21カ月の刑を,2名の共犯者(23と22歳)は14カ月の判決を受けた。3人は9つの州にわたる911番緊急用ネットワークに入り込み,アクセスコードを他のコンピュータユーザーに流した。侵入は,1987年9月から1989年7月の間に行なわれ,盗み出されたプログラムはある電子関係のニュースレターに載ったという。弁護士は「彼らは,目の前におかれたコンピュータ世界のドアに溺れ,知識の探求をしたまでだ」と弁護した。あまり説得力がないような気がするが.
Apple3題どうだろう1991年のMacは成功したのだろうか。32年後から来たという設定の私は覚えていない。未来人であることの証明は難しい。
Apple社の動きを3つまず,VLSI社,英Acorn社とともにRISCのベンチャー企業を設立した.Advanced RISC Machines社と名付けられたこの新会社は、32bitチップ市場をターゲットとしてAcorn社のRISC技術を発展させるということで,Acorn社は150万ポンドのRISCに関する知的所有権を新会社に移したという。Apple社は150万ポンド,VLSI社は25万ポンドをそれぞれ新会社に投じている.ここで開発したチップが即Apple社の次期CPUとなるのかと思ったが,LBPやディスプレイカード用のチップを開発する模様である.
2つ目は,AppleIIGS用のHyperCardの発表機能は,Mac用のVer.1.2.5をベースとしてカラー表示能力を追加したもので,価格は99ドル.1.5MbytesのRAM,システムソフトウェア5.0.4以上,FDD1台およびHDまたはネットワークに接続されている必要があるという.'91年2月中旬に発売予定.
3つ目は,John Scullyがシェア拡大を予言,'91年の同社のマーケットシェア拡大に関して,「とりわけ,下位機種のマーケットが拡大していくことを期待している」と述べたという.68040搭載のMacは開発につまづいているという報道もある中,強気である。
対する(?)Commodoreは,200万台目のAmigaが売れたと発表。1985年に登場し,'89年初めに100万台を超え,昨年は記録的な伸びをみせ,末には200万台を突破した。
Mini Dragonsの危機?韓国製のコンピュータ全然覚えていない。中国はこれから外国の技術を奪って発展していく。多分分かっていても中国市場で儲けようとすると罠を逃れることができない。
韓国のコンピュータ業界がスランプにあるというニュースが入った。関係者は,「労働賃金の増加,市場の行方を見失った,ライセンス技術に頼りすぎたことなどがあだとなって韓国の競争力を極端に低下させてしまった」と語る.経営陣は,これらの問題は市場調査にもっと時間と金をかけて情報を得ることで解決できるというが「一番大きな問題は,構造的なものかもしれない」と考えているという.現在,韓国のコンピュータ工業はいくつかのコングロマリットに握られており,これらが急激な市場の変化についていくことは難しいのではということらしい。韓国のパソコンの輸出は,'89年には674万ドルだったものが'90年には427万ドル,つまり37%も急激に低下。対米輸出も45%落ちて195万ドルになったという。本当だろうか.
隣の中国では,エレクトロニクス博覧会が開催された。約600以上の国内の企業,大学などが北京博覧会会場に集結。7日間にわたるこの博覧会には,電子コンポーネント,コンピュータ,エンジニアリングおよび軍事機器を含む5000種類の製品が展示されているという.
コンピュータ配達に待ったこれはどうなったのだろうか。多分続報はASCIIにないだろう。雑誌記事はこういう放り投げたような記事がある。
米郵政省は,オハイオ州アクロンにおいて,休日の配達を迅速に行なうためのハイテクプログラム実験を予定していたが,プライバシー侵害を引き起こすのではないかと議論を呼んでいる.内容は,まず,個人や企業が休日の配達先住所を郵便局に知らせる.郵便局は,そのデータをバーコード化し,郵送ラベルにプリントして,それぞれの個人や企業に送る。利用者は発送者にあらかじめこのラベルを送付して,自分宛ての郵便物に貼付してもらう.局はコードとコンピュータファイルを照合して配達するというまだるっこしいもの。問題はファイルの保存についてだ.
反対側は「これは郵便を送る側も送られる側にとっても恐ろしいことだ。もし自分が受け取ったクリスマスカードが,ある事件の容疑者である人から送られた,ということでFBIに調査をされていたらどうだろうか?医療福祉関係,政治活動グループなどのリストは,その患者や活動家たちにとって非常に深刻な問題に発展するおそれもある」と述べており,全国展開には議論が必要のよう.
携帯電話は料金も高くまだまだだった。★
さて,昨年12月からNTTの電話番号案内104が有料化され,パソコンによる番号案内「AngelLine」も始まった.パソコン通信のできる環境の人ならアクセスできるのでぜひやってみよう.なにしろ104は1件30円だが,こちらは1件10円(3分まで)。23時から6時までは4分10円である。電話番号0190-104-104,通信速度:2400pbs以下,プロトコル:8bitノンパリティ,漢字コード:JISである.いつも使っている通信ソフトがあれば,一般の大手BBSと同じプロトコルなのでそのままダイヤルしてみるといい。もし,文字が化けたら,漢字コードが違っているので,各ソフトの設定をしなおす。検索条件は半角のカタカナか全角ひらがなで入力.企業,個人名に都道府県と市群,区町村までは少なくとも入れる必要がある.そして,個人名なら5件,企業名なら50件に絞られたら,一覧が表示される.それ以上の場合は「特定できません」というメッセージが出るので,そのときは,名前や詳しい住所を入れればいい.
まず,調べたくなるのが自分の電話番号.ハローページと同じだが、住所が番地まで出るのでちょっと怖くなる。これを使えば,住所しか知らない女の子の電話番号を調べることもできる.市や区まで分かっていればいいわけで,名字が珍しければ一発で見つかる.
最大の難点は,一度検索が成功すると(つまり,絞り込みが成功すると),回線を切って、再度ダイヤルしないと次の検索ができないということ.自動運転によって大量データを取得させないためだろうが,意味がない。その気になれば,リダイヤルで自動運転できるので,不便なだけだ.3分当たり10円取っていただいて結構なので、長時間楽しませてほしいもの。
ちなみに,NTTでは,検索ソフトを無料配布している。アクセスしながら条件を入力できて,かなり便利。対応機種は98,J-3100,FMR,AX,PS/55などで大手BBSにもUPされている模様。タダといえば、今回の104有料化とともに全国の電話帳もタダになったので,近県のものをもらいに行こう!
もうひとつ12月から始まった「電子化」が特許庁の出願。個人にはなじみがないが,年間70万件以上もの出願があり,審査が促進されるという.通信による出願とFDの持ち込みの2種類があるが,FDが飛んでいたとか、回線がビジーで出せなかったため競争相手に先を越されたなどといった逸話ができるかもしれない。電話ねたの最後はみなさん注目の「超小型携帯電話」だ.NTTが,IDOやセルラーより小さい「世界最小」の携帯電話を開発し,4月からサービスを始める。重量は230gで,体積は150ccと,ミニモより3割小さいうえ,通話待ち可能時間はミニモの9時間から16時間へ,連続通話時間は30分から45分へと延長している.まさにノート型パソコンなみの新機種戦争である.
ただし,来年にはデジタル式に移行が始まるし,'94年には,現在の通常の電話機と同様に,販売が自由化されるという。留守番電話やコードレスのように,家電系メーカーが参入すれば,高機能・低価格化が期待できる.前に話した「地球上ならどこでも使える携帯電話構想」もあるし,いつ買うかはなかなか難しい。ノート型パソコンに内蔵されたものも欲しいが,そのうち「留守番機能付き携帯電話」などという機種が出るかもしれない。
パソコン広告(月刊ASCII 1991年2月号1) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
もう一度読み返し、スクラップする。
裏表紙は前号の使いまわし。
左頁は98NOTE nv。CPUがV30HLなのに価格は248,000円。大したことがないと思ったらレジュームが付いていた。注があった。「市販ソフトウェアで一部レジューム機能を使用できないものがあります。」とあった。98はソフトが豊富で、ハードウェアをゴリゴリ操作したり、速度を速くするためのテクニックを使っているものがあった。ソフト会社は98の性能を極限まで使おうとしていた。優秀だった。逆に言えば、タコなマシンだったからソフトで頑張ったということだ。
右頁はPC-9801DX。CPUは80286(12MHz)で凡庸なマシンだった。98はこれでも売れていた。客はショップにパソコンを買いにいったのではなく、98を買いに行った。
98 NOTE nv 248,000円 CPUがV30HL(16MHz)レジュームあり
98 NOTE sx 298,000円 CPUが386XS(12MHz)
98 NOTE nv は良い機械だと思うが、98 NOTE sx は価格的にもどうかと思う。
左頁はIBMパーソナルシステム/55
右頁はMac
TOWNSはほぼ前号の使いまわし。
富士通のNoteBook。各社の秘書さんが気になる。
左頁はTOWNSのソフト募集広告。
右頁はATARI
東芝のSPARC LTは前々号の使いまわし。
左頁はエプソンのPC-386GとPC-386Sで前々号の使いまわし。
左頁はパナソニックのノート PRONOTE。
Apple と Canon によるMacの広告は前号の使いまわし。
キヤノンのレーザーショット。
CanonのGJ-noteプリンタは前号の使いまわし。
キヤノンのAXi。
ジョブズのNeXTがとうとう前号の使いまわしになった。
DynaBook SXシリーズ。
SONYのQuaterLのノートパソコン QL/Note
SONYのNEWS
京セラのハンディパソコン。Refalo。
機体の実物大の写真を外した状態。
機体の液晶画面の無い面。表面というのか。
左頁はVZエディタの広告。これは大変満足した製品だった。価格も9,800円安かった。
昔同僚とソフトの違法コピーで議論になった。私は「ソフトが高いから違法コピーをする人がいる。安くなれば違法コピーは無くなる」と主張した。同僚は「ソフトの価格に関係なく違法コピーは続く」と主張した。議論はものわかれになった。VZは大変いいソフトだから買ってくれと言って回ったが、コピーを使う人はいなくならなかった。そのとき私は間違えていたと悟った。ただで手に入れる手段があれば金を払わないのが多数派だった。私はなまじプログラムを作るのでその労力を知っているから金を払おうと思ったのだろう。しかし不思議なのには、違法コピーは蔓延る中でインターネットでは投げ銭とかがあるのはなぜだ。なぜ金を払うのだろうか。
一太郎の広告が減った。これだけになった。
マイクロデータの製品群の広告。エコロジー、オーシャノグラフィ、ノストラダムス。
MicrosoftのWoks。
ツクモ。パソコンショップでカラーページに広告を載せているのはツクモだけだった。
右頁は花王のフロッピーディスク。試供品のソフトが付いていた。
花王フロッピー劇場「ROUTE 246」これはオリジナルゲームだったのだろう。
デモ・ディスク、体験ディスクが付いていた。
裏表紙裏はFUJI FILM
前号の使いまわし。
裏表紙は前号の使いまわし。
左頁は98NOTE nv。CPUがV30HLなのに価格は248,000円。大したことがないと思ったらレジュームが付いていた。注があった。「市販ソフトウェアで一部レジューム機能を使用できないものがあります。」とあった。98はソフトが豊富で、ハードウェアをゴリゴリ操作したり、速度を速くするためのテクニックを使っているものがあった。ソフト会社は98の性能を極限まで使おうとしていた。優秀だった。逆に言えば、タコなマシンだったからソフトで頑張ったということだ。
右頁はPC-9801DX。CPUは80286(12MHz)で凡庸なマシンだった。98はこれでも売れていた。客はショップにパソコンを買いにいったのではなく、98を買いに行った。
98 NOTE nv 248,000円 CPUがV30HL(16MHz)レジュームあり
98 NOTE sx 298,000円 CPUが386XS(12MHz)
98 NOTE nv は良い機械だと思うが、98 NOTE sx は価格的にもどうかと思う。
左頁はIBMパーソナルシステム/55
右頁はMac
TOWNSはほぼ前号の使いまわし。
富士通のNoteBook。各社の秘書さんが気になる。
左頁はTOWNSのソフト募集広告。
右頁はATARI
東芝のSPARC LTは前々号の使いまわし。
左頁はエプソンのPC-386GとPC-386Sで前々号の使いまわし。
左頁はパナソニックのノート PRONOTE。
Apple と Canon によるMacの広告は前号の使いまわし。
キヤノンのレーザーショット。
CanonのGJ-noteプリンタは前号の使いまわし。
キヤノンのAXi。
ジョブズのNeXTがとうとう前号の使いまわしになった。
DynaBook SXシリーズ。
SONYのQuaterLのノートパソコン QL/Note
SONYのNEWS
京セラのハンディパソコン。Refalo。
機体の実物大の写真を外した状態。
機体の液晶画面の無い面。表面というのか。
左頁はVZエディタの広告。これは大変満足した製品だった。価格も9,800円安かった。
昔同僚とソフトの違法コピーで議論になった。私は「ソフトが高いから違法コピーをする人がいる。安くなれば違法コピーは無くなる」と主張した。同僚は「ソフトの価格に関係なく違法コピーは続く」と主張した。議論はものわかれになった。VZは大変いいソフトだから買ってくれと言って回ったが、コピーを使う人はいなくならなかった。そのとき私は間違えていたと悟った。ただで手に入れる手段があれば金を払わないのが多数派だった。私はなまじプログラムを作るのでその労力を知っているから金を払おうと思ったのだろう。しかし不思議なのには、違法コピーは蔓延る中でインターネットでは投げ銭とかがあるのはなぜだ。なぜ金を払うのだろうか。
一太郎の広告が減った。これだけになった。
マイクロデータの製品群の広告。エコロジー、オーシャノグラフィ、ノストラダムス。
MicrosoftのWoks。
ツクモ。パソコンショップでカラーページに広告を載せているのはツクモだけだった。
右頁は花王のフロッピーディスク。試供品のソフトが付いていた。
花王フロッピー劇場「ROUTE 246」これはオリジナルゲームだったのだろう。
デモ・ディスク、体験ディスクが付いていた。
裏表紙裏はFUJI FILM
前号の使いまわし。
バーチャル・リアリティー最前線(前編)(月刊ASCII 1991年1月号6) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
特別企画は「バーチャル・リアリティ最前線」だった。
32年経っても一般に使われていない。32年前姿かたちも無かったスマホがこんなに進化したのにバーチャル・リアリティは何をしているのか。どうしてこんなにも進化しなかったのか。32年前一体バーチャル・リアリティをどのように考えていたのかを知るためにスクラップする。
リード文をスクラップする。
32年経っても一般に使われていない。32年前姿かたちも無かったスマホがこんなに進化したのにバーチャル・リアリティは何をしているのか。どうしてこんなにも進化しなかったのか。32年前一体バーチャル・リアリティをどのように考えていたのかを知るためにスクラップする。
リード文をスクラップする。
ホールアース研究所主宰の24時間バーチャル・リアリティ・イベントが開かれた。古くはAppleIIの頃から,コンピュータが西海岸の文化に影響を与え,またその逆もあり、そこから多くのシーンと多くのソフトウェアが生まれてきた。そのひとつの発信点が、あの「ホールアース・カタログ」を発行するホール・アース研究所なのだ。ホール・アースがバーチャル・リアリティを仕切ったといえば,何かが生まれそうな予感がする.しかもSF作家ウィリアム・ギブスンまで登場とあっては,バーチャルリアリティ,サイバーパンク,ホール・アースのトライアングルから眼が離せないのは当然のことだろう.知らない名前のオンパレードだ。
サイバーソンの告知は西海岸~日本間で電子メールでやりとりされたこの頃は電子メールでやり取りするというのが特別視されていた。
アスキー読者なら,いや,アスキー読者にかぎらず,コンピュータのアプリケーションに興味を持ち,またインタラクティブな快楽を知っているユーザーなら,バーチャル・リアリティ(Virtual Reality/仮想現実,以下,VR)がとても気にかかるだろう.
VRとサイバー文化について,ひとつのエポック(新時代)となりそうなイベントが,ホールアース研究所によって開かれた。「24時間・VRの冒険」と銘打たれた“Cyberthon"が,それだ.
この話は,Howard Rheingold(ハワード・ラインゴールド)*1氏から日本の会津泉氏を通じて伝わってきた。ラインゴールド氏は,'90年の9月からホールアースレビューの編集長に就任し、この「サイバーソン」というイベントでも実質的なキューレーター/オーガナイザー(仕切り屋)を務めている.
日本のパソコン通信の草分け的な人物会津泉氏が,'90年2月にラインゴールド氏を大分日出会議(ひじかいぎ)に招聘した,その関係が広がって,今回の貴重なイベント参加につながったというわけだ。
そして,当然,その告知はパソコンネットを通じてネット上でやりとりされたのである。
コローサル・ピクチャーズがねらうVRと映画の融合
「サイバーソン」の会場はサンフランシスコ市内から車で20分くらい,ベイエリアにある「コローサル・ピクチャーズ・スタジオ」(写真1).このあたりは夜間はとても危険な区域だが,べつに深い意味はない.
特撮おたくなら知っている人も多いだろうが,「コローサル・ピクチャーズ」とは映画「スタートレック」などいくつかの作品の特撮部分を受注しているSFXプロダクションなのだ。地価の安い区域に建てたほうが,製作費削減につながるというわけ.
では、なぜコローサルがホールアースとくっついてVRなのかというと,映画業界でも当然VRで映画を作ろうとする動きがあってそういう含みおきがあってのうえでの会場提供ということらしい。
じっさい、会場の入口ではVR映画関係のTシャツを40ドルで販売していた(写真2)*2
ゲーム世代のジティブなアイデアマンW・ロビネット(UNC)
ハワード・ラインゴールドは明るい色調のアクリルの絵の具をふりまいたような派手なプリントシャツ,ベースボールキャップの上に“サイバージュエリー”と呼んでいた明滅するLEDの装飾をつけている(写真3).
ラインゴールドの紹介でオープニングスピーカーとして登場したのがUNC(ノースカロライナ大学)のコンピュータ・サイエンス・ディビジョンにいるWarren Robinett(ウォーレン・ロビネット)氏だ(写真4).氏はその昔AppleII用の教育ゲームの傑作を作った人で,ラインゴールドいわく,オープニングにふさわしいグッドスピーカーだということだ。「VRの発見はコロンブスの新大陸発見にたとえられる。この空間はまだ処女地で,空間は虚に満たされている。しかしやがてこの三次元空間にさまざまな物体が満たされるだろう」といい,ビデオテープによるプレゼンテーションに入った。
最初はVPLリサーチ社のRB-2システムを使った分子結合のシミュレーション,データグローブのかわりにモア・キューという入力デバイスを使っているのが特徴的だ。これはユニバーサル・ジョイント(蛇腹のようにぐにゃぐにゃ自由に曲がるジョイント)にくっついた手のひらにすっぽり収まる球体にボタンが2つくっついているもので,グリップの感じが良くて操作性はなかなか優秀そうだ。った.ロビネット氏いわく「データグローブは操作性にあまり優れない」そうで、たしかに長時間手を開いたままよりも,なにか握っていたほうが疲労感が少ないと思った。
ほかにも、現在遠隔操作などによく使われているマニピュレータとボールを組み合わせたり,軽量型のヘッドマウントディスプレイを自分で開発したり(写真5),イクイップメントには凝る人らしい。
またアプリケーションが進んでいてビデオで見ただけでも,分子結合,都市計画,住宅の景観シミュレーション,局部ガン細胞に効果的に放射線を照射するためのMEなどがあった。
三次元空間のアドベンチャー・ゲームだと称してエレベーターのある空間や、へんな鳥を撃つビデオプレゼンテーションもあった(鳥より,わに,みたいと会場から声,笑い)。また,ロビネット氏は,バーチャル・リアリティという言葉ではなく,Synthetic Realityという言葉をコンセプトとして,OHPによるプレゼンテーションに入った.
Syntheticとは[総合的な][(化学)合成の]という意味を持つ形容詞で,シンセサイザーの語源もここからきている.
従来のメディアによって得られる体験をナチュラル・エクスペリアンス,VRのような体験をシンセティック・エクスペリアンスと呼んで区別,シンセティック・エクスペリアンスとはあたかもそこにいるような体験であると説明した。これではなにか,まだはっきり分からないので表1のようにビヘイビアの参照体系を表にしていた。時間・空間,五感,五感以外のセンシング,また自立した模擬空間への干渉などを,まさにシンセサイズする体験こそ,シンセティック・リアリティをもたらすものだ,ということだ.
入力装置に凝ったり,五感と時間・空間を自由自在に加工し総合する,いわば体験シンセサイザーのようなビジョンを提案したり,このコンセプトは、従来の科学分野別に整理され語られるバーチャル・リアリティ論よりも、感覚(sense)と体験(experience)による参照体系を切り開いた点で,ビデオゲーム世代の筆者にはよっぽどリアリティがあった(ロビネット氏はゲーム世代のアイデアマンといった印象を受けた)。
だからこそ、このあと繰り広げられたロビネット氏一流の,まるでヒューゴー・ガーンズバックの時代から抜け出してきたかのような絵コンテも,ただの絵空事ではなく,楽しめた。
たとえば,医学における応用例は,X線や電磁波による体内図像などをヘッドマウントディスプレイに映し出し,手術するという絵コンテ(写真6),大量の基板が重なった複雑きわまりないジェット機の整備補修作業にへッドマウントディスプレイを使っている絵コンテ(じっさい,後述するワシントン大学ヒューマンインターフェイス研究所,略称HIT Lab~~ヒット・ラボ~では,ボーイング社整備要員の社内教育向けに,エキスパート・システム的なバーチャル・リアリティシステムを開発中だった),建築のショーイングやプレゼンテーションの絵コンテ,ロボティックスやNASAの研究と結びついたテレプレゼンスの絵コンテ(写真7),蜜蜂の世界に迷い込んだかのようなマイクローテレプレゼンスの絵コンテなどが続いた.
さらに三次元的な把握の感覚がなければ分からないものとして,UNCで最も成果の出ている高分子のCG,写真を例にあげ,たんぱく質の合成などは試験者やマニピュレータにとって三次元の空間把握が必要なことを示した.
この統合化こそシンセティック・リアリティだ | |
Synthetic Experience can be シンセティックな体験にできることは… | 通常でそれと似た体験ができるメディアは… |
remote in space(遠隔地を結ぶ) | telephone(電話) |
remote in time(時間を結ぶ) | photograph(写真) |
different in scale(尺度を操る) | microscope(顕微鏡) |
different in time-scale(時間を操る) | time-laps photograph(時間判定写真) |
a transformation that makes something perceptible(感知し伝える) | giger counter(ガイガーカウンター) |
completely simulated, with no sensing of the real world (現実世界を感知しない完全な模擬体験) | video-game(ビデオゲーム) |
二番手のスピーカーは元空軍関係HMD開発史を説明流石、軍用の技術「切手サイズの高解像度ディスプレイが開発され,使われている」は凄いが、32年後でも売っていない。
続いて2人目のスピーカーは東のシアトルから.ワシントン大学ヒューマンインターフェイス研究所(Human Interface Technologies Lab.略してHITLab.)からの参加.
この研究所を立ち上げたTom Furness(トム・フォーネス)氏は,米空軍Wright Patterson基地に所属して,24年間以上もヘッドマウントディスプレイ(HMD)の研究を続けてきた(写真8).
我々のあずかり知らぬところで多額の研究費が費やされ,今もその一部は実際の兵器研究開発と関係があるため守秘義務があるという.
アプリケーションも(ちょうどコンピュータグラフィックスがそうであるように)多くの民生用の範囲を越えて充実しているのだそうだ。
ただフォーネス氏は,もうずいぶん空軍にも勤めたことだし,やりたいことと求められていることもずれてきたことだし,豊富な技術蓄積を軍事とはまた違った分野で人に役立てたいとしてノンプロフィットの委託研究セコンターを設立したということだ。
くだけた言い方が許されるならば,この人はラジコンが大好きないいおじさんといった印象を受ける。じっさい,「基地内でラジコンの飛行機を飛ばして偉い人のいる前で墜落させ,大目玉を食らい,こんな危険な研究は中止させるよう,とストップを食らった」エピソードの持ち主であるという.
それはさておき,OHPとスライド・プレゼンテーションによれば米空軍のスーパーココックピット計画は,(CGの父)エヴァン・サザーランドのビジョンをさらに進めるかたちの提案として、生まれた。
航空士が標的を見定めるためのヘルメット・サイトの研究,近代兵器としてのヘルメットはけっして新しくなく,'16年のハットガンにまで遡る(ここで当時のヘルメットにガンのついたいかにも古くさいイラストを紹介(写真9),場内に笑い)。
'66~'67年ごろ,古いタイプの輸送機やその変更型では赤外線を使って地表との距離を計測していた。その赤外線スキャナをヘルメットに取り付けたのが,HMDの端緒と考えられる.
'69年,戦闘機F104の時代になると,より軽いヘルメットの開発が叫ばれた,6Gから7Gという加速度の中でまぶたが重くなるし,不自由な状況で目標をちゃんと捕捉するために,それまでの方法にかわって10ミリラジアンの精度をほこる超音波マイクがヘルメットに取り付けられた。
さらに小さな立方体状の磁気センサ(Magnetic tracing device)が考案され,これによって精度が4ミリラジアンまで高められた.そういえば,VPLのRB-2システムでヘルメットとデータグローブの位置測定にサイコ口のような三次元磁気センサを使っていたのを思い出す(写真10).
また、資料を整理する途中,マクダネル・ダグラス社の製品としてこの三次元磁気センサを売っていることが分かった.OEMも引き受けているらしい。
戦闘機が高速化し,射程距離も伸びてくると,一方で戦闘機の操縦士たちが求めたのは有視界上にない,はるか先の,バーチャルな,しかし現実に存在する目標のイメージである.そこでヘルメットの目線の延長上にCRTモニタをくくりつけたもの(写真11)が考案されたと,不格好でいかにも重すぎるヘルメットのイラストを紹介,また場内の笑いをとる).この段階では実用化にほど遠かったのだが,じつは切手サイズの高解像度ディスプレイが開発され,使われている。これは現在でも商用ベースでは販売されていない.
TVディスプレイをつけたヘルメットは最初に,テスト機だったF110のテスト操縦士がかぶった.
さらに2台のTVカメラが戦闘機に取り付けられることによって,それまで片眼鏡で見る世界だったものが大げさではなくステレオになった。これは画期的なニューアイデアとなった。そのほかこれまで紆余曲折を経ているのだが,現在はホログラフィック・ディスプレイと3Dサウンドの研究がさかんになっている.
F15のコックピットともなれば300の操縦命令/17の計器表示に加えて9Gの加速度で頭が押さえられ目蓋が重く閉じられるのと格闘しなければならないというように,コックピットは操縦士にとって過酷な環境だ。
そのなかで,ダイレクトに的確に外部の状況/情報を伝え,正確な飛行と迅速で精度の高い攻撃を可能とするためには,コックピットにいかにお金をかけてもかまわない状況がある.
また視界の広さをキープすることも大切で,「スターウォーズ」に登場する有名なダースベイダー卿のヘルメットに似ているヘルメットでは、両目の部分が電子化されていて,120×60度の有視界を可能にしている(と,スライドを見せるがたしかに不気味).電子的にも広角の視界を可視範囲に納める技術も研究されているらしい.
トム・フォーネス氏がライト・パターソン基地を去ったのは'87年。軍用研究で培った技術予見や技術蓄積を人の役に立てたいーたとえば視界の広角化や広域化技術を視聴覚障害者のために役立てるであるとかーのために民間のノンプロフィットの新しい研究機関を設立したかったのだそうだ。この話は米CBSや英BBCほかで放映されたという.
現在,ワシントン大学HITラボでは手元の資料によれば8つのプロジェクトを抱えていて,順に,01バーチャル・シミュレーション・ラボラトリ/02バーチャル・インターフェイス・ナレッジ・ベース/03レーザー・マイクロスキャナ/04マインドウェア/05バーチャル・プロトタイピング/06ビジュアリゼーション/07サイバー・シーズ/08スーパー・キャブというプロジェクトネームがつけられている.
VWと略されるバーチャル・ワールド・システムズをまず中心として,その上に“サイバースペース”を構築し,各プロジェクトをその上で推進していくというが,現在は基本構想の段階のようだ。詳細は追って,または別の機会に追加取材,紹介していきたい。
マイロン・クルーガーも登場「少数意見」で気を吐く
続いて,ビデオアーティストのMyron Kruger(マイロン・クルーガー)氏が登場(写真12).“Artificial Reality;A Minority View"という題で講演した.
彼は“アーティフィシャル・リアリティ”という造語を'74~'75年に作った.有名な“VideoPlace(ビデオプレース)”という作品の提示'75年(写真13),究極のヒューマン・インターフェイスは人体であり,その体験のすべてがリアルであるとはかぎらない,と彼はいう.
私たちが住んでいる家だって動物の巣のような生息環境[Habitat]ではなく,イメージの外在化の産物である.
自分自身のリアリティ空間を実現するために居住空間を構築するとすれば,それはもうVirtualなのだ,と彼はいうのだ。
この意見は,クルーガーじたいが茶化して少数意見などといっているがアーティストとしてはたいへんまっとうな意見で,筆者もまたクルーガー氏の立場に立つものである.
かつて産業革命の時代に機械が代行した人間の「労働」を,コンピュータとインターフフェイスはその発達によって「思考」の域において代行しようとしている。その外在化・モデル化がVRのイクイップメント[装置]であり,加速度と機械のシステム[制度]から新たなテクスチュアが,まさに「織物の生地」のように紡ぎ出されるとしても,人間の想像力の根源がなければ,つまり人間が「想像する生物」でなければ,けっしてその出力は生まれない.
べつの言い方をすれば,エクリチュールに対する「原エクリチュール」のように,VRの前に「原VR」があるはずだ。読者も,「コンピュータにかぎらずVR的な状況ってあるよな」とか、「映画“トータル・リコール”って,あれはVR的な映画だよなあ」とけっこう口に出して言っているかもしれない.それだよ,それ,と筆者は声を大にしていいたい.
コンピュータリゼーション,パーソナリゼーションの加速度にはまることは快楽だが,いま機械によって外在化しようとするのは人間の想像力/欲望の根源ではないのか.
マイロン・クルーガー氏の意見でたいへんおもしろかったのは“VideoPlace"の"Place" にあたる解釈だ(表2)。
彼は,コミュニケーションの概念を,こう崩してみせる.コミュニケーションとは地点Aから地点Bへの情報の移動ではない(ここで,通信=交通とモデルを立てていた私たちはめくらましにあう)。コミュニケーションとはインフォメーション[情報]をシェア[共有]する場所を創造する行為なのだと。つまり相手から相手に伝わるためには一種の共有領域が必要だというわけだ。この共有領域なくしては,情報の移動はあるがコミュニケーション[伝達]にはならない。共有領域とは,価値体系の共有を指すのだろうか。ネットワーキング・エイジ,ワークステーション・エイジには感覚的にじつにフィットするコミュニケーション理論である.じつに眼が洗われる思いがした.
しかも彼の理論は,のちに訪れたAutodisk社の“Cyberspace"プロジェクトで“Simulation behaviour”として,今度は技術寄りの言葉によって語られることになる.後述する.
VR生みの親S・フィッシャーは新会社テレプレゼンスリサーチを設立
Scott Fisher(スコット・フィッシャー)氏が続いて壇上にあがる.
読者もよくご存じだろう,彼こそNASAエイムズ研究所で'86年に“VIRTUAL NVIRONMENT DISPLAY SYSTEM"なる研究論文を書き上げた,いわばバーチャル・リアリティの直接の生みの親にあたる(写真14).
彼はMITメディアラボの出身.N・ネグロポンテのもと,アーキテクチャ・マシン・グループに在籍していた(なんと,ニューメディア/マルチメディアの世界では伝説の,アスペン・ムービー・プロジェクトにも参加).その後,NASAのエイムズ研に移り,バーチャル・エンバイロメント(仮想環境)とヘッドマウントディスプレイの研究に従事,サイバーソン最初のスピーカー,ウォーレン・ロビネット氏もじつはこの時期にNASAエイムズ研で同僚だった。
S・フィッシャーが,当時まだ学生だったジャロン・ラニアーに会社(VPLリサーチ社)を設立させて,RB-2システムを開発,VRは一気に米西海岸シリコンバレーで最も注目される技術となっていったのだ。
そのS・フィッシャーが,ちょうどジャロン・ラニアーとともに青山TEPIAに来日し'90年の6月,エイムズ研を離職、あらたにVRのベンチャービジネスを開始した。それが“テレプレゼンスリサーチ社”である.スコットは,また彼にかぎらずVR関係者の誰もが,このさまざまな領域にまたがる新技術の名称について考えあぐねている.バーチャル・リアリティという言葉の反語的なインパクトばかり先行してしまっているからだ.そのため,スコットは新会社にVRを連想させる名前をつけず,わざとコミュニケーション寄りの“テレプレゼンス(遠隔存在)”という概念を用いた.
そして相棒は,あの,仮想環境ゲームのはしりでもある"Little Computer People"のプロデュースでも知られる元Atari社のブレンダ・ローレル女史.彼女はインタラクティブ・ファンタジーの専門家で,アラン・“ダイナブック”・ケイの盟友でもある。スコットとブレンダのふたりが組んだら,どんなアプリケーションが登場するのだろう。しかもうれしいことに,ベンチャー企業テレプレゼンスリサーチ社は,日本企業からの委託研究や共同開発研究を行なっているのだった.
さてS・フィッシャーの論題は“TELEPRESENCE From Panorama to Personal Simulators(テレプレゼンス:パノラマから個人模擬体験装置へ)”.
ここでスコットは,テレプレゼンスの起源を2世紀前までに戻し,18世紀中期のパノラマに求める。ここではのぞきからくりから長大川下りが楽しめた。360度全周映像で観客をはまらせるといえば大阪万博の三菱館があった.ただし,まだ映像はインタラクティブではなく、観客がそうした全周映像/風景のどこかに行くということはできなかった.
一方でフライトシミュレータは観測主体の行動で情景がインタラクティブに変化していった.
MITで10年前に行なわれたアスペン/ビデオ・ムービー・マップの研究開発では,ホログラフィ効果もあいまって,その町のどこにでもドライブしていけるような疑似体験が可能になった。
こうした,パノラマから全周映像にいたる視覚体験と,インタラクティブなシミュレータとはやがて当然合致していった,とS・フィッシャーはいう。
オレゴン国立研究所のリモート・カメラ映像を映す巨大なTVモニタ.フィルコ社の監視用カメラモニタ装置.テレファクタ・コープのリモート・ビハイクル.ハワイの海軍兵学校研究所のスケルトンモデルなど仮想環境装置は新しいように見えて,じつは突然ぽっと出てきたものではなく長い思考錯誤と研究期間のすえに花開いたと彼はいう.
そうした,さまざまに並行する研究の歴史のうえに、彼や彼の同僚マイク・マグリビー,ウォーレン・ロビネットらがNASAエイムズ研での研究を開始した。'86年,ラスベガスで開かれたCES~コンシューマ・エレクトロニクス・ショー~で,彼の同僚マイク・マグリビーはヘッドマウントディスプレイシステムを参考出品,それを現地紙でありまたシリココンバレーの業界紙も兼ねるサンノゼ・ウィークリー紙は“HelmetofDreams”と題して特別囲み記事で紹介している.
エイムズ研から生まれたバーチャル3Dサウンド,コンヴォルヴォトロン
いっぽう,仮想環境に関する研究の一環として,仮想の音場システムとしての3Dサウンド~3D Auditory Display(三次元聴覚表示)~の研究も行なわれた.
3Dサウンドに関する主任研究員はMs.Elizabeth M.Wenzel/Ph.D(愛称ベス・ウエンゼル博士,女性,調査心理学).彼女と,Scott Foster(スコット・フォスター)氏のふたりが中心となって進められた(写真15).
現在、スコット・フォスター(ややこしいけれどS・フィッシャー氏とは別人です,念のため)氏は,クリスタル・リバー社というベンチャーを設立。“Convolvotron(コンヴォルヴォトロン~うず巻とろん,と迷訳しておきましょう)"なる3DのDSPボードを製品化して売っている.
RB-2システムを販売するVPLリサーチ社,"Cyberspace"プロジェクトを推進するサイベリアンたちの集うAutodisk社などでは,自社システムバーチャル3Dサウンドをオプションで載せる場合,コンヴォルヴォトロンで,と指名つきなので,どうやらVRの3D“オフィシャル”サウンドの最右翼は,クリスタル・リバー社製品となるらしい.
それでは,3Dサウンドを何に使うか?サイバーソンメインステージでの2番目のスピーカー,元空軍ライト・パターソン基地のトム・フォーネスもいうように,とっさのときの素早い状況認識を人間は音でも察知しているわけだから,戦闘機コックピットでの全方位の音の定位から敵機や敵の放った追尾ミサイルの位置を把握するであるとか,空港管制塔における航空管制官の判断補助システムに活用できるらしい(写真16~19).3D soundfor Airport.
じつは私たちはサイバーソン会場で,ある著名なアーティストに遭遇したのである.
ブライアン・イーノも会場に来ていた
ロック・ミュージックの分野で“環境音楽”の概念を確立した,現在ビデオアーティストでもあるBraianEno(ブライアン・イーノ)!!!
サイバーソン参加者はAutodisk,Sence8,VPLリサーチ各社のVR装置に参加する資格がくじ引きで与えられていた.
1時間ごとに各社3~4人ずつの「当たり」がでる.深夜3時だか4時だかに,リサーチ社に向かう、僕らはマジカル・ミステリー・バスと仮に呼んでいたが(ジャロンは凝ったことをする人で,VPLだけブースがなく,レッドウッド・シティにあるVPL社まで送迎バスを出していたのだ),とにかくそのバスに乗ることができる当選者名簿にBrian Enoとあったのである.
イーノの姿は明け方に確認された.
余談だが筆者は,この視察旅行に参加する前、某雑誌のブライアン・イーノ対談の構成依頼を多忙を理由に断っていたのである,まったく、あのとき会っておけば(イーノは自動車メーカー・トヨタの大型新ショールーム“アムラックス東京”のオープニングイベントにビデオ・インスタレーションを展示するために来日していた).
案の定、帰ってきてから雑誌のインタビューを見ると、しきりにバーチャル・リアリティと言っているじゃあないか。ほんとに,仕事はむげに断るべきではないと思った.
さて、10月6日土曜日正午から始まったサイバーソン。このへんまでは,スピーカーがグッドプレゼンテーターのスタンスを守りスライド,VTR,OHPを使ってVRの歴史,背景,アプリケーションについて丁寧に解説を続けた。ある意味では至極まっとうな,般のコンベンションやカンファレンス,見本市ととくに変わることがなく……。しかし、VRをめぐり,ここまで面子がそろったという感じは,やっぱり“フェスティバル”である.
そして,夕刻から完全に夜になると,観衆が続々とメインステージに集まってきた.ジャロン・ラニアーの登場である。
レッドウッド・シティから遅れてくるなり,このライオンは開口一番,
「……みんなも知ってるとおり,だいたい話すことは話してしまったんだ.さあ,質問は」たちまち満員の観衆から手があがる.次回では,この質疑応答から,T・リアリー,W・ギブスン,そしてオートデスク社,センス8社などの開発思想,設計思想までお届けする.乞うご期待.
Gerant,DynaBook,学校制服デザイン(月刊ASCII 1991年1月号5) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
PRODUCTS SHOCASEからGérantをスクラップする。
まとめ部分をスクラップする。
ロードテストのJ-3100SSは「ノート型コンピュータは姿勢が悪くなる?」だった。記事はスクラップする価値がなかったが図はそれなりだったのでスクラップする
ノート型コンピュータが売れ出した頃なのでこういう記事もあった。
ノート型マシン情報から写真をスクラップする。
面白い記事があった。
「日本電気(株)C&C情報研究所 学校制服デザイン支援システム」
33年前の記事とは思えない。今でも十分通用するというか実は今では普通に使っているのでは思うほどだ。スクラップしていくとこういう面白記事に遭遇する。それは月刊ASCIIだからだと思う。他のパソコン雑誌では登場しないと思う。
まとめ部分をスクラップする。
Gérantの狙ったものこの機械は全く覚えていなかった。三洋電機が作ったからかもしれない。ソフトがいまいちならシャープやキヤノンが作っていたらもっと知られていたのかもしれない。
Gérantの発表は2年近く前のことになるとはいえ,アイデアそのものは今でも色あせていないものがいくつも見られる.たとえば,音声をメモやシールの形で貼り付ける,電話の管理までソフトウェアで行なう,モデムと特殊ボタンの装備などがそうだ。Gérantのハードウェアは,内蔵モデムが1200bpsだったり内蔵HDDが20Mbytesといささかアナクロなスペックはあるものの,マシンの瀟洒なデザインは机に置く気にさせる.
ハードとソフトが巧みに連携したシステム設計の妙が伝わってくるだけに,ソフト側の基本的な機能不足や使い勝手の悪さが惜しまれる。もっとも,スピードの面はHMAなしの286マシンでWindowsを使っているせいもある.CPUを386にして動作速度とメモリ環境の改善を図り,ソフト側のシェイプアップが行なわれれば,かなり魅力的なマシンになるのではないだろうか. (野口)
ロードテストのJ-3100SSは「ノート型コンピュータは姿勢が悪くなる?」だった。記事はスクラップする価値がなかったが図はそれなりだったのでスクラップする
ノート型コンピュータが売れ出した頃なのでこういう記事もあった。
ノート型マシン情報から写真をスクラップする。
面白い記事があった。
「日本電気(株)C&C情報研究所 学校制服デザイン支援システム」
数年前、森伸之氏が書いた「東京女子高制服図鑑」という本が話題になった。著者が東京中の女子高生を観察し,その生態(?)をかわいい制服のイラストとともに紹介したものだ。世の制服フェチの男性にも受けたが,女子中学生が志望校選びの参考にしたりと、読まれ方もいろいろだった。
さて,日本電気の研究所が,校風に合わせた女子中高生の制服をデザインするためのシステムを作ったそうだ。いったいどんなシステムなのか,訪ねてみることにした。
C&C情報研究所は東急線宮崎台駅近くにある.マルチメディア関連の技術を研究している情報応用研究部の荒関さんと笠原さんが案内してくれた.
「制服デザイン支援システム」のシステム構成はEWS4800ワークステーションにビデオプロセッサと光ディスク装置をつなげたもの.ソフトの技術については「既存のデータベースシステムをもとにしていて、目新しいものはない」そうだ。
では,どこが凄いのか?それはいままでコンピュータが苦手としていた「かわいい」,「親しみやすい」などといった“あいまいな”表現による入力を可能にしたことだ.
――「どんな制服がかわいくて,どんな制服がダサイか,どうやって判断しているのですか?」
「着る立場の女子中高生,見る立場の男子大学生,作る立場の専門デザイナー合わせて200人に制服の基本デザインを見せて,アンケートを取った結果をもとにしています」
――「それにしてもどうして制服なんですか?」
「以前から私たちは,デザインの支援システム開発を通して服飾,生地メーカーさんとおつきあいがありました。そこでコンピュータを女子の制服のデザインに使えないかという話が出まして,'90年代はどんどん子供の数が減っていくので,学校同士で生徒の獲得競走が始まっているそうです.そのとき,女子の制服のデザインが生徒を集めるための大きな要素として注目されているわけです。しかも制服のデザインを校風に合わせて,周辺校との差別化をしたい場合が多い。というわけで,十分市場が見込めるということと、話題性ということで制服のデザインをやってみたわけです」
いよいよ実物を拝見しよう.まず,基本的なデザインを決める.セーラーかブレザーか,ブレザーならシングルかダブルかなどを入力.次が、問題の「校風」である.「格式ある」,「親しみやすい」,「知性ある」,「個性的な」,「かわいい」,「シンプルな」,「ダサイ」,「子供っ「ぽい」という8つの評価軸について,+3から-3の間で評価を入力する(写真1)。すると、画面に制服の基本デザインが表示されるので、上着の色やスカートの模様をいろいろ試すことができる(写真2).次にブラウスの衿の形など、細部を変更してデザインをフィックスしていく(写真3)。ここで新しい衿の形を選ぶと,実物の衿の形を確認するために画面上に新たなウィンドウが開きビデオディスクが制服姿のかわいいモデルさんを映し出す……のだが、残念ながらここは写真に撮れなかった.
――「なぜ撮れないのですか?」
「我々のような部外者はやたらと制服を売って貰えないので,制服を入手するのにたいへん苦労しましてようやく学校側から借りたのですが、絶対に外部に出さないという約束なのです。所内ではお見せできるのですが、写真撮影やショウでの展示はできないのです」
当初は,人間のデザイナーの代わりにコンピュータがデザインするエキスパートシステムみたいなものかと思ったが,実際にはデザイナーのためのデザインシミュレータみたいなもののようだ。応用としては,CIや新車,インテリアのコンセプトワークなどへの活用を考えているそうだ。制服デザインについても、数社から問い合わせがきているという.
帰り道、貰った資料を見ていたら参考文献「森伸之:日本全国たのしい制服教室」とあった。やっぱり。 (根岸)
33年前の記事とは思えない。今でも十分通用するというか実は今では普通に使っているのでは思うほどだ。スクラップしていくとこういう面白記事に遭遇する。それは月刊ASCIIだからだと思う。他のパソコン雑誌では登場しないと思う。