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バーチャル・リアリティー最前線(前編)(月刊ASCII 1991年1月号6) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特別企画は「バーチャル・リアリティ最前線」だった。
32年経っても一般に使われていない。32年前姿かたちも無かったスマホがこんなに進化したのにバーチャル・リアリティは何をしているのか。どうしてこんなにも進化しなかったのか。32年前一体バーチャル・リアリティをどのように考えていたのかを知るためにスクラップする。
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リード文をスクラップする。
 ホールアース研究所主宰の24時間バーチャル・リアリティ・イベントが開かれた。古くはAppleIIの頃から,コンピュータが西海岸の文化に影響を与え,またその逆もあり、そこから多くのシーンと多くのソフトウェアが生まれてきた。そのひとつの発信点が、あの「ホールアース・カタログ」を発行するホール・アース研究所なのだ。ホール・アースがバーチャル・リアリティを仕切ったといえば,何かが生まれそうな予感がする.しかもSF作家ウィリアム・ギブスンまで登場とあっては,バーチャルリアリティ,サイバーパンク,ホール・アースのトライアングルから眼が離せないのは当然のことだろう.
 知らない名前のオンパレードだ。
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ASCII1991(01)f01写真02ウィリアム・ギブスン_W264.jpg
サイバーソンの告知は西海岸~日本間で電子メールでやりとりされた
 アスキー読者なら,いや,アスキー読者にかぎらず,コンピュータのアプリケーションに興味を持ち,またインタラクティブな快楽を知っているユーザーなら,バーチャル・リアリティ(Virtual Reality/仮想現実,以下,VR)がとても気にかかるだろう.
 VRとサイバー文化について,ひとつのエポック(新時代)となりそうなイベントが,ホールアース研究所によって開かれた。「24時間・VRの冒険」と銘打たれた“Cyberthon"が,それだ.
 この話は,Howard Rheingold(ハワード・ラインゴールド)*1氏から日本の会津泉氏を通じて伝わってきた。ラインゴールド氏は,'90年の9月からホールアースレビューの編集長に就任し、この「サイバーソン」というイベントでも実質的なキューレーター/オーガナイザー(仕切り屋)を務めている.
 日本のパソコン通信の草分け的な人物会津泉氏が,'90年2月にラインゴールド氏を大分日出会議(ひじかいぎ)に招聘した,その関係が広がって,今回の貴重なイベント参加につながったというわけだ。
 そして,当然,その告知はパソコンネットを通じてネット上でやりとりされたのである。

 この頃は電子メールでやり取りするというのが特別視されていた。
コローサル・ピクチャーズがねらうVRと映画の融合
 「サイバーソン」の会場はサンフランシスコ市内から車で20分くらい,ベイエリアにある「コローサル・ピクチャーズ・スタジオ」(写真1).このあたりは夜間はとても危険な区域だが,べつに深い意味はない.
 特撮おたくなら知っている人も多いだろうが,「コローサル・ピクチャーズ」とは映画「スタートレック」などいくつかの作品の特撮部分を受注しているSFXプロダクションなのだ。地価の安い区域に建てたほうが,製作費削減につながるというわけ.
 では、なぜコローサルがホールアースとくっついてVRなのかというと,映画業界でも当然VRで映画を作ろうとする動きがあってそういう含みおきがあってのうえでの会場提供ということらしい。
 じっさい、会場の入口ではVR映画関係のTシャツを40ドルで販売していた(写真2)*2


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ゲーム世代のジティブなアイデアマンW・ロビネット(UNC)
 ハワード・ラインゴールドは明るい色調のアクリルの絵の具をふりまいたような派手なプリントシャツ,ベースボールキャップの上に“サイバージュエリー”と呼んでいた明滅するLEDの装飾をつけている(写真3).
 ラインゴールドの紹介でオープニングスピーカーとして登場したのがUNC(ノースカロライナ大学)のコンピュータ・サイエンス・ディビジョンにいるWarren Robinett(ウォーレン・ロビネット)氏だ(写真4).氏はその昔AppleII用の教育ゲームの傑作を作った人で,ラインゴールドいわく,オープニングにふさわしいグッドスピーカーだということだ。「VRの発見はコロンブスの新大陸発見にたとえられる。この空間はまだ処女地で,空間は虚に満たされている。しかしやがてこの三次元空間にさまざまな物体が満たされるだろう」といい,ビデオテープによるプレゼンテーションに入った。
 最初はVPLリサーチ社のRB-2システムを使った分子結合のシミュレーション,データグローブのかわりにモア・キューという入力デバイスを使っているのが特徴的だ。これはユニバーサル・ジョイント(蛇腹のようにぐにゃぐにゃ自由に曲がるジョイント)にくっついた手のひらにすっぽり収まる球体にボタンが2つくっついているもので,グリップの感じが良くて操作性はなかなか優秀そうだ。った.ロビネット氏いわく「データグローブは操作性にあまり優れない」そうで、たしかに長時間手を開いたままよりも,なにか握っていたほうが疲労感が少ないと思った。
 ほかにも、現在遠隔操作などによく使われているマニピュレータとボールを組み合わせたり,軽量型のヘッドマウントディスプレイを自分で開発したり(写真5),イクイップメントには凝る人らしい。
 またアプリケーションが進んでいてビデオで見ただけでも,分子結合,都市計画,住宅の景観シミュレーション,局部ガン細胞に効果的に放射線を照射するためのMEなどがあった。
 三次元空間のアドベンチャー・ゲームだと称してエレベーターのある空間や、へんな鳥を撃つビデオプレゼンテーションもあった(鳥より,わに,みたいと会場から声,笑い)。また,ロビネット氏は,バーチャル・リアリティという言葉ではなく,Synthetic Realityという言葉をコンセプトとして,OHPによるプレゼンテーションに入った.
 Syntheticとは[総合的な][(化学)合成の]という意味を持つ形容詞で,シンセサイザーの語源もここからきている.
 従来のメディアによって得られる体験をナチュラル・エクスペリアンス,VRのような体験をシンセティック・エクスペリアンスと呼んで区別,シンセティック・エクスペリアンスとはあたかもそこにいるような体験であると説明した。これではなにか,まだはっきり分からないので表1のようにビヘイビアの参照体系を表にしていた。時間・空間,五感,五感以外のセンシング,また自立した模擬空間への干渉などを,まさにシンセサイズする体験こそ,シンセティック・リアリティをもたらすものだ,ということだ.
 入力装置に凝ったり,五感と時間・空間を自由自在に加工し総合する,いわば体験シンセサイザーのようなビジョンを提案したり,このコンセプトは、従来の科学分野別に整理され語られるバーチャル・リアリティ論よりも、感覚(sense)と体験(experience)による参照体系を切り開いた点で,ビデオゲーム世代の筆者にはよっぽどリアリティがあった(ロビネット氏はゲーム世代のアイデアマンといった印象を受けた)。
 だからこそ、このあと繰り広げられたロビネット氏一流の,まるでヒューゴー・ガーンズバックの時代から抜け出してきたかのような絵コンテも,ただの絵空事ではなく,楽しめた。
 たとえば,医学における応用例は,X線や電磁波による体内図像などをヘッドマウントディスプレイに映し出し,手術するという絵コンテ(写真6),大量の基板が重なった複雑きわまりないジェット機の整備補修作業にへッドマウントディスプレイを使っている絵コンテ(じっさい,後述するワシントン大学ヒューマンインターフェイス研究所,略称HIT Lab~~ヒット・ラボ~では,ボーイング社整備要員の社内教育向けに,エキスパート・システム的なバーチャル・リアリティシステムを開発中だった),建築のショーイングやプレゼンテーションの絵コンテ,ロボティックスやNASAの研究と結びついたテレプレゼンスの絵コンテ(写真7),蜜蜂の世界に迷い込んだかのようなマイクローテレプレゼンスの絵コンテなどが続いた.
 さらに三次元的な把握の感覚がなければ分からないものとして,UNCで最も成果の出ている高分子のCG,写真を例にあげ,たんぱく質の合成などは試験者やマニピュレータにとって三次元の空間把握が必要なことを示した.


ASCII1991(01)f02写真3H・ラインゴールド_W407.jpg
ASCII1991(01)f02写真4W・ロビネット_W334.jpg
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別表1 ウォーレン・ロビネット氏がいうシンセティックリアリティとは
この統合化こそシンセティック・リアリティだ
Synthetic Experience can be
シンセティックな体験にできることは…
通常でそれと似た体験ができるメディアは…
remote in space(遠隔地を結ぶ) telephone(電話)
remote in time(時間を結ぶ) photograph(写真)
different in scale(尺度を操る) microscope(顕微鏡)
different in time-scale(時間を操る) time-laps photograph(時間判定写真)
a transformation that makes something perceptible(感知し伝える) giger counter(ガイガーカウンター)
completely simulated, with no sensing of the real world
(現実世界を感知しない完全な模擬体験)
video-game(ビデオゲーム)

二番手のスピーカーは元空軍関係HMD開発史を説明
 続いて2人目のスピーカーは東のシアトルから.ワシントン大学ヒューマンインターフェイス研究所(Human Interface Technologies Lab.略してHITLab.)からの参加.
 この研究所を立ち上げたTom Furness(トム・フォーネス)氏は,米空軍Wright Patterson基地に所属して,24年間以上もヘッドマウントディスプレイ(HMD)の研究を続けてきた(写真8).
 我々のあずかり知らぬところで多額の研究費が費やされ,今もその一部は実際の兵器研究開発と関係があるため守秘義務があるという.
 アプリケーションも(ちょうどコンピュータグラフィックスがそうであるように)多くの民生用の範囲を越えて充実しているのだそうだ。
 ただフォーネス氏は,もうずいぶん空軍にも勤めたことだし,やりたいことと求められていることもずれてきたことだし,豊富な技術蓄積を軍事とはまた違った分野で人に役立てたいとしてノンプロフィットの委託研究セコンターを設立したということだ。
 くだけた言い方が許されるならば,この人はラジコンが大好きないいおじさんといった印象を受ける。じっさい,「基地内でラジコンの飛行機を飛ばして偉い人のいる前で墜落させ,大目玉を食らい,こんな危険な研究は中止させるよう,とストップを食らった」エピソードの持ち主であるという.
 それはさておき,OHPとスライド・プレゼンテーションによれば米空軍のスーパーココックピット計画は,(CGの父)エヴァン・サザーランドのビジョンをさらに進めるかたちの提案として、生まれた。
 航空士が標的を見定めるためのヘルメット・サイトの研究,近代兵器としてのヘルメットはけっして新しくなく,'16年のハットガンにまで遡る(ここで当時のヘルメットにガンのついたいかにも古くさいイラストを紹介(写真9),場内に笑い)。
 '66~'67年ごろ,古いタイプの輸送機やその変更型では赤外線を使って地表との距離を計測していた。その赤外線スキャナをヘルメットに取り付けたのが,HMDの端緒と考えられる.
 '69年,戦闘機F104の時代になると,より軽いヘルメットの開発が叫ばれた,6Gから7Gという加速度の中でまぶたが重くなるし,不自由な状況で目標をちゃんと捕捉するために,それまでの方法にかわって10ミリラジアンの精度をほこる超音波マイクがヘルメットに取り付けられた。
 さらに小さな立方体状の磁気センサ(Magnetic tracing device)が考案され,これによって精度が4ミリラジアンまで高められた.そういえば,VPLのRB-2システムでヘルメットとデータグローブの位置測定にサイコ口のような三次元磁気センサを使っていたのを思い出す(写真10).
 また、資料を整理する途中,マクダネル・ダグラス社の製品としてこの三次元磁気センサを売っていることが分かった.OEMも引き受けているらしい。
 戦闘機が高速化し,射程距離も伸びてくると,一方で戦闘機の操縦士たちが求めたのは有視界上にない,はるか先の,バーチャルな,しかし現実に存在する目標のイメージである.そこでヘルメットの目線の延長上にCRTモニタをくくりつけたもの(写真11)が考案されたと,不格好でいかにも重すぎるヘルメットのイラストを紹介,また場内の笑いをとる).この段階では実用化にほど遠かったのだが,じつは切手サイズの高解像度ディスプレイが開発され,使われている。これは現在でも商用ベースでは販売されていない.
 TVディスプレイをつけたヘルメットは最初に,テスト機だったF110のテスト操縦士がかぶった.
 さらに2台のTVカメラが戦闘機に取り付けられることによって,それまで片眼鏡で見る世界だったものが大げさではなくステレオになった。これは画期的なニューアイデアとなった。そのほかこれまで紆余曲折を経ているのだが,現在はホログラフィック・ディスプレイと3Dサウンドの研究がさかんになっている.
 F15のコックピットともなれば300の操縦命令/17の計器表示に加えて9Gの加速度で頭が押さえられ目蓋が重く閉じられるのと格闘しなければならないというように,コックピットは操縦士にとって過酷な環境だ。
 そのなかで,ダイレクトに的確に外部の状況/情報を伝え,正確な飛行と迅速で精度の高い攻撃を可能とするためには,コックピットにいかにお金をかけてもかまわない状況がある.
 また視界の広さをキープすることも大切で,「スターウォーズ」に登場する有名なダースベイダー卿のヘルメットに似ているヘルメットでは、両目の部分が電子化されていて,120×60度の有視界を可能にしている(と,スライドを見せるがたしかに不気味).電子的にも広角の視界を可視範囲に納める技術も研究されているらしい.
 トム・フォーネス氏がライト・パターソン基地を去ったのは'87年。軍用研究で培った技術予見や技術蓄積を人の役に立てたいーたとえば視界の広角化や広域化技術を視聴覚障害者のために役立てるであるとかーのために民間のノンプロフィットの新しい研究機関を設立したかったのだそうだ。この話は米CBSや英BBCほかで放映されたという.
 現在,ワシントン大学HITラボでは手元の資料によれば8つのプロジェクトを抱えていて,順に,01バーチャル・シミュレーション・ラボラトリ/02バーチャル・インターフェイス・ナレッジ・ベース/03レーザー・マイクロスキャナ/04マインドウェア/05バーチャル・プロトタイピング/06ビジュアリゼーション/07サイバー・シーズ/08スーパー・キャブというプロジェクトネームがつけられている.
 VWと略されるバーチャル・ワールド・システムズをまず中心として,その上に“サイバースペース”を構築し,各プロジェクトをその上で推進していくというが,現在は基本構想の段階のようだ。詳細は追って,または別の機会に追加取材,紹介していきたい。

 流石、軍用の技術「切手サイズの高解像度ディスプレイが開発され,使われている」は凄いが、32年後でも売っていない。
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マイロン・クルーガーも登場「少数意見」で気を吐く
 続いて,ビデオアーティストのMyron Kruger(マイロン・クルーガー)氏が登場(写真12).“Artificial Reality;A Minority View"という題で講演した.
 彼は“アーティフィシャル・リアリティ”という造語を'74~'75年に作った.有名な“VideoPlace(ビデオプレース)”という作品の提示'75年(写真13),究極のヒューマン・インターフェイスは人体であり,その体験のすべてがリアルであるとはかぎらない,と彼はいう.
 私たちが住んでいる家だって動物の巣のような生息環境[Habitat]ではなく,イメージの外在化の産物である.
 自分自身のリアリティ空間を実現するために居住空間を構築するとすれば,それはもうVirtualなのだ,と彼はいうのだ。
 この意見は,クルーガーじたいが茶化して少数意見などといっているがアーティストとしてはたいへんまっとうな意見で,筆者もまたクルーガー氏の立場に立つものである.
 かつて産業革命の時代に機械が代行した人間の「労働」を,コンピュータとインターフフェイスはその発達によって「思考」の域において代行しようとしている。その外在化・モデル化がVRのイクイップメント[装置]であり,加速度と機械のシステム[制度]から新たなテクスチュアが,まさに「織物の生地」のように紡ぎ出されるとしても,人間の想像力の根源がなければ,つまり人間が「想像する生物」でなければ,けっしてその出力は生まれない.
 べつの言い方をすれば,エクリチュールに対する「原エクリチュール」のように,VRの前に「原VR」があるはずだ。読者も,「コンピュータにかぎらずVR的な状況ってあるよな」とか、「映画“トータル・リコール”って,あれはVR的な映画だよなあ」とけっこう口に出して言っているかもしれない.それだよ,それ,と筆者は声を大にしていいたい.
 コンピュータリゼーション,パーソナリゼーションの加速度にはまることは快楽だが,いま機械によって外在化しようとするのは人間の想像力/欲望の根源ではないのか.
 マイロン・クルーガー氏の意見でたいへんおもしろかったのは“VideoPlace"の"Place" にあたる解釈だ(表2)。
 彼は,コミュニケーションの概念を,こう崩してみせる.コミュニケーションとは地点Aから地点Bへの情報の移動ではない(ここで,通信=交通とモデルを立てていた私たちはめくらましにあう)。コミュニケーションとはインフォメーション[情報]をシェア[共有]する場所を創造する行為なのだと。つまり相手から相手に伝わるためには一種の共有領域が必要だというわけだ。この共有領域なくしては,情報の移動はあるがコミュニケーション[伝達]にはならない。共有領域とは,価値体系の共有を指すのだろうか。ネットワーキング・エイジ,ワークステーション・エイジには感覚的にじつにフィットするコミュニケーション理論である.じつに眼が洗われる思いがした.
 しかも彼の理論は,のちに訪れたAutodisk社の“Cyberspace"プロジェクトで“Simulation behaviour”として,今度は技術寄りの言葉によって語られることになる.後述する.


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VR生みの親S・フィッシャーは新会社テレプレゼンスリサーチを設立
 Scott Fisher(スコット・フィッシャー)氏が続いて壇上にあがる.
 読者もよくご存じだろう,彼こそNASAエイムズ研究所で'86年に“VIRTUAL NVIRONMENT DISPLAY SYSTEM"なる研究論文を書き上げた,いわばバーチャル・リアリティの直接の生みの親にあたる(写真14).
 彼はMITメディアラボの出身.N・ネグロポンテのもと,アーキテクチャ・マシン・グループに在籍していた(なんと,ニューメディア/マルチメディアの世界では伝説の,アスペン・ムービー・プロジェクトにも参加).その後,NASAのエイムズ研に移り,バーチャル・エンバイロメント(仮想環境)とヘッドマウントディスプレイの研究に従事,サイバーソン最初のスピーカー,ウォーレン・ロビネット氏もじつはこの時期にNASAエイムズ研で同僚だった。
 S・フィッシャーが,当時まだ学生だったジャロン・ラニアーに会社(VPLリサーチ社)を設立させて,RB-2システムを開発,VRは一気に米西海岸シリコンバレーで最も注目される技術となっていったのだ。
 そのS・フィッシャーが,ちょうどジャロン・ラニアーとともに青山TEPIAに来日し'90年の6月,エイムズ研を離職、あらたにVRのベンチャービジネスを開始した。それが“テレプレゼンスリサーチ社”である.スコットは,また彼にかぎらずVR関係者の誰もが,このさまざまな領域にまたがる新技術の名称について考えあぐねている.バーチャル・リアリティという言葉の反語的なインパクトばかり先行してしまっているからだ.そのため,スコットは新会社にVRを連想させる名前をつけず,わざとコミュニケーション寄りの“テレプレゼンス(遠隔存在)”という概念を用いた.
 そして相棒は,あの,仮想環境ゲームのはしりでもある"Little Computer People"のプロデュースでも知られる元Atari社のブレンダ・ローレル女史.彼女はインタラクティブ・ファンタジーの専門家で,アラン・“ダイナブック”・ケイの盟友でもある。スコットとブレンダのふたりが組んだら,どんなアプリケーションが登場するのだろう。しかもうれしいことに,ベンチャー企業テレプレゼンスリサーチ社は,日本企業からの委託研究や共同開発研究を行なっているのだった.
 さてS・フィッシャーの論題は“TELEPRESENCE From Panorama to Personal Simulators(テレプレゼンス:パノラマから個人模擬体験装置へ)”.
 ここでスコットは,テレプレゼンスの起源を2世紀前までに戻し,18世紀中期のパノラマに求める。ここではのぞきからくりから長大川下りが楽しめた。360度全周映像で観客をはまらせるといえば大阪万博の三菱館があった.ただし,まだ映像はインタラクティブではなく、観客がそうした全周映像/風景のどこかに行くということはできなかった.
 一方でフライトシミュレータは観測主体の行動で情景がインタラクティブに変化していった.
 MITで10年前に行なわれたアスペン/ビデオ・ムービー・マップの研究開発では,ホログラフィ効果もあいまって,その町のどこにでもドライブしていけるような疑似体験が可能になった。
 こうした,パノラマから全周映像にいたる視覚体験と,インタラクティブなシミュレータとはやがて当然合致していった,とS・フィッシャーはいう。
 オレゴン国立研究所のリモート・カメラ映像を映す巨大なTVモニタ.フィルコ社の監視用カメラモニタ装置.テレファクタ・コープのリモート・ビハイクル.ハワイの海軍兵学校研究所のスケルトンモデルなど仮想環境装置は新しいように見えて,じつは突然ぽっと出てきたものではなく長い思考錯誤と研究期間のすえに花開いたと彼はいう.
 そうした,さまざまに並行する研究の歴史のうえに、彼や彼の同僚マイク・マグリビー,ウォーレン・ロビネットらがNASAエイムズ研での研究を開始した。'86年,ラスベガスで開かれたCES~コンシューマ・エレクトロニクス・ショー~で,彼の同僚マイク・マグリビーはヘッドマウントディスプレイシステムを参考出品,それを現地紙でありまたシリココンバレーの業界紙も兼ねるサンノゼ・ウィークリー紙は“HelmetofDreams”と題して特別囲み記事で紹介している.


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エイムズ研から生まれたバーチャル3Dサウンド,コンヴォルヴォトロン
 いっぽう,仮想環境に関する研究の一環として,仮想の音場システムとしての3Dサウンド~3D Auditory Display(三次元聴覚表示)~の研究も行なわれた.
 3Dサウンドに関する主任研究員はMs.Elizabeth M.Wenzel/Ph.D(愛称ベス・ウエンゼル博士,女性,調査心理学).彼女と,Scott Foster(スコット・フォスター)氏のふたりが中心となって進められた(写真15).
 現在、スコット・フォスター(ややこしいけれどS・フィッシャー氏とは別人です,念のため)氏は,クリスタル・リバー社というベンチャーを設立。“Convolvotron(コンヴォルヴォトロン~うず巻とろん,と迷訳しておきましょう)"なる3DのDSPボードを製品化して売っている.
 RB-2システムを販売するVPLリサーチ社,"Cyberspace"プロジェクトを推進するサイベリアンたちの集うAutodisk社などでは,自社システムバーチャル3Dサウンドをオプションで載せる場合,コンヴォルヴォトロンで,と指名つきなので,どうやらVRの3D“オフィシャル”サウンドの最右翼は,クリスタル・リバー社製品となるらしい.
 それでは,3Dサウンドを何に使うか?サイバーソンメインステージでの2番目のスピーカー,元空軍ライト・パターソン基地のトム・フォーネスもいうように,とっさのときの素早い状況認識を人間は音でも察知しているわけだから,戦闘機コックピットでの全方位の音の定位から敵機や敵の放った追尾ミサイルの位置を把握するであるとか,空港管制塔における航空管制官の判断補助システムに活用できるらしい(写真16~19).3D soundfor Airport.
 じつは私たちはサイバーソン会場で,ある著名なアーティストに遭遇したのである.


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ブライアン・イーノも会場に来ていた
 ロック・ミュージックの分野で“環境音楽”の概念を確立した,現在ビデオアーティストでもあるBraianEno(ブライアン・イーノ)!!!
 サイバーソン参加者はAutodisk,Sence8,VPLリサーチ各社のVR装置に参加する資格がくじ引きで与えられていた.
 1時間ごとに各社3~4人ずつの「当たり」がでる.深夜3時だか4時だかに,リサーチ社に向かう、僕らはマジカル・ミステリー・バスと仮に呼んでいたが(ジャロンは凝ったことをする人で,VPLだけブースがなく,レッドウッド・シティにあるVPL社まで送迎バスを出していたのだ),とにかくそのバスに乗ることができる当選者名簿にBrian Enoとあったのである.
 イーノの姿は明け方に確認された.
 余談だが筆者は,この視察旅行に参加する前、某雑誌のブライアン・イーノ対談の構成依頼を多忙を理由に断っていたのである,まったく、あのとき会っておけば(イーノは自動車メーカー・トヨタの大型新ショールーム“アムラックス東京”のオープニングイベントにビデオ・インスタレーションを展示するために来日していた).
 案の定、帰ってきてから雑誌のインタビューを見ると、しきりにバーチャル・リアリティと言っているじゃあないか。ほんとに,仕事はむげに断るべきではないと思った.
 さて、10月6日土曜日正午から始まったサイバーソン。このへんまでは,スピーカーがグッドプレゼンテーターのスタンスを守りスライド,VTR,OHPを使ってVRの歴史,背景,アプリケーションについて丁寧に解説を続けた。ある意味では至極まっとうな,般のコンベンションやカンファレンス,見本市ととくに変わることがなく……。しかし、VRをめぐり,ここまで面子がそろったという感じは,やっぱり“フェスティバル”である.
 そして,夕刻から完全に夜になると,観衆が続々とメインステージに集まってきた.ジャロン・ラニアーの登場である。
 レッドウッド・シティから遅れてくるなり,このライオンは開口一番,
「……みんなも知ってるとおり,だいたい話すことは話してしまったんだ.さあ,質問は」たちまち満員の観衆から手があがる.次回では,この質疑応答から,T・リアリー,W・ギブスン,そしてオートデスク社,センス8社などの開発思想,設計思想までお届けする.乞うご期待.



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