SSブログ

未来コンピュータ(月刊ASCII 1992年6月号8) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特集の「未来コンピュータ」をスクラップする。
ASCII1992(06)f01未来コンピュータ_W520.jpg
 我々は現在のパソコンに,何か不満があるだろうか?
 ……もちろん!それも山のように!
 多くの人は,きっとそう考えるに違いない。なにしろ現在のパーソナルコンピュータは,ソフトウェア間でデータ互換性が完全ではない,操作法が統一されていない,マニュアルが容易には理解しにくい,日本語入力フロントプロセッサが賢くない,グラフィカルユーザーインターフェイスも作業によっては煩わしい―など多くの問題を抱えている.
 しかし,少し視点を変えてみると,10年前にはまったく夢でしかなかった課題の多くを,コンピュータは曲がりなりにも実現してきた.現在の不満は、たんに使い勝手が悪いというだけなのだ.一方,10年後のコンピュータのハードウェア上の性能は,単純に見積もっても現在の1000倍になると期待できる.
 10年後,私たちはコンピュータに何をやらせるべきなのだろうか?

コンピュータは表現力向上を目指す
サイエンスライター 鹿野 司

 現在,パーソナルコンピュータの1000倍の能力を持つマシンは,スーパーコンピュータと呼ばれている.しかし,この馬力を表計算やワードプロセッサ,データベースなどの処理に用いても、何の意味もないことは明らかだ。日本語入力フロントプロセッサの漢字変換速度が光のごとく速くなったとしても、その違いはもはや人間の感覚では捉えきれない.パーソナルコンピュータの1000倍の能力で,1000倍のサイズの表計算やデータ量が1000倍のデータベースが構築できるようになったとしても,そのデータ入力には1000倍の時間が必要になる.そんな利用はパーソナルユーザー向けではありえない.
 パーソナルという立場において,これだけ潤沢なパワーを必要とするニーズは,今考えられる限り,ただひとつしかなさそうだ.
 それは,コンピュータの「表現力」の向上である。人とコンピュータをつなぐインターフェイス(マンマシンインターフェイス)の部分に,その計算能力が使われることで,コンピュータは人間の知的活動の拡大装置(IA:Intelligence Augmentation)へと大進化する.  むしろこの方向を目指すなら処理能力は1000倍でも不足する.よほどの工夫を重ねなければ,完全に満足するレベルには到達できないだろう.

フラットディスプレイの代表であるカラー液晶,新しい入力機器であるペン入力など,コンピュータの表現力を向上させる現在の技術の流れを,ビジュアル要素をメインに追ってみた。(編集部)

ASCII1992(06)f02未来コンピュータ写真1_W339.jpg
1 北海道中小企業家同友会函館支部が販売する「液晶箸置き」イカの内臓から精製した温度によって色の変わる液晶物質を,ガラス細工の中に封入してある。液晶の歴史と特性を生かしたユニークさがいい。
ASCII1992(06)f02未来コンピュータ写真2_W425.jpg
2 世界初のカラーノートパソコン「PC-9801NC」低消費電力や小型軽量化など,液晶ディスプレイを搭載する技術も進歩している。

ASCII1992(06)f02未来コンピュータ写真3_W373.jpg
3 カラー液晶で一般的なアクティブマトリクス駆動方式(TFT)の配線回路.TFTカラー液晶による表示である.

液晶
 液晶の歴史は古い植物細胞の中の脂質や、イカの体から抽出された脂質など,有機的な物質が常温で固体(結晶)と液体の中間の性質を持つことが発見されたのは,1888年である.その後,電気的な作用によって結晶の配列が変化することが発見され,表示デバイスとしての歴史をたどる。現在の技術では,1画素のサイズが1ミクロン前後という超高解像度の液晶ディスプレイの開発も可能だ.

Appleのナレッジナビゲータ
 米Apple computer社は,1988年に「ナレッジナビゲータ」という,上映時間10分ほどのプロモーションビデオを制作している.その内容は,2010年の生活の中に、ごく普通に溶けこんだ超情報処理システムの形態を,短いストーリーの中でさり気なく紹介していくというものだった.
 ストーリーは,外出先から戻った男性が,テーブルの上に無造作に置かれている一冊の「本」を開くところから始まる.やや厚めの本に見えたそのものこそ,超情報端末「ナレッジナビゲータ」である.  開かれた「本」にはディスプレイがあり,そこに映し出された人物が,留守中に電話があったことを告げる。映像の中の人物は実在の人間ではなく.「エージェント」と呼ばれる,コンピュータと人とをインターフェイスする人工知能のアイコンなのだ。エージェントは主人の言葉によるリクエストに従い,留守中の電話の録音を聞かせたり,当日のスケジュールを告げたりする.
 主人公は大学の環境科学の教授という設定だ.数時間後に行なう講義のために,学術データベースを検索してデータを収集,それをもとに新しいシミュレーションを試みる.さらに資料をより完全にするため,それを補完する論文を書いた同僚に連絡し、情報やシミュレーションを交換し合う.それらの作業が,すべてナレッジナビゲータを介して行なわれるのだ.
 このビデオプログラムの中には,パーソナルコンピュータの,ひとつの究極の姿が、見事に濃縮して表現されている.
 コンパクトでワイヤレス,音声によるインターフェイスなどといった,比較的理解しやすいハードウェア面の進歩はもちろん,持ち主の大雑把なリクエストに対して,データベースを高速検索し、要求にフィットしたデータを提示したり、独自のシミュレーションプログラムを実行するなど,高度な知能処理やネットワーク世界の広がりを感じさせる.
 さらに興味深いのは,ナレッジナビゲータが独自の判断で,持ち主の母親からの電話に居留守を使うことだ。つまりこの装置は、主人のパーソナルニーズに応えるように,完全にチューニングされているわけだ.


ASCII1992(06)f03未来コンピュータ写真4_W471.jpg
4 生産コストを抑えられる単純マトリクス駆動方式のカラ一液晶も,年々,表示品質が高まっている.写真は,フランスの研究グループと東北大学の研究者の共同開発によって誕生した「SH(Super Homeotropic)型液晶」である(写真提供:スタンレー電気(株)).
ASCII1992(06)f03未来コンピュータ写真5_W448.jpg
5 高コントラストで高精細,色のにじみやチラツキのない大画面がつくれるという「強誘電性液晶ディスプレイ」.液晶の新しい駆動方式であり,いったん書き込んだ画像は駆動電源を切っても消えないため,動きのある部分だけを書き換えればよく,高速な画面表示が可能である(写真提供:キヤノン(株))。

ASCII1992(06)f04未来コンピュータ写真6-1_W255.jpg ASCII1992(06)f04未来コンピュータ写真6-2_W465.jpg ASCII1992(06)f04未来コンピュータ写真6-3_W236.jpg
6 液晶の応用範囲は広い。動画を立体的に映し出すリアルタイムホログラムの出力映像。通常のホログラムではフィルムに情報を焼き付けるが,フィルムの代わりに超高解像度の液晶ディスプレイを使うことで,リアルタイムにそれを変化させることができる.中央が出力映像で、右上の物体の動きをリアルタイムに表現する.左上は,映像出力用の液晶ディスプレイで,0.96インチの表示範囲に648×240ドットの画素がある(写真提供:シチズン時計(株)).

マルチメディア化の流れ
 ナレッジナビゲータは,人工知能(AI)を応用し、表現力のあるマンマシンインターフェイスを構築した,理想的な未来コンピュータのひとつである.しかし,未来のコンピュータにはほかにもさまざまな形態があるだろう,また,それを実現するための道もいくつもある.
 ここ数年,コンピュータの「マルチメディア化」という言葉が,流行語のひとつとして盛んに使われてきた.従来のコンピュータは,せいぜいキャラクタと貧弱なグラフィックス音声などが,相互に結び付かないような形でしか利用できなかった.マルチメディア化とは,コンピュータに,より高品質なCGやオーディオ,アニメーション,ビデオ映像などの多種類のメディアを組み込み,それらを相互に有機的に結び付けた形で利用できるようにしようという,コンピュータの表現力の増大を目指すひとつの方向性である.このようなシステムは,オーサリングや教育用途として,理想的な環境を提供することは間違いない.
 マルチメディアのイメージは,意外に古くからある.たとえば,MITで1978年につくられた「ムービーマップ・ディスク」は、スキーで有名なアスペンの街中を,マップの利用者が自由に動き回って見物できるように,地図と映像を組み合わせたものであった.このデモンストレーションでは、建物の内部や好みの季節,古い時代の街なみの中へと,思うがままに移動できた.
 また同年に,エンジンの分解整備を対話的に教えるビデオディスクマニュアルというデモもつくられている.これらもまた,未来のパーソナルコンピューティングのひとつの姿といえるだろう.
 しかし,マルチメディアという言葉は、あくまで流行語であり,薔薇色の未来をキーワードにしただけだという側面もある.
 本当に良質のマルチメディアソフトウェアをつくるには,ハリウッド映画の大作を制作するくらいの資金,人材,手間,ノウハウなどが必要となるはずだ.それを,パーソナルニーズに適合できるだけの価格にするためには,やはり映画の観客動員数なみの利用が不可欠だ.このような社会環境は,この数年間では,とてもではないが実現しそうにない.
 では,マルチメディアは単なる掛け声だけに終わってしまうのか……いやそのおそれはないだろう.なぜなら,10年、20年という長いスパンでの動きであれば,コンピュータ技術の潮流もさることながら,コンピュータの表現力を高めるための動きも,着実に前進しているからだ.

ASCII1992(06)f05未来コンピュータ写真7_W438.jpg
7 簡易的なヘッドマウンテッドディスプレイである米Reflection Technology社の「プライベート・アイ」.日本ではトーメンエレクトロニクス(株)が扱う.
ASCII1992(06)f05未来コンピュータ写真8_W393.jpg ASCII1992(06)f05未来コンピュータ写真9_W343.jpg
8,9 プライベート・アイの原理発光ダイオード(LED)からの1次元像を、鏡によって左右に振り2次元像に変換する.
入出力
小型の表示装置,バーチャルリアリティ,ペン入力など新しい入出力機器なども積極的に開発され,また,従来の技術においても人間工学の応用や,生物の働きを参考にしたりしている.

オブジェクト指向
 オブジェクト指向という言葉も,マルチメディアと同様に,ここ数年流行のキーワードのひとつである.この概念は,ソフトウェア製造に絡む難問(ソフトウェアクライシス)に対する,現場叩き上げの最新の解答として注目されてきたものだ。つまり,コンピュータの表現力の向上とは直接関係のないものである.しかし,間接的には,コンピュータの表現力を増す力となる.
 マルチメディアが,単にコンピュータ画面上でビデオの入出力を行なったり、音声の入出力を行なうということだけならば,技術的にそれほど難しいことではない.すでに解決ずみの技術といえる.
 しかし、すべてのメディアを統合しようとすると,そこにはかなり難しい問題が生じてくる.すべてのメディアを統合するということは,あらゆるタイプのデータを同時に扱える「データベース」を構築するということに等しい。つまり電子回路などの設計図面や,日常書かれる文書,書籍,パンフレットなど図と文字が混在したものを,有機的に検索できるデータベースをつくることなのだ.
 ところがマルチメディアには,多様な情報形態が存在する.たとえば,ファクシミリひとつをとっても、その規格にはG3やG4があり,同じモノクロの画像でも、X線写真のように階調のついた写真があり,階調のつけ方や解像度,サイズ,さらにカラーの場合には色をどのように,どれくらいの精度で表わすか,情報の圧縮の仕方は─などなど,すべて異なる形式の情報である.しかも、情報の形式は今後も新しいものが増えこそすれ,減ることは考えられない.
 従来のソフトウェア構築法で,多様な情報を扱おうとすれば,新形式の情報に対応しようとするたびに,ソフトウェア内部全体に対する広範囲の,抜本的な変更が必要になる.これでは時間的にもコスト的にも引き合うものが出るはずがない。
 しかし,データと、そのデータの処理の仕方を一体にしたオブジェクトという単位をつくり,それをベースにソフトウェアをつくれば,新形式のデータが登場してもオブジェクトを追加するだけでいいことになる.データの追加による,プログラムの変更は必要なくなるわけだ.
 結局,理想的なマルチメディアシステムを構築するには,オブジェクト指向の考え方が必要といえる.それにしても,まったく別の概念が,ときを同じくして流行となり,相補的にひとつの流れをつくっていくのは,奇妙といえば奇妙なことではある.しかし,技術の進歩には,常にこういった偶然の一致?あるいはシンクロニシティのようなことが起きるもののようだ.


マルチメディアを越えて
 技術の変革は,いつも理想とはほど遠いところから始まる。たとえば,ウィンドウ環境において,ひとつのウィンドウの中にテレビ映像を表示できるようになったら,それをマルチメディアと呼んでいいだろうか?理想論からすれば,このようなレベルではマルチメディアの名に値しない.しかし,あっても困らない,安く手に入るなら嬉しいオプションでもある.一見取るに足らない形態でも,マルチメディアを取り込もうとすることで,コンピュータのアーキテクチャは,ぎこちなくではあるが,より柔軟に別のハードウェアを接続できるように変化を始める.
 また、別の方向からの支援もある.パーソナルコンピューティングの使命は,人間の知的能力の拡大にある.この概念は、あらゆる人間のニーズに対応できなくてはならない.
 電話の発明も、もとはといえば,グラハム・ベルの耳の不自由な妻の聴力を補うことを目指して始まったものだ.障害者への対応を考えたシステムづくりは,障害のない者にも大きな恩恵を与えると考えられる.たとえばキーボードの場合,オートリピート間隔を自由に設定できたり,2つのキーを同時に押す代わりに,キーを押した手順をコンピュータが覚え、その組み合わせで何かの処理を実行するようにする.このような,微細な配慮だけでも、個人個人の感覚にフィットした使い勝手の良さが実現される.
 現在のパーソナルコンピュータでは,入出力の機器として,キーボードやCRT,さらには,液晶ディスプレイなどのフラットディスプレイと,マウストラックボール,電子ペンなどの各種ポインティングデバイスがあるにすぎない。それも、大量生産によって規格化された,基本的に決まった形のものである.
 しかし、本当のパーソナルユースを考えるなら,人間に直接対面する部分は,もっと豊かであってほしい。キーボードをひとつとっても、個人の手の大きさにフィットしたサイズや,木目調,革張りなどファッションの方向性をもってもいい.また,自動車のデザインが回帰したように,「マックスヘッドルーム」に出てきたような,タイプライター状のキーボードがあってもいいではないか?電子ペンにしろ,太さや重さ,書き心地など,もっとバリエーションが欲しいわけだ.
 このような冗長性は,コスト面から,従来ほとんど実現不可能であった.しかし,未来のコンピュータ社会が発展するためには,クリアしなければならない課題になる.また,接続の手間や設定のややこしさも,なくさなければならない。新しい入出力機器は、安価で容易に接続できる必要があるのだ.これが実現すれば,コンピュータと人との対話性,コンピュータの表現力は,今からは想像もつかないほど豊かになりうる.たとえば,人間の眼球がどこを向いているかをセンサーで感知し,眼の注視点そのものをポインティングデバイスとして応用するもっとも視線マウスができたとしても,センサーとしての眼鏡をかける必要があり,インターフェイスとしては不細工なものでしかない.そういえば,バーチャルリアリティ(VR)という概念を有名にした,データグローブというひとつの入力装置も,操作のために手袋をはめなければならず,サイバーなイメージを醸し出す点ではカッコがいいものの、気の利いたものとはいえない.
 そこで,パターン認識専用のシステムとカメラをセットにしたセンサ一をつくり,コンピュータ自体に目を取りつける手段が考えられる.コンピュータの目は人間の瞳の動きを認識し,視線マウスを構成することができる.視線を合わせてまばたきでクリック,というような使い方ができるわけだ。同時に,データグローブのような手のアクションをパターン認識によって取り込むこともできる.あるいは、さらに進んで,「2001宇宙の旅」のHAL9000のように,唇の動きから会話を知るなどの応用が生まれてくるかもしれない.

ASCII1992(06)f06未来コンピュータ写真10_W500.jpg
10 ペン入力も新しいポインティングデバイスとして注目される.写真は(株)ワコムの「ParmTopV」液晶ディスプレイ,入力センサー,メモリ,CPUを一体にしたペンコンピュータであ る.
ASCII1992(06)f07未来コンピュータ写真11_W500.jpg
11 ヘッドマウンテッドディスプレイとデータグローブは,バーチャルリアリティでもおなじみの光景である(写真提供:日商エレクトロニクス(株)).
ASCII1992(06)f07未来コンピュータ写真12-14_W297.jpg
12,13,14 TRONプロジェクトは,キーボードの形状や画面イメージにいたるまで,コンピュータのすべてのアーキテクチャを再考察している.

入出力の多チャンネル化
 マルチメディアという概念は,たしかにコンピュータの表現力を増す方向性ではある.しかし,欠けている部分もある.
 なぜならこの概念は、基本的に人間のもつ多くの感覚のうち視覚と聴覚にしか,焦点を合わせていないからだ。私たち人間には,ほかにも触覚,嗅覚、味覚などいろいろな感覚がある.音楽や効果音のないビデオゲームがリアリティに欠けるように,人間は同時に多チャンネルの感覚入力があったほうが,より実感として感じられるし,状況の把握もしやすくなる.
 その意味では,反作用の感覚や触覚などの材質感覚を表現する「フォースディスプレイ」が非常に価値の高いものとして考えられる.
 たとえば,コンピュータ画像に映し出された物体を自由に動かすことを考えよう.動きの情報をコンピュータへ伝えるだけならば,データグローブなどによって,人間の動きを画面に表現すればいい。しかし,これでは画面上の物体を掴んだとしても、物体の重さや反力といった実感が返ってこない。人間の手の動きは、指先の感覚と網膜に映る映像とのフィードバックによって制御されている.感覚がなければ,一方通行の制御になり、微妙な操作は困難なのである.
 この問題を解決するのが,架空物体の質感を人間に理解できる感覚として返す(伝える)フォースディスプレイである.大がかりなものを考えれば,全身をつつみこむようなエクゾスケルトンになってしまい,パーソナル向きとは思えないが,もっと簡単な,手の部分だけの卓上エクゾスケルトンなどが,新しい入出力装置として登場してくるかもしれない。
 現在,フォースディスプレイの研究の一環として,MITのマーガレット・ミンスキー(人工知能研究者として有名なマーヴィン・ミンスキ一の娘)は,ジョイスティックに力を返す「バーチャルサンドペーパ-」というシステムをつくろうとしている.これは,仮想空間上の物体のゴツゴツした手触りなどを表現するシステムだという.
 今後は,バーチャルリアリティの流れとも呼応しながら、このようなフォースディスプレイが徐々に登場してくるだろう.

ヘッドマウンテッドディスプレイの姿形は液晶ディスプレイと比べ30年以上も経ってもあまり変化していない。どうしたもんだか。
バーチャルリアリティ(VR)
 VR(仮想現実感)もまた近年の流行語だが,これもコンピュータの表現力を増す方向性のひとつである。従来のマンマシンインターフェイスでは,マシンの画面イメージとしての世界を明示していたが,VRでは、人間の周囲をマシン(画像)で囲むことにより,仮想世界の中に人間を置こうとしている.現段階では,両眼立体視のヘッドマウンテッドディスプレイ(HMD)と,データグローブなどを用いるものしかないが,これだけでも,仮想世界への没入感やリアルタイムインタラクションが実現している.
 究極のVRを想定してみると,その実現には3つの要素が必要になると分かる.つまり「プレゼンス(存在感,臨場感)」と,「インタラクション(反応性)」,そして「シミュレーション」である.これらがブラッシュアップされなければ,真のVR時代は到来しないだろう.
 まず,プレゼンスでは,少なくとも現在の最高水準のCGに見られる程度の存在感が表現できなければ,リアリティは出てこない.そして,仮想空間内で視線をサッと移動すると,それに追従して適切な絵が出せる,すなわち,打てば響くようなインタラクションがなければ,これまたリアリティを増すことは難しい。最後に,何か物体を持ち上げて投げれば,それがちゃんと放物線を描いて飛ぶように,基本的な物理法則な世界の仕組みがシミュレーションされていなければ,仮想の現実という名前に値しないわけだ.
 ところが,これらすべてを同時に完全に満足させることは,10年後をターゲットにするとしても,限りなく不可能に近いだろう.個々の要素を改善するだけでも,膨大なコンピュータパワーが必要となるからだ.しかし,解決の道がないわけではない.
 コンピュータの表現力を向上させることを考えたとき,技術サイドでは、とかく画像のピクセル(画素)数を増したり,色数を増やすといった,ハードウェア面での性能向上に着眼しがちである.ところが,VR技術に関しては,それ以上に人間を見つめ直す必要がある.
 たとえば,「VR酔い」という現象がある.人間は飛んだり跳ねたりしても,目で見ている画像がグラグラ揺れたりすることは滅多にない.これは,首の動きや目の動き,あるいは耳の奥で感じる重力の方向変化などの情報を脳が処理し,見える映像に補正をかけているからだ.しかし,ヘッドマウンテッドディスプレイだけに視覚入力を頼ると,筋肉からくる情報と目の情報に違いが生じて脳がパニックを起こす.その結果が「酔い」となって現われるわけだ.
 この結果は,人間という情報処理装置の特性を見事に表わしている.しかも,VRという概念が出てこない限り絶対に突き止められなかった性質である.
 たとえば,ヘッドマウンテッドディスプレイを付けてVRを感じながら、頭を45度横に振るとしよう.このとき,ディスプレイに表示される映像が45度より内側ならば「酔い」は起こらない.ところが,首を回した量よりも,表示される映像を50度のように少しでも多めに回してしまうと,激しい「VR酔い」が起こるという.つまり,究極のVRを実現するには,このようなVRと相互作用したときの人間の性質を調べなければならない.「バーチャルサイエンス」とでもいうべき,新しい学問が必要になるわけだ.
 同時に,「バーチャルサイエンス」を応用すれば、完全なVRであっても、必ずしも多大なコンピュータパワーを使わなくていい。人間の脳と同じように,意味をもつ重要な情報だけを明確に提示し,意味の薄い情報は無視すればいいのである.これまでのコンピュータ技術は,現実を正確に表現するという暗黙の前提に立って開発されてきた.ところが,実際の人間は,決してそんなガチガチの機械のような存在ではない.つまり,マシンパワーを最大まで使って,すべてを完全に,きれいに見せなくても、十分なリアリティを実現する方法はありうる。
 VRの実現には,計算機の有限の能力を,どこに振り向けるべきかという検討が非常に重要になってくる.この認識が広がらないと,VRは不必要に費用だけを食い潰す存在になり,パーソナルレベルでの応用は不可能になってしまうだろう.

ASCII1992(06)f08未来コンピュータ写真15_W500.jpg 15 タンパク質の一種であるバクテリオロドプシンを光入力センサーとした画像識別モジュール.生物組織を利用して人間の目に近い処理をする研究も行なわれている(写真提供:富士写真フイルム(株))
 バーチャルリアリティの進歩も遅い。メタバースなんてあの程度の品質で大きく宣伝していると30年以上もかけてそんなものかと蹴っ飛ばしてやりたくなる。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:パソコン・インターネット

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。