SSブログ

未来コンピュータその1(月刊ASCII 1992年7月号7) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]

特集記事「未来コンピュータ」を数回に分けてスクラップする。
どの程度当たってかの取り敢えず検証は後回しにする。
ASCII1992(07)f01未来コンピュータ扉_W520.jpg
西暦2002年,いまから10年後の未来である.
その遠くて近い未来に,パーソナルコンピュータはどのような姿で、私たちの前に登場するだろう?
コンピュータの役割は、どのように変貌しているだろう.

これからの10年,あなたのためのパーソナルコンピュータが誕生するまで,ほんの少しの時間である.


 過去,月刊アスキーでは「極楽(Heaven)」という名称で,パーソナルコンピュータの未来像を発表している。1978年発表のラップトップ型をした「極楽1号」,1983年発表のノートパッド状のコンピュータ「極楽2号」がそれである.それぞれ,先進的な発想によって考案されたコンピュータのイメージであり、現在のパーソナルコンピュータにも極楽の思想が生きていると自負できるものだ.
 10年後のコンピュータは,私たちの生活のあちらこちらに姿を隠して溶け込んでいるだろう.その形態も,用途や個人の好みにより多種多様に分化しているはずだ。究極のコンピュータは,決してひとつのものではない。いままでハードウェア重視で考えてきた極楽の思想は,もはや終焉を迎えたのかもしれない.
 未来のコンピュータを語るとき,CPUの演算速度やメモリ容量などの具体的な性能に注目することは,ほとんど意味をなさないだろう.10年後に到達できるであろうハードウェアスペックについての見積もりも可能だが,それが実現されたとして,ユーザーインターフェイスやアプリケーションまでは把握し難い。また,流行という予測できない要因もパーソナルレベルにおいては重要になる.であれば,どこに着眼すべきなのか?


 今回,月刊アスキー編集部は未来のある場面において使われるだろう,携帯できる情報整理ツールを発表する。外観は,アラン・ケイのDynabookや現在のノートパソコンの延長線上にあるが,情報を得るための「本」としての役割,電子出版時代の到来を考えた本来の意味での「ニュー・パピルス」の概念を尊重したモデルとなっている。人との関係,交際,伝達などの意味を重視し,人間の友達に相応しい名称「liaison」の名を持つコンピュータである.

基本スペック
 前提として,「コンピュータは,情報を加工し,新たな情報を創造するための道具である」としよう。情報の加工には多種の様式が考えられるが,人間が使うことを前提にすれば,情報の出入口は人間の感覚に合うものでなくてはならないはずだ.
形態
 外観は,まさに本をイメージしたものであり,各種のインターフェイスを装備したハードカバー部と,情報の表示/加工を行なう複数のディスプレイページから構成されている.ハードカバー状の本には、簡単な操作を行なうためのボタンと,情報の加工に使うペン,データ入力を補助するペン型のイメージスキャナを装着している.
 本体下部の球状の物体はトラックボール状のポインティングデバイス,上部の球はイメージ投影装置である.また,各状態を示すインジケータランプ,大量情報を交換するためのカードスロット,ソケット状の汎用インターフェイスコネクタを装備している.
 本体には,縦/横の決まった向きはなく,本のように開いたり,現在のノートパソコンのように片側を起こして使うことができる.
ASCII1992(07)f03未来コンピュータ写真1_W458.jpg

出力
◆情報の出口として「本」をイメージしている.本の紙のように,ディスプレイとして複数枚用意されたフィルム状の表示媒体は,それぞれ透明~不透明を自由に設定できる.
◆一番上のディスプレイを透明にしておけば,より下層の表示層の情報を、ぼんやりと眺めることもできる。現在のCADソフトなどに見られるレイヤー構造と同じだ.
◆さらに,フィルムに表示された情報は電子的に管理されながら,本体から切り離しても表示情報を維持する不揮発性を持つ.

 このフィルム表示媒体は,安価に提供されなければならない.むしゃくしゃしたときには,ちぎって捨てられるほどの価値だ。電子的に読みかけの箇所をマークするのではなく,物理的に,隅を折り曲げたり,ちぎったりしてマークできるように,である.乱雑に扱えればいいというものでもないが,本と同一のイメージで捉えたほうが多くのユーザーの行為に対応できる.
◆ディスプレイには,文字および画像が縦位置,横位置の自由なレイアウトで配置可能だ。また,本体周辺部の6個のボタンスイッチは,ディスプレイ上のアイコンと連動.
◆本が活字を伝える道具なら,テレビジョンは映像を伝える道具である.当然のこととして,ディスプレイ上には現在のビデオ画像程度の動画表示も可能である.
◆本体上部にある球状の部分にはレンズが埋め込まれており,ディスプレイの表示内容を壁などの平面に映し出すための投影装置となっている.

 「複数人で同時に同じ情報を見る」という行為もかなえたい。現在,プレゼンテーションの場面などでは,ビデオディスプレイにコンピュータ画像を映し出し,多人数で情報を閲覧するなどは日常となりつつある。今の液晶プロジェクタの原理を用いれば,10年後の未来,きっとこの機能も装備されているはずだ.
ASCII1992(07)f04未来コンピュータ写真2_W469.jpg

入力/操作
◆文字入力は,本体に装着されている専用ペンによる手書きで行なう.入力文字は,ユーザーの筆跡どおりにディスプレイにビットマップイメージとして記憶される.
◆メモ程度の手書き文字入力が主体となるが,活字文字に変換する必要があれば,その部分を枠で指定し,さらに機能を選択することで一括して活字書体に変換する. ◆文字/画像編集のほとんどは,ペンもしくは,本体下部にある球状のトラッキングボールによるポインティング操作と,ディスプレイ周囲のボタンによって行う.

 まさに,雑誌を開く感覚で,コンピューティングに入り,表紙を閉じる感覚で情報の保管を行なう.ビュアーとしての機能を重視した当モデルは,文筆業者向けのような大量の文字入力は基本的に想定していない。もちろん,外部とのインターフェイスは用意してあるので,周辺機器として,現在のキーボードや音声入力機器などが接続可能である.
ASCII1992(07)f05未来コンピュータ写真3_W276.jpg
◆情報の閲覧/収集/加工には,ペンとボタンによる操作を基本とし、あとは,ページをめくる,ディスプレイを外して並べ替えるなど人間の直接的行為である.
◆書籍などの大量データの交換は,ディスプレイページによるデータ保管よりも、場所をとらず,信頼性の高い不揮発性のメモリカードを介して行なう.
◆処理作業中/電源降下などマシンの各種状態は,本体右のインジケータ部に常に示される.この部分のライトは緊 急時のライトとしても利用できる光量がある.

ASCII1992(07)f06未来コンピュータ写真4_W433.jpg
重量/サイズ
◆ディスプレイページを最大容量まで差し込んだときの重量は約800g,ディスプレイやメモリカードなどすべてを取 り去ったときの重量は約300g.
◆サイズは,閉じたときが200(W)×250(D)×20(H)mm,開いたときが400(W)×250(D)×20(H)mmであり,一般的な雑誌程度の容積となる.
◆インターフェイス部に各種の拡張機能装置を接続することで,ビデオ画像の入出力/キーボード入力/他のマシンとの情報交換などが可能だ。

 以上、未来のコンピューティングにおいて考えられる大まかな項目について述べてきた。もちろん,この「liaison」ですべてのコンピューティングが語れるわけはない.極集中タイプの大型コンピュータもできるだろうし,データの蓄積には,大規模な電子図書館も必要だ。しかし,個人が携帯するのに,それほど複雑な機能はいらない。現在の手帳やノートに毛の生えたもので十分なはずだ.機能重視で進んできた従来のパーソナルコンピュータの流れを,今一度,考え直して見るべきなのではないだろうか?
ASCII1992(07)f08未来コンピュータ写真6_W258.jpg

考察1:技術的バックボーン
鹿野 司

 これからの10年間は,技術の歴史の中でもかなり面白い時代になるというのも、ここ20年あまり続いてきた半導体の指数関数的な微細化が,ついに最後の段階を迎えると予想されるからだ。
 従来の半導体の微細化の歴史をたどると,3年で4倍,つまり15年で1000倍のペースで集積率が向上している.また,技術者たちの間にも「1Gbitまでは致命的困難はない」という雰囲気があり,従来ペースのまま微細化が進めば,西暦2000年前後にはギガ級素子が誕生することだろう.
 このような半導体の猛烈な進化は,電子技術全体にもフィードバックし,驚くべき速度で技術の革新を促している。技術の革新は,身近な生活にも大きな変化をもたらすだろう.私たちは変化の内部にいるため,変動の激しさに気がつかないのだが,たとえば,CDの規格がフィリップス社から発表された1979年から,わずか十数年で,アナログレコードは市場から姿を消してしまっている。10年後のコンピュータ世界は,大雑把にいって今よりさらに1000倍の世界である。処理速度しかり、記憶容量しかり,孤立しているネットワークが相互に連結すれば1000倍規模ネットワークも可能である。
 ところが,さらに遠い将来では話が違う.電子技術の微細化が量子サイズにまで進むと,電子の波動性や弾道性が問題になり,ナノテクノロジーの世界に踏み込まざるを得なくなる.回路が量子のサイズになると,そもそもトランジスタが動作するのかという問題もあるのだが,それが可能だとしても、たった1個の電子の振る舞いが無視できなくなり,これまでとは,根本的に異なる設計原理が必要になってくる.このまったく新しい原理による技術革新は,あと10年で量産段階にとどくとは,とても考えられない.そこで,電子回路の微細化は,せいぜい0.2μmあたりで止めて、回路の工夫でテラ(1T=1000G)のオーダーまで引っ張ろうという考えがある.
 たとえば現在のマイクロプロセッサは,1本の信号線で0か1かの,たった1bitしか表現していない。つまり,64bitの信号を同時に送るには64本の信号線が必要になり,チップ面積の大半(極端な場合7~9割)が配線部分となってしまっている.しかし,信号線1本で8bit程度を凝縮して表現するのは,そう難しくない技術だ。つまりプロセッサの多値化である
 これは,見掛け上の集積度を上げるだけでなく,デジタル回路とアナログ回路の親和性を良くするという意味でも価値がある。ひとつのチップの中に,ファジー回路やニューラルネットワーク,さらに真空マイクロ素子などのアナログ回路が、無理なく集積できるようになるだろう.あるいは,ひとつのプロセッサにすべてを集積しないにしても、デジタルチップとアナログ素子を,いまよりもはるかに親和性良く,結合できるようになることは間違いない.
 これからの10年の間に徐々に起きてくる技術的変化の中には,すでに現在,動き始めた技術もある。マルチプロセッサ化も,その一例だが,デジタル/アナログ混合型のチップや,1チップに多数のプロセッサを集積することができれば,コンピュータの姿も大きく変化するだろう.
 現在のマルチプロセッサのイメージは,複数のプロセッサを連結することで,処理能力を加算的に増加させていくものといえる.しかし,異質なプロセッサの結合が可能になると,一個の独立したコンピュータを外部インターフェイスとみなして,コンポ感覚でつなげていけるようになる.つまり,一台のコンピュータというより,異種コンピュータの複合体を,パーソナルなシステムとして使用するわけだ。たとえば,画像処理が得意なニューラルネットワークとCCDカメラを一緒にして,パターン認識機能を持つ画像処理コンピュータを作るとする。このコンピュータを装着した別のコンピュータは,画像入力インターフェイスとしての目を得ることになる.
 このようなインターフェイスは,すべてのユーザーに必要になるとは限らない。しかし,もしそれが簡単に自分のコンピュータに接続でき,しかも安価に供給されるならば、使用者の体の動きや視線といったアクションをコンピュータへの入力に使用したり、使用者の識別,あるいは盲人用の読書装置などに気軽に応用できる.
 また同様に,スピーカとニューラルネットワークの連結による,音声認識/入力インターフェイスなども考えられる。音声認識ができても,パーソナルユースでの口述筆記などというニーズはさほど考えにくい(オフィスや教室でみんながブツクサいっていては煩わしくてしょうがない)ので、あまり有用性はないという意見もある.しかし,コンピュータに対して音声リクエストができると,それなりに使用法は思い描ける。たとえば何かのシミュレーション実行中にある部分を指差し、「ここを拡大して」といったことが言葉でできるわけだ。
 このようなコンポ形式,あるいは極端にレゴブロック式にコンピュータのシステムが構成できるとするなら,それこそあらゆる個々人の,個性的なニーズに対応できるパーソナルコンピュータが生まれる.
 当然、その形は、唯一無二のものには収束し得ない。ワタシにとってのパーソナルなニーズは,アナタにとってのパーソナルなニーズとは,異なるはずだ.


ASCII1992(07)f07未来コンピュータ写真5_W520.jpg
考察2:外見から導かれる事項 鹿野 司
 このマシンは,持ち歩くことを第一に考えた,アラン・ケイのDynabookの概念に属するもので,主な仕事はネットワークで供給されるデータの閲覧だろう.
 人間がコンピュータに司令する方法としては、画像認識や音声認識によるユーザーインターフェイスの向上ではなく、あくまでスイッチや電子ペンなどのポインティングデバイス,そしてキーボードを採用している.また,コンピュータから人間に対する応答も,グラフィック表示と音声のみである。この部分は,現在のコンピュータとさして変わらない。
 リフィル型の一見本体に見える部分は,長時間の電源供給と無線ネットワークアクセス機能を持った独立したコンピュータで,同時にポインティングデバイス(電子ペン)と,市販ソフトウェアや個人データを入れる電子カードを,ひとまとめに収納できるといった役割を受け持っている.
 しかし,リフィルに綴じられているページ一枚一枚も,実は独立したコンピュータであり,全体がコンピュータ複合体となっている。このページは「スマートペーパー」と呼ばれ(本文中のディスプレイページのこと),文房具屋などで,かなり安価に手に入れられるものと考えられる.スマートペーパーの全面は印刷工程で作られる.電源を切っても表示が消えないエレクトロクロミック・ディスプレイのようなものと,シート状圧力センサ,シート状電池,TABLSIなどを積層して作られるだろう.TAB(tape automated bonding)とは,厚さ100μmほどのテープフィルムにLSIを直に接続したもので既存技術である.
 この知的な「スマートペーパー」は,ディスプレイとしても使用できるし,キーボードをグラフィック表示させて,簡易キーボードとして使うこともできる。また,ペーパー内部にCPUがあるため,単独でも、今のパソコンがやる程度の仕事はすべて可能である.さらに,ページ数を増やすことで,加算的にCPUパワーを上げ,複雑なシミュレーションを高速に行なわせることもできる.シミュレーションの結果を一枚のペーパーに記憶させて,そのページだけを人に手渡すことも可能だろう.

 この時代,ネットワークには大量の使いでのある情報が流されているはずだ。しかし,パソコン通信などでよく経験するように,情報全体を閲覧するのに,単一の画面でスクロールする作業は,かなり煩わしい。画面には情報のある一部分しか表示されないため,ユーザーが,それ以外の情報を見つけようとするなら,隠されている情報(行き先)についても記憶していなければならないからだ。
 直線的に読むことしかできない「スクロール(巻き物)」が,やがてランダムに読める「本や雑誌」に進化したように,コンピュータの表示形態もランダムアクセスができるものに進むだろう.
 このマシンは,表示をページ形式で行ない,本でも読むように全体が読め,また,その情報を適当に編集して,必要なページを人に渡すこともできる。つまり、人と人との情報の交換を,データの交換ではなく,モノの交換として,人間の感覚にナットクのいきやすい形で行なうのである.もちろん、現在の手帳と異なるのは,渡されたペーパーの表示内容は,いったん,マシン本体に接続すれば再び流動的な情報として生き返るというところだろう.
 この装置の持ち主も,これでパーソナルコンピューティングのすべてをやらせようとは考えていない。自宅または職場には,これよりもはるかにユーザーインターフェイスの優れた,ハイパワーのマシンがあって,学習や仕事に威力を発揮しているはずだ.
 TPOにあわせてコンピュータを使い分ける。それが未来のパーソナルコンピューティングのあるべき姿ではないだろうか。


モックアップモデル製作過程
 今回製作したモックアップモデルの概念は,技術的資料やユーザーインターフェイス技術をもとに,月刊アスキー編集部での数回の編集会議を経て固定化された.実際は製作モデル以外にも,3次元表示を行なうもの,ハンディゲーム機器を巨大にしたものなどなど,数々のアイデアが提出されている.その後,インダストリアルデザインを専門とする「株式会社アイデック」のスタッフの多大な協力を得て,製作が始まった。
 1974年,伊丹デザインとして誕生したアイデックは,伊丹由和を代表とする数十名のスタッフにより,工業デザイン/商品企画/グラフィックデザインなどを手掛ける企業である.関連グループとの連携により,海外のコンピュータメーカーや、国内の文具/カメラ/電子機器メーカーなどから依頼を受け、先進的なイメージを生み続けている.ところが,ほとんどのコンピュータメーカーが持ち込む企画は,2~3年後を対象としたマシンであるという.
 具体的に物を作るとなると,社会状況や技術動向の正確な予測が成立しない10年後というのは,近未来ではなく,遠未来ではないのだろうか?10年後のコンピュータを考えるのは,編集部にとってもデザインチームにとっても初めての経験である。編集部のアイデアを下地にいくつかのラフスケッチがアイデックから提出され,さらなる検討が加えられた後,最終的なモックアップモデルが誕生した。

ASCII1992(07)f08未来コンピュータモックアップ写真_W361.jpg

2002年のパーソナルコンピューティング
鹿野 司

 現在のパーソナルコンピュータは,10年前に夢物語に過ぎなかったものの多くを実現してきた,しかし,2002年のコンピュータは、現在のさらに1000倍の処理能力を持つと考えられる。このあり余る未来コンピュータの能力を,どのような場面に振り向ければよいのだろうか。また,これから10年の間には,社会背景も予想できないほどの変化が生じ,コンピュータの役割さえも変化していくはずだ.
パーソナルコンピューティング思想の誕生
◆Memex
 パーソナルコンピューティングの概念の起源を考えてみると,ヴァネバー・ブッシュ(Vannevar Bush)が1945年に発表した論文「思考のおもむくままに」(As we may think)の中の,情報の管理検索システム「Memex」にまで遡ることができる.
 もっとも,ブッシュ自身はMemexを,コンピュータと関連して考えてはいなかった。彼には,世界に情報が氾濫し、人間が対処し切れなくなっているという認識があり,この状態を解決できるのは、個人使用を目的とする機械化されたファイリングシステム(=図書館)であるとした.Memexの基本は、記録媒体にマイクロフィルムを採用,フィルム上に記録された情報をスクリーンに投影し、関連する情報を好きなようにリンクさせて連想的に情報を検索したり、欄外に書き込みができるものであった。さらに彼は,音声タイプライタのアイデアや,視聴覚信号を電気信号に変換して脳と直結させるような装置もイメージしている.

◆NLS
 Memexのコンセプトに計り知れない影響を受けた人間の一人が,ダグラス・エンゲルバート(Douglas Engerbert)である。彼は1968年の秋季合同コンピュータ会議で,「NLS(oN-Line System)」という機器のデモンストレーションを行なっている。これはレーダースクリーンを対話型ディスプレイとし,木製のポインティングデバイスで指示するマルチウィンドウ,電子メール機能を備えたもので,現在のマルチメディアワークステーションの祖先といっていいだろう.現在,ポインティングデバイスの主流となっているマウスも,ここにその原型を見いだすことができる.NLSは、70年代以降「Augment」と名を変え,文章をネットワークで結ぶハイパーテキスト機能を中心に発展,研究されていく.
◆Dynabook
 さて,エンゲルバートがブッシュの論文に大きな影響を受けたのと同様に,NLSのデモに強く影響を受けた人間もいる.Macintoshの原型となった「Alto」を作り出し,オブジェクト指向プログラミングの概念を広めたアラン・ケイ(Alan Kei)がその人だ。彼は1970年代半ば,ノートサイズの個人用ダイナミックメディアとして理想のパーソナルコンピュータ「Dynabook」をイメージしている.Dynabookは,すべての人が個人所有できる携帯型の装置で,子供にでも使えるような容易な操作系や,高精細ディスプレイ,視聴覚入出力機能などを備え,ネットワークにも接続して使えるものと考えられた.このDynabookのイメージこそが、現在のパーソナルコンピュータの向かう方向を決定しているのである.
◆Xanadu
 ところで,アラン・ケイとは別の流れとして,テッド・ネルソン(Theodor Nelson)は,1965年に「Hypertext」を提唱している。ハイパーテキスト(ハイパーメディア)とは,a:画面に表示された地図のある場所を指すと,その土地の文化や産業の概要が表示され,b:その概要の中にある「市場」という文字を指すと,こんどは市場風景が現われ,c:その風景に映っている一羽の鳥を指すと,その種類や生態学的データなどの説明文が現われ,d:その文の中の「さえずり」という文字から,その鳥の声や姿がビデオ表示される……というように情報を際限なくたどっていけるシステムのことだ。ハイパーテキストのイメージは,MemexやNLSにも見られるが,ネルソンが1967年に名付け、現在も進行中の「Xanadu計画」では,地球規模の情報をハイパーテキストとして統合するのが目的だ。
ASCII1992(07)f09未来コンピュータ写真1-2_W310.jpg
コンピューティングは,目的である
 振り返ってみると,パーソナルコンピューティングの概念は,驚くほど昔から存在していたことが分かる.私たちは,その古い理想,思想,哲学を,カタチにしようとしているだけかもしれない。それだけでいいのだろうか?
 人類は物語を創りあげたときから,月へ行きたいという夢をくり返し語り継いできた。あるものは夜露が空に返る力を使い,あるものは鳥に引かせて月に届こうとした。この夢の想像力は自由奔放で留まるところを知らない.一方,科学,工学の力によって月に向かおうと考えたとき,そこには予想もしなかった無数の困難が現われる.月に行くにはロケットが必要だ,ロケットをまっすぐ飛ばすにはどうすればいいか、燃料はどうする,どのような軌道で飛ぶか,空気のない世界で人を生かしつづけるには...次々と生まれてくる現実の問題との苦闘の中で,当初の思惑は少しずつ修正を受けることになるだろう.月へ行きたいという意志はそのままに、プロセスや目的,哲学が変化していく。ひとつのものに到達するのは,そういうことなのだ。パーソナルコンピューティングも同じようなものかもしれない.

◆脳によるコンピューティング
 ブッシュが「思考のおもむくままに」の中で語ったのは,脳の内部に流れる電流(脳波や神経インパルス)を直接利用して,機器をコントロールするということだ.現在,これに近いインターフェイスは,SQUID(超伝導量子干渉計)による脳磁図計測と脳の磁気刺激によって,徐々にリアリティを持ちはじめている(コラム1参照)。
 これは,脳の深部から出てくる磁場をキャッチし,磁気刺激によって脳のニューロンに誘導起電力を流すという,夢のあるテクノロジーである。外部から脳の内部に電流を流し,手指を動かすことができるのならば,バーチャルリアリティ上での反力をこの方法で感じさせることができるかもしれない。さらに,人体の各部を動かすときの脳磁場がキャッチできるなら,タイピング動作のイメージだけでコンピュータ入力が可能になるだろう.

◆ホログラムを応用した映像出力
 未来の立体映像表示装置として「ホログラム」を考える人は多いはずだ。しかし,ホログラムの魅力は立体映像の表示だけではない.たとえば,30インチの立体ディスプレイに,人間の全身像を映すとせいぜい身長30センチの人形のような像しか投影できない。そこで,ロングに引いたりバストアップにしたりと,カットの切り替えを行なうと,人物の大きさが極端に変わることになる.今まで人形サイズだったのが,突然,実物大の生首として映し出されるとき,これを違和感なく眺めることが可能だろうか?このように,必ずしも三次元映像のほうが二次元映像よりリアリティがあるというわけではない.平面表示には,立体表示をできないがゆえに,かえって仮想的なリアリティを創り出すという側面がある.しかし,ホログラムは未来のコンピュータとまったく無縁というわけではない。ニューラルネットの光インターコネクションや,バーチャルリアリティのヘッドマウンテッドディスプレイ用としての可能性は大いにある(コラム2参照)。
ASCII1992(07)f11未来コンピュータ写真3-4_W407.jpg ASCII1992(07)f12未来コンピュータ写真5_W499.jpg
◆電脳都市は人間に冷たくなるか?
 先人たちの考えたパーソナルコンピューティングのイメージは,人間の知的能力の増幅を目指すということに共通していた.しかし,現在のコンピューティングの状況は,彼らが理想を描いていた時代とは,若干のズレが生じてきているようにも思える.
 東京大学助教授の坂村健は,電脳都市,インテリジェントオブジェクト,超分散システムなどというキーワードでTRONコンピューティングを提示している.これは,コンピュータを単に人間の知的活動の拡大装置として見るのではなく,人間活動のすべてに関わるものとして見るべきだと主張するものだ。電化製品だけでなく,家の窓から壁,床,家具などあらゆるモノにコンピュータを組み込み,それらが連動して作業を行なうという世界は,従来のコンピューティングの思想では考えられなかった概念といえる。
 ところが,すべてを電脳化することによって,人間的な喜びが削られてしまうかもしれない。たとえば,ある住宅に,観葉植物に自動的に水を与えるシステムがあるとする.しかし,コンピュータは常に全自動で水を供給することはないだろう.なぜなら,私たちには「植物に水をやりたい」という気持ちがあるからだ。

ASCII1992(07)f12未来コンピュータ写真6-8_W427.jpg
◆便利さと効率を超えたよろこび
 コンピュータ制御の自動化によって奪われる人間の喜びについて具体的に考えてみよう.現在の電子メディアの代表的なものにCD-ROMを使った国語辞典がある.国語辞典は意味の分からない言葉を調べるためのものだ。ならば,目的の言葉をできるだけ早く探し出せたほうがいい。パラパラとページをめくっていく手間など,なくしたほうがありがたいわけだ。その意味ではCD-ROM辞書は非常に便利なものといえる.しかし,人間と辞書との関わり合いを,検索スピードだけに限定していいのだろうか?
 ちょっと確認したいことがあって卓上の辞書をひく場合,始めはある目的をもって調べ始めても,検索の途中で目についた別の項目を読んだり,そこから興味を引かれて別のページを読んだりすることが結構ある.この横道にそれる行為は意外に楽しいものだ。個人的な喜びとは,実はそういうところにある。従来のソフトウェアは,喜びのためというより,仕事の効率に重点を置いてつくられてきた.しかし,これからのコンピューティングには,無駄と思われる部分も取り込んでいく必要がある.
 ハイパーテキストもまた,どんな知識にでも自在にアクセスできるがゆえに,逆に何が未知なのか分からなくなってしまうのでは,という危険性をはらんでいる.人間の創造性は,知識に学び,次にそれを疑うということが非常に重要なのだ。ハイパーテキストも,何が分からないかを見つけ出す手段として使う必要がある.
 つまり,コンピュータの役割は,単に人間の「知的活動」の拡大だけにとどまらない,とどまれないことを意味している。コンピュータは,人間活動の広く全体に「何か」をするものになりつつあるわけだ。その目指すべきコンピューティングとは「あらゆる個人のために,居心地の良い世界をつくり出すこと」に集約されるだろう.

ASCII1992(07)f13未来コンピュータ写真9_W390.jpg
◆人間の感性が大切だ
 日本の中から立ち上がりつつあるオリジナルな思想についても、少し紹介しておこう。これは「感性情報処理」というもので,従来はシンボルしか扱わなかった人工知能の分野を拡大し,感性という部分にまで広げようという試みだ(コラム3参照)。従来のパターン認識では,手書きの[A]という文字を認識して[A]というシンボル情報に置き換えるだけであった.しかしこれでは,手書きの文字に含まれる,上手下手,力強い,かわいい,やさしい,ユーモラスといったさまざまな情報を捨て去ってしまっている.身近な例では,パソコン通信でよく見かけるフェイスマーク[(^_^)]など,今のコンピュータ画面からは失われてしまった人間の感情という情報を,何とか表現しようとしている苦肉の策ではないだろうか.
 しかしここにも,コンピュータにどこまで感性を身につけさせたらよいか,という問題がある。あまりにもユーザーフレンドリーになりすぎると,コンピュータと人とが一緒になって小さく閉じてしまうかもしれない.
 また,人間が本来欲していたアソビやムダの部分を回復する手段としては,感性情報処理のほかにバーチャルリアリティも考えられる.VRは視覚/聴覚/触覚などの多チャンネルの感覚を利用して,シンボル以上の情報が扱え,またリアリティの内部に没入するわけだから,使用者の行動や視線によって得られる情報が異なってくる。つまりVRの世界は,受け取る側の個性によって,まったく別の情報を受け取ることができ,物語性の高いものにすることができるわけだ(コラム4参照)。

ASCII1992(07)f14未来コンピュータ写真10_W500.jpg ◆万人へのコンピュータ
 これからのコンピュータは,あらゆる人間の,あらゆる活動に関わっていく。この人間のあらゆる活動の中で,知的活動はどれくらいの部分を占めるのだろうか.実のところ,知的活動などというものは,人間が生きていく中のごく限られた一部分にしか過ぎないし,それほど重要な部分でもないのかもしれない。本も読まず,手紙も書かないからワープロも不要,楽器だって演奏しないし,ゲームにも興味がない.そのような人たちに,従来のイメージのパーソナルコンピュータが意味をなすだろうか.
 しかし、これからの未来は,さまざまな道具や都市そのものという形で,すべての人間にコンピュータが関係していく。未来のパーソナルコンピュータは,あらゆる人に対応するために、決してひとつの形にはなりえないのだ。

 2002年は遠未来である。まだその世界は確定していない.ものを使う人間も,創る人間も,自分がなぜそれを好むのか,本当にいちばん心地よいということは何なのか?これらの疑問を常に問い直しつづけることが,未来を快適な世界にする、唯一の方法ではないだろうか.


コラム1 脳磁気工学
 九州大学工学部,電子工学科の上野照剛教授の研究室では、脳の磁気刺激と脳磁図計測の研究が行なわれている.生体活動は基本的にイオン電流を伴う,さらに電場あるところ磁場もあり,磁気情報を使うことで体内を直接調べることが可能なのだ。特に脳磁図は,脳波では分からない詳細な情報が得られるため,脳の解明,医療診断などの大きな手段となりうる.しかし,この生体磁気は非常に微弱で,地磁気の強さが0.3×10-4テスラ,都市の磁気ノイズが0.2×10-6テスラに対し,心臓磁場は0.2×10-10,脳磁場は10×10-12テスラ程度しかない。これだけの弱い磁場を測定するには,SQUID(超伝導量子干渉素子)と呼ばれるセンサを使うしかない.上野教授が実用化した国産初の生体磁気計測システムでは,脳波も同時に測定でき,脳磁場の存在も確認できている。
 また,上野教授は脳に外部から1テスラの強磁場を0.1~0.3秒ほどかけ,誘導起電力によって脳内に電流を流し,手足の指を一本一本動かすことにも成功した.この磁気刺激装置はコイルが8の字型をしているところがミソで,これによる逆直パルス磁場を使えば,脳の運動野を3~5mmの分解能で刺激でき,しかも標的で流れる渦電流の向きも自由に制御できる.これにより,頭頂部を右半球から左半球へ流れる渦電流は右足の小指が反応し,左から右に流れる電流は左足の小指が反応するといった特性も明らかになった.さらに,磁気刺激に関しては脳腫瘍や脳血栓などの脳神経関連疾患,脊髄損傷などの診断方法として,大分医科大学で臨床応用も始まっている。将来的には,脳血管障害で失われた脳組織周辺を磁気刺激し,機能を一部回復できる可能性もあるという.


ASCII1992(07)f10未来コンピュータ脳磁気工学図_W516.jpg
コラム2 リアルタイム・ホログラム
 1991年シチズン時計((株)株)は,物体を撮像/電送し,相手側で再生するというリアルタイム・ホログラムを世界ではじめて発表した。従来のホログラムでは,物体をレーザーで撮影してフィルムに焼き付けて現像,再びフィルムにレーザーを当て物体像を再生させるため,リアルタイム表示は不可能であった。フィルムをCCDカメラと液晶ディスプレイに置き換えることで,ホログラム情報の電気的伝送も可能になったのだ。もっともこれは,高解像度の液晶を使ってのホログラム再生が可能かどうかを実証するために作ったもので,本来の目的は立体テレビではなく,光コンピューティングにあるという.次世代コンピュータとして,ニューラルネットワークが注目されているが,ニューロンの数が10万~100万にもなると配線が非常に複雑になる.そこで,原理的に光を自由に分岐できるホログラムを配線に使う光インターコネクションが考えられている.
 たとえば,100万画素の液晶パネルを1マイクロ秒で書き換えれば,1テラbit/秒,1000万画素なら10テラbit/秒の処理能力を,ほとんど電力を使わず実行できることになる.また,シチズンでは液晶ホログラフィをVR用HMDに応用することも考えている.VRとシチズンの関係は意外に古く,1988年に発表されたNASAのHMD第一号機は実はシチズン製であった。その延長に液晶ホログラフィを使い,目の焦点を遠方に合わせていても網膜に焦点の合う映像を作ることができるHMDを検討中だ。ホログラフィに適した液晶ディスプレイは,画素ピッチが細かいほうがよく,現在,画素ピッチ1.5μm以下の超高密度の液晶パネルに挑戦しているという.

ASCII1992(07)f11未来コンピュータリアルタイムホログラム写真_W441.jpg

コラム3 感性情報処理
 この4月から文部省の重点領域研究として「感性情報処理の情報学,心理学的研究」が大阪大学基礎工学部の辻三郎教授を中心にスタートした.人間の行なう情報処理には,イメージ的,直感的で,感性としか呼べない部分がある.感性情報処理とは,コンピュータが扱うべき情報を,論理の世界から感性の世界へ発展させようとするものだ。つまり,美しいとか快いといった形容詞で表現される,情報の感性的側面をコンピュータに理解させようというのだ。
 もっとも、感性という言葉の意味する領域は非常に広いため,主として画像や音響のメディアに限定して,感性情報をどう記述し,どう再生し,どのようにそのデータベースを作るかが研究の対象になる.具体的には,音楽をコンピュータに聞かせ,それがどんな感じの音楽なのかを表現させたり、逆にコンピュータによる演奏に情感を込めさせるにはどうするか,などの研究が考えられている。知識の世界から感性の世界に入り,感性科学という新しい分野を築き上げようという試みであり,美学や心理学で個別的に行なわれてきた研究と情報科学の理論,ハード/ソフトウェアを結合させる学際的な研究が進められる。ところで,これとは別に,通産省のプロジェクトとして「新情報処理技術開発計画」が1992年度から10年計画で始まっているこれも,情報処理で扱うデータをシンボルの世界だけでなく人間が活躍するリアルワールドに求めるものだ。「脱シンボル」というキーワードが,これからのコンピューティングの指針となるのではないだろうか。日本主導のプロジェクトがこのような思想を採用するのは,日本人が本性的に視聴覚的感覚的嗜好性が強いことと密接な関係があるかもしれない。日本文化に根差した独自のコンピュータを創る試みが,同時多発的に始まっているのだ。


コラム4 フォースディスプレイ
 バーチャルリアリティ(VR)は,これまでのコンピュータのマンマシンインターフェイスとは、根本的に異なった思想をもつ技術である.VRで重要項目を,ひとことで言えば,HMDなどのディスプレイを使った没入感のある世界の構築と現実と仮想現実のインタラクションになる.一方,VRには,視覚聴覚だけでなく幅広い感覚を再現しようとする理念もある.VR世界の中の物体を手で操作する場合,手袋状の入力装置でインタラクションは可能だとしても物体の手応えがないと極めて扱いにくくなる.人間の動作には触覚が重要なのだが,本格的な力感覚のフィードバック装置は,大掛かりな装置になりがちだ。
 筑波大学構造工学系講師の岩田洋夫は,そのような実時間のCGに,力覚表示デバイスを組み合わせる研究のひとつとしてデスクトップ仮想空間操作システムを試作した.これは9自由度のマスターマニピュレータで,手の動きに追従する6自由度のマニピュレータの上に,指の動きに追従するアクチュエータを搭載したものである.つまり,これを装着して手を動かすと,指先が仮想物体に触れたとき指の部分に抵抗が現われ,仮想物体を指でつまむとその抵抗を感じることができるようになっている.小型でローコストな装置であるため,適当なアプリケーションさえ見つかれば,このようなフォースディスプレイはすぐにも実用化できそうだ.フォースディスプレイは,VR技術の中でも,CAD/CAMや手術シミュレーションなど,手を直接使う応用分野に広く普及していくだろう.

ASCII1992(07)f14未来コンピュータコラム4写真_W251.jpg


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:パソコン・インターネット