その他のハード、データショウ(月刊ASCII 1990年12月号3) [月刊アスキー廃棄(スクラップ)]
ASCII EXPRESSをスクラップする。
インテル,32bitマイクロプロセッサ3品種を発表
これも黒歴史CPUだった。インテルはRISCでは成功しなかった。
ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第117回 忘れ去られたCPU黒歴史 StrongARMの前に破れたi960
特に悪いCPUだったわけではなく「i960でなくてもいいじゃね。」だったようだ。
上の引用先の最後に
「別に大赤字を出したとかいう話ではないし、性能面でも決して劣っていたわけではない。それどころか、RISCとしては初のスーパースカラーを実装した製品であった。それにも関わらず、インテルの中で「忘れたい製品」になっているのは、やはり「x86ではなかった」というあたりなのかもしれない」
とまとめられていた。私は86の呪いだと思う。互換性が命とばかり8086という8bitに毛をはやしたというか16bitから毛を抜いたCPUを販売して私のような少数派のオタクに嫌われて、呪われていたが、本当に呪いが成功してしまったと思っている。当のインテルが86から決別しようとしたのに86にしがみつかれてとうとうここまで来てしまった。最初の決定というのが大切だということを歴史が教えてくれている。
AMDがAm29000の上位RISCチップを発売
これも黒歴史CPUだった。
ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第122回 CPU黒歴史 対Pentiumのために放棄されたAm29000
組み込み分野やワークステーションに 幅広く採用されたAm29000
最後に、Pentiumに対抗するためリソースをK5というCPU開発につぎ込み、「Am29000シリーズは突然に生産中止」として採用メーカーに多大な迷惑をかけた結果「筆者が知る限りでも、国内某社は「絶対にAMD製品を組み込みに使わない」と断言している。」となってしまった。
こじつければ呪われた86にかかわるとろくなことがないという事例になってしまう。
インテルがノート型コンピュータ用の386チップセットを発表
386は8086の呪いを86互換モードとして内部に閉じ込めたCPUだった。これは良かったが速度がいまいちで同クロックの80286と速度が変わらなかった。ワイヤードコアの486になってキャッシュを搭載して速度が上がり使いものになるCPUになった。私は486マシンを使っていてマシンを呪うことはなくなった。
日本電気がプリンタ,CD^ROMドライブ,HDDなど周辺機器13機種を投入。
CD-ROMはこの後倍速、4倍速と速度を上げていきやっと使える速度になった。当時は使い道があまりなかった。
PC-9800シリーズに拡張スロット用のHDDボードが発売
アイシーエムが40Mbytesで10万8000円。
キャラベルとテクサから,98NOTE-SX用の内蔵HDDユニットが販売開始
21.4Mbytesで10万9800円。
京セラ,日本アルトス,テクサ,エスパーシステムなどから,PC-9800シリーズ用SCSI・HDDが発売
趣味のパソコンユーザはハードディスクは10万以下のものを買っていた。これらは高くて買えなかった。
システムクォリティ,光磁気ディスクユニットを発売
本体価格が44万5000円もした。
三菱電機,容量4Mbytesのメモリカードを発表
厚さは3.4mm
インテル,最大4Mbytesのフラッシュ・メモリ・カードを発表
厚さは3.3mm
日電,高速アクセスを実現した64/256KbitSRAMを発表
システムクォリティが音声をテキストに変化するボードを発売
ヤマハがアウトラインフォント処理アクセラレータを発売
ヤマハは音楽関係だけではなくこうしたものも作っていた。
シャープが1670万色表示の14インチカラー液晶デバイスを開発
当時世界初のデバイスを発表していたシャープが今日凋落しているとは。33年前はシャープの技術には他の国特に中国、韓国は追いつけないと思っていた。しかし、かの国は最初から開発するのではなく途中から技術を取り込み開発をしていった。ゼロから始めた日本の技術の方が上で途中から開発した国に負けるとは思わなかった。
ブレインズが画面に16色でTV画像を表示するボードを発売
使い物になるかどうかは別にして33年前はこういう技術があった。今はデジタル放送だが昔はNTSCビデオ信号でアナログだった。そう考えると昔のアナログ技術は高度だった。今は失われた技術だ。
エプソンが低価格ページプリンタや,TVボード,ハイレゾディスプレイなど周辺機器を発売
レーザープリンタはキヤノン一択かと思っていたが、知らない間にNEC一択になっていた。エプソンのページプリンタは使っているところを見なかった。
アプリックスがPC-9800シリーズ用のDVIプレーヤを発売
これも見なかった。キラーコンテンツと呼ばれるようなものがなければ広まらない。
データショウ'90の写真をスクラップする。
DynaBook J-3100GS001 80286((12MHz)
FMR-CARD
HANDY 98
if-NOTE
LUNA II
NetWare386
Sun Microsystems
ジャストシステムの大地
テラ(仮称)
三菱のDVI。Windows上で動画表示を可能にした。
松下電器のWindows 3.0 日本語版
キヤノンのBJ-note
こういうプリンタが欲しかったが、ダイナブックを持って行って印刷したいときはたいていそこにパソコンとプリンタがあったのでそれを利用していた。
アイシーエムの可搬型HDD
アスキーはICメモリカード。メモリカードは現在はSDカード一択だが、それまでには各種規格が乱立していた。
シャープの電子手帳と専用小型モデム。これもスマホのご先祖様といえるか。
シャープのファクシミリ。インターネットが登場したころでも保秘の観点から大切な文書はファックスを使っていた。
ローランドのプロッタ。グラフを描くならやはりプロッタ。
ローランドの98NOTE用MIDI音源
視覚障害者用点字パソコン
インテル,32bitマイクロプロセッサ3品種を発表
これも黒歴史CPUだった。インテルはRISCでは成功しなかった。
ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第117回 忘れ去られたCPU黒歴史 StrongARMの前に破れたi960
特に悪いCPUだったわけではなく「i960でなくてもいいじゃね。」だったようだ。
上の引用先の最後に
「別に大赤字を出したとかいう話ではないし、性能面でも決して劣っていたわけではない。それどころか、RISCとしては初のスーパースカラーを実装した製品であった。それにも関わらず、インテルの中で「忘れたい製品」になっているのは、やはり「x86ではなかった」というあたりなのかもしれない」
とまとめられていた。私は86の呪いだと思う。互換性が命とばかり8086という8bitに毛をはやしたというか16bitから毛を抜いたCPUを販売して私のような少数派のオタクに嫌われて、呪われていたが、本当に呪いが成功してしまったと思っている。当のインテルが86から決別しようとしたのに86にしがみつかれてとうとうここまで来てしまった。最初の決定というのが大切だということを歴史が教えてくれている。
AMDがAm29000の上位RISCチップを発売
これも黒歴史CPUだった。
ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第122回 CPU黒歴史 対Pentiumのために放棄されたAm29000
組み込み分野やワークステーションに 幅広く採用されたAm29000
最後に、Pentiumに対抗するためリソースをK5というCPU開発につぎ込み、「Am29000シリーズは突然に生産中止」として採用メーカーに多大な迷惑をかけた結果「筆者が知る限りでも、国内某社は「絶対にAMD製品を組み込みに使わない」と断言している。」となってしまった。
こじつければ呪われた86にかかわるとろくなことがないという事例になってしまう。
インテルがノート型コンピュータ用の386チップセットを発表
386は8086の呪いを86互換モードとして内部に閉じ込めたCPUだった。これは良かったが速度がいまいちで同クロックの80286と速度が変わらなかった。ワイヤードコアの486になってキャッシュを搭載して速度が上がり使いものになるCPUになった。私は486マシンを使っていてマシンを呪うことはなくなった。
日本電気がプリンタ,CD^ROMドライブ,HDDなど周辺機器13機種を投入。
CD-ROMはこの後倍速、4倍速と速度を上げていきやっと使える速度になった。当時は使い道があまりなかった。
PC-9800シリーズに拡張スロット用のHDDボードが発売
アイシーエムが40Mbytesで10万8000円。
キャラベルとテクサから,98NOTE-SX用の内蔵HDDユニットが販売開始
21.4Mbytesで10万9800円。
京セラ,日本アルトス,テクサ,エスパーシステムなどから,PC-9800シリーズ用SCSI・HDDが発売
趣味のパソコンユーザはハードディスクは10万以下のものを買っていた。これらは高くて買えなかった。
システムクォリティ,光磁気ディスクユニットを発売
本体価格が44万5000円もした。
三菱電機,容量4Mbytesのメモリカードを発表
厚さは3.4mm
インテル,最大4Mbytesのフラッシュ・メモリ・カードを発表
厚さは3.3mm
日電,高速アクセスを実現した64/256KbitSRAMを発表
システムクォリティが音声をテキストに変化するボードを発売
ヤマハがアウトラインフォント処理アクセラレータを発売
ヤマハは音楽関係だけではなくこうしたものも作っていた。
シャープが1670万色表示の14インチカラー液晶デバイスを開発
当時世界初のデバイスを発表していたシャープが今日凋落しているとは。33年前はシャープの技術には他の国特に中国、韓国は追いつけないと思っていた。しかし、かの国は最初から開発するのではなく途中から技術を取り込み開発をしていった。ゼロから始めた日本の技術の方が上で途中から開発した国に負けるとは思わなかった。
ブレインズが画面に16色でTV画像を表示するボードを発売
使い物になるかどうかは別にして33年前はこういう技術があった。今はデジタル放送だが昔はNTSCビデオ信号でアナログだった。そう考えると昔のアナログ技術は高度だった。今は失われた技術だ。
エプソンが低価格ページプリンタや,TVボード,ハイレゾディスプレイなど周辺機器を発売
レーザープリンタはキヤノン一択かと思っていたが、知らない間にNEC一択になっていた。エプソンのページプリンタは使っているところを見なかった。
アプリックスがPC-9800シリーズ用のDVIプレーヤを発売
これも見なかった。キラーコンテンツと呼ばれるようなものがなければ広まらない。
データショウ'90の写真をスクラップする。
DynaBook J-3100GS001 80286((12MHz)
FMR-CARD
HANDY 98
if-NOTE
LUNA II
NetWare386
Sun Microsystems
ジャストシステムの大地
テラ(仮称)
三菱のDVI。Windows上で動画表示を可能にした。
松下電器のWindows 3.0 日本語版
キヤノンのBJ-note
こういうプリンタが欲しかったが、ダイナブックを持って行って印刷したいときはたいていそこにパソコンとプリンタがあったのでそれを利用していた。
アイシーエムの可搬型HDD
アスキーはICメモリカード。メモリカードは現在はSDカード一択だが、それまでには各種規格が乱立していた。
シャープの電子手帳と専用小型モデム。これもスマホのご先祖様といえるか。
シャープのファクシミリ。インターネットが登場したころでも保秘の観点から大切な文書はファックスを使っていた。
ローランドのプロッタ。グラフを描くならやはりプロッタ。
ローランドの98NOTE用MIDI音源
視覚障害者用点字パソコン
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